アメブロ始めたばっかりで、また使い方やその他の利用方法がよくわからず、変換や投稿が中途半端に終わってしまいどうしたらいいのかわからず焦っていました。
このブログで、普段私が疑問に思っていたことで施設に入っている老人たちの中で、ブログやLINE SNSとかやっている人いないのかな?って言う疑問を持っていたのです。
そんな中で自分と同じような、施設の中で困ったり悩んだり、話し相手を探したりしてる人がいたらなぁと思い、ブログを始めてみることにしました。
前回の投稿の続きです。
受給決定が行われて、福祉協議会から30,000円借りて、とりあえず食べ物を買ってその後市役所で言われた民生委員の所に実態調査のため面接に行きました。
生活保護を受けるためには、まず資産があってはいけないこと。土地と家が2軒、ローン未払いのため競売が決定していたため、手放すことを約束した上でオッケーが出ました。
スクーターは心療内科に通うため(パニック障害?)のせいか?交通公共機関に乗れない状況にあったので、所有と使用を一時的に認めて貰えました。
心療内科に通いながら、競売の手続きをしながらアパートを探すと言うことになりました。
引越も生活保護の場合引っ越し費用を算出するのに2件以上の相見積もりを取って安い業者に委託して資金の補助をしていただきます。
生活保護の住宅費には上限があり、選択肢が少なくとりあえず築35年のとっても古いマンションみたいなアパートに移り住むことになりました。
生活費が決まっていて、その中で電気水道必要経費、通信費(携帯代金)などを差し引くと、月に2〜3万円くらいしか残りません。食費として1日約千円、近くにビックAがあり、深夜に売れ残り品の割引のシールの貼られたお弁当や、菓子パン食パン、カット野菜などを買って節約していました。
まっ?生活保護の細かい事はまたの機会にするとして、ちょっと先に進むことにします。
ある日、お腹を壊し、食事もできずトイレを往復する日々が続き、救急車を呼んだのですが病院の担当の看護婦が「自分で来れるなら救急車などを使わずに来てください」と言われ、仕方なく必死な思いでタクシーを呼んで病院に駆け込みました。
その場で即入院が決まり、内科に入院したのですが、3日目位だと思いますが夜にトイレに行こうと廊下に出たところで、自分では覚えていないのですが意識を失い廊下で倒れていたそうです。
それから2週間意識不明で昏睡状態だったそうです。
それからも入院中のリハビリで歩いている最中に意識を失い倒れたことも何度かありました。
原因はわからないのですが、それから医師の勧めもあって、倒れた時に怪我をしたり頭を打たない様に、車椅子を利用するようになりました。
そして退院して1人で暮らすのも無理そうだから施設に入ったらどうですかと言う医師の勧めの通りに先に進みました。
看護婦さんや医師などの病院のスタッフは施設と言うものの老人施設とは言ってくれませんでした。
当人は体の1部不自由な人がお世話になる施設だと思い、承諾したのですが、いざ退院前日になった頃、老人ホームだと言う事を知らされました。
意識喪失の原因は分からずじまい、不明のままの退院になりました。
埼玉のある市部に住んでいたのですが、受け入れてくれるところが群馬県でした。
退院時その施設の人が迎えに来てくれて、わずか1時間位の間にアパートに戻り、必要最低限のものを車に詰め込み、群馬県に向かいました。
初めての施設暮らし、共同生活、痴呆の人との付き合いなど初めてのことばかりでした。
最初に入居市た部屋は、本来、1名のところ無理にベッドを入れて2名で生活するスタイルでした。
後でわかったことですが、同じ施設のオーナーが違う地域に新しい老人ホームを建設中だったのでそちらに回す入居者を集めていたようです。
最初の共同生活者(同室の老人)は、痴呆のかなり進んだおじいさんでした。そして夜になると部屋の中で毎晩のように放尿するのです。かわいそうですが、こちらもノイローゼになりそうでした。

今後このブログで、生活保護や老人ホームで起こったことや、そこで働く人の事とか思い出しながら少しずつ綴ってみたいと思います。
皆さんからの質問やご意見等ありましたら、出来る限りお答えしていきたいと思っています。
私も老人ホームに入っていろんな問題直面しながら、その都度各機関に相談したり、スマホで検索したりして何とかやってきました。
私のように施設に入っている方や、これから施設にお世話になるかもしれないと思う人たちの少しでもお役に立てればと考えています。
あまり専門的な事は言えませんが、利用者として悩んだことや、学んだことを少しずつお伝えできればと考えています。
後は施設あるあるネタとしていろんなエピソードも書いていこうと思っています。

皆様応援お願いします。合掌