しばらく前に「ことりやさんになりたかった」という記事を書いて、ちょっと思い出すことがあって子供の頃のアルバムを見たところ、どうも私の記憶はテキトーだったということが判明。


幼少期のアルバム、親がまとめておいてくれた。
こういうところはマメな父だった。
きっと、この中には選ばれなかったもっとたくさんの写真には、もう覚えていないたくさんの思い出とか事実があったんだろうな。

しかし、今回はそういう感傷にひたりたかったわけではなくて、たしかこの中に私の好きな鳥ちゃんの写真があったはず・・・ってことで、探したよ。


私の今の記憶の中では、当時好きなものというと鳥がダントツなのだが、何とこんなにあるアルバムの中で、私が好きだった鳥がおさめられているのはこんなに少しOrz.

もしかしたら、鳥は好きだった、もしくは鳥が好きだと思い込んでたけど、実際の生活の中では私が意識してるよりももっとたくさんの楽しいことや好きなことがあったのかもしれません。

鳥と、された嫌なことの記憶ばっかりが印象的だったけれど(ニガワラ)、何でかわかんないけど、そう思いたかったのかも。


時系列バラバラですが、コレは多分小学校の中学年くらいのとき。

写真撮ったの誰だよ、おぱんつ見えてるじゃねーか(滝汗)

ハトが飼いたかったのですが、今思えば当然ながら両親には理解を得られず、しかしチャボならいいよということになってヒナっ子をつがいでお迎えいたしました。

黒っぽいのがメスで、黒いからクロちゃん。
そして、もう一方はオスですが、何と・・・


名前覚えてない にわとり


まさかの、です。
私、鳥好きじゃなかったっけか(((( ;°Д°))))


それでもこの子たち、立派に大きくなるのです。



オスの方、かっこいいでしょ~♡

右側で抱っこしてくれてるのは姉ちゃんです。


・・・姉と鳥抱えて写真撮った、だと?(゜д゜;)

ううううスミマセン、全然覚えてないです。
服装からすると秋冬っぽいですよね。こんな洋服持ってたことも覚えてません。


チャボよりももっと小さいころのはずですが、文鳥がいた時期がございました。
欲しいと言ったり思ったりしたことはないのですが、何か知らんけど、私がインコ好きで飼ってると聞いて、誰かがくれたんだったような記憶があります。

でも、ヒナでお迎えした文鳥じゃなかったし、特別なつきもしなくて、すぐ死んじゃった、と、ずっと記憶していました。

しかし、




モーレツ手乗りじゃん!
なついてるじゃんよ~!!!

しかもこんなに写真があるとは!

今こんなにベタベタな文鳥いたら、超絶お迎えしたいです(`・ω・´)
実はこないだ、オカメのイベントの時にクラっときてしまったんだよねえ文鳥。

いや、もうこれ以上は鳥増やしません。
今いる子で充分幸せだよ。
投げても飛んで戻ってくるのは一羽だけだが(投げたことはないがね)、一応全部「手乗り」ではある。
※手に乗せればとまってる、という意味。荒鳥ではない。

恐らく、白文鳥もそんな感じだったんだと思うけれど、多分生まれてはじめてお迎えしたセキセイのちーちゃんのベタ慣れ具合がデフォルトだった当時の私には、自分からきてくれない鳥は「なついてない」判定だったんだと思う。
まあ、しょうがないよね。





この子がちーちゃん、一番最初にお迎えした、きれいな色のセキセイインコで一番大好きで印象に残ってる鳥ちゃんです。
多分男の子だったんじゃないかなあ。名前と、何か少しおしゃべりしたよ。

でも、意外と写真が残ってない。
当時のことだから、あまり日常で写真撮りまくるって風潮もなかったし、もしかしたら何枚か撮ったのもあったんだろうけど、ここには残ってないみたいだし・・・

でも、今でもこのカラーリングのインコを見ると、懐かしく思い出します。



私が今回一番驚いたことはね、






・・・ちょっとまて、おまいら、誰だ~!!!!!



やばいです。記憶にあるようなないような、ナゾのインコです(滝汗)
ちーちゃんとは明らかに違う鳥ですよね。

いたとしたら、ちーちゃん亡き後にお迎えしたはずですが、すごく後ろめたい気持ちですが、この鳥たちの記憶が本当にない。
小学校のクラスでインコ飼ってた時期はあったけど、1羽だけだったからな~。違うな~。


('-')

(,_,)

( _ )

何か、鳥好きとか言ってて、ごめん・・・(´д`lll)



・・・と、まあ、あれだけ好きだと思っていたことに関してでさえ、こんなもんだ。
ましてや、嫌だったこと、つらかったこと、だと思ってるものなんて、絶対に思い出割増エフェクトがかかってるはず。
事実は、もしかしたら、私が思っているほど意地悪なものじゃなかったのかもしれないよね。
多分そうなんだ。

きっと、あの頃だって、まわりはみんな優しかったし、私は家族から愛されてた。経済的に困ったこともないし、大事に育ててもらってたよ。
それが、何となく申し訳ないことのように考えてしまって、もっと私は苦労しなきゃいけないのかも、って思ってたのも心当たりある。今のままの状況に満足するのはいけないんだ、だって私は「わがまま」ないけない子供だから。

幼少期に何かあるとすぐ「わがままだ」といわれて、当時は自分の気持ちのことをうまく表現することも説明することも、反論することもできなかったけど、やはり悲しかったし、傷ついたんだと思う。
「わがまま」と言われることがない大人に、早くなりたかった。
その頃の私がみる大人で、わがまま、と言われている人はいなかったから、大人になれば、こんなふうに言われることはなくなるのかなあ、と思ったのかも。
それ以外にも早く大人になりたかった理由はいっぱいあるけど、とにかくその、私が「わがままな子」だった頃は、そう言われることがとても怖くて、何とかそんなふうに言われなくて済む方法はないかなあ、と思ってた、気がする。

まー、親の目を相当に気にしてたことは恐らく事実だったと思うけど、それでも、鳥の思い出でさえあんな具合であるように、きっと実際はそこまでビクビクして過ごしてたわけじゃなかったんだろうなと、想像する。
多分、そんなこと考えもしないで、ノーテンキに遊んで暮らしていたんだと思う。
細かいことが好きで、いろんなどうでもよいようなものを面白がっていたんだと思う。

まあ、いろんなこと、ちょっと勘違いしてしまったことはあったんだろうけどね。
その勘違いが今でも続いてたりするんだろうけどね。
まだもうちょっと、モヤモヤしていたくて、親に対してまだ許しきれない気持ちはあるんだけどね。

何を怒ってるのか、何を許したくないのか、自分でもよくわかんない。
ただ、許せない、と思ってるということは、最終的には「許したい」と願ってるからなんだろうな。
もしくは、もう許しているし、そもそも最初から許せないなんて思ってなかったんだけど、こんな状態を演じたいだけなのかもしれないし。


いやいや、でもなー、私の記憶がテキトーなのと同じように、彼らの記憶もまた、都合がいい
ウソ700%なんだよな。
だから余計にややこしい。
お互いに「こいつは何もわかってない」と思い合ってるのだけは確かな気がするよ・・・
わかってほしい、という気持ちは、あなた方だけじゃなくて、私だって同じなんだよ。



頭ではわかっている。




愛してもいない子のために、こんなにたくさんのアルバムをとっておいてくれるはずはないのだと。

記憶は700%ウソだから、
受取り下手な自分をずっと責めてきてしまったような気はするのだが、
そんな必要は最初からなかったんだろうから、
受け取れない自分をせめるのはやめよう

ってことで、よいのかな。


あの時わかってもらえなかったことと、
今わかってもらえなかったことは、
別々のことだから、
今までずーーーっとわかってもらえてなかったわけじゃない。

今だってあやしいもんだ、
わかってもらえないというのは、事実だろうか?