徳岡孝夫・角地幸男訳
他の読むよう勧められた本や読みたくて買ったが手元に積んである本がある中で、久しぶりに図書館から借りてきたこの本を読み始めると他はそっちのけで夢中になり、読書スピードの遅い私としては比較的早目に読み終えてしまった。やはり私はドナルド・キーンのファンなのだなと思う。
この編は次の三章からなっていて、それぞれがこの本の1/3ずつの量で紹介されていた。この編は小説の分野に関して、この文学史の最終巻となっているようだ。
・戦後文学
・女流の復活
・三島由紀夫
戦後文学の部分には戦前から名を成し活動してきて戦後も活動し続けた作家は含まれていない。戦時統制から解き放たれ自由に執筆可能となった中で、マルクス主義や共産党との関わりが重大なポイントになっていたことが読み取れた。このことは次章の女流作家に関しても共通のことだったらしい。少なくとも、どんな立場を取ろうとも、階級的視点に欠けている、と批判されることにはみな神経質になっていただろうことが窺われる。こういう中で超然としていられた人達もしっかり居たのだから、いやはや大変な時代だったのだと思わざるを得ない。
女流に関する章は面白かった。比較的最近まで生きておられた宇野千代の豪傑ぶりに目を見張らされた。他には野上弥生子、岡本かの子、林芙美子、佐多稲子、平林たい子が個別に取り上げられていて、それぞれ大変参考になった。かえすがえすも女性が生きるには大変な時代が長かったのだ、と思わざるを得なかった。
三島由紀夫はこの文学史の小説家としては最後を飾っているようだ。キーンは注釈の中に、のちに最期の日付が自らの手で書き加えられる「天人五衰」の原稿を、その三ヶ月前に三島から手に取らされたと漏らしているが、それほど著者と三島は交友が深かったわけで、三島の文学活動と生涯を概観するこの章にはキーンならではの視点を強く感じさせられた。あの自決はどうも彼の人生美学に従ったものだったような感じだ。
そのキーンをしてもなお一般受けするとは思えない、と評された三島の文章なのであるから、私が面白くないと感じたのも無理の無いことだったと今更ながら納得。