実は私、とある読書会に参加していて、次回の課題本を探しているところです。前回は池田晶子の「考える日々 全編」を皆で読み、概ね好評だったのだけど、「彼女の言うところの『考える』ということをより詳しく知りたい」との意向が多かったので、私もここのところ彼女の遺した著作を読み続けているわけです。だからと言って、別に義務感で読んでいるわけではなく、彼女の繰り広げる哲学的評論が面白いから読み続けているのです。
これまで読んだ中では、埴谷雄嵩の著作に解説を試みた「注解『不合理ゆえに吾信ず』」に、彼女の「考える」道筋が一番現れているように思ったけれど、しかしこれは如何にも原理的過ぎるし、彼女の文章にしては珍しく難解だし、何より埴谷の作品を理解していないのにこれを読んでもしょうがない気がします。
この「41歳からの哲学」は、「考える日々」や「睥睨(へいげい)するヘーゲル」と同様に、世間の瞠目する諸事件を彼女がどう考えるかを週刊誌に連載したものを単行本にしたものとのこと。(週刊新潮2003/5/1-2004/6/3 誌上のタイトルは「死に方上手」) あとがきによると、当初はテーマを人間の「死に方」、もしくは「死」に限定して始めたものが人間の事象全般に広がったものとのことです。
これ以前の連載コラムものより彼女の考え方の説明が丁寧になっていていたように感じました。それでも私には理解しかねる論理の飛躍が見られたものの、それはこちらのおつむの基礎構造に不足があるから分からないのだろうと考え、諦めの心境です。彼女の「考える」ということが、これらのコラムの説明に現れる論理の進み方に表出されているのは間違いなさそうなので、この本を読書会の仲間に薦めることになりそうです。
終盤に愛犬の死を深く嘆き悲しむ文章が出てきます。これは彼女にしては極めて破格。
この本が出たあとも彼女の著述活動は続きますが、数年後に癌のため惜しくも逝去されました。意地悪な意味ではなく、自身の死を意識せざるを得なくなった彼女の思索を辿ってみたいものです。