赤羽駅 (東北本線) のスタンプ | 気まぐれ 駅スタンプ紀行

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全国の駅に設置されている「駅スタンプ」。

一つ一つのデザインに個性があり、奥行の深さに魅了され、いつの間にか駅を訪ねるたびに
駅スタンプを押印する収集癖がついてしまいました。

これまで私が旅行や出張で立ち寄った駅で集めた駅スタンプたちをご紹介します。

赤羽駅 ~旧岩淵水門~
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赤羽駅は1885年(明治18年)3月に日本鉄道によって開設された駅です。
当初は赤羽駅から品川駅までの後の山手線となる品川線の分岐駅として設けられましたが、1972年(昭和47年)に池袋-赤羽間が赤羽線として分離され、現在では運転系統上の埼京線と東北線、高崎線、京浜東北線が接続する一大ターミナル駅となっています。
 
駅スタンプには赤羽駅の東を流れる荒川にある旧岩淵水門が描かれています。
かつての荒川(現在の隅田川)は、江戸時代に頻繁に洪水が発生し、明治時代になっても洪水が頻発していました。特に1910年(明治43年)の洪水被害を契機に荒川の洪水対応能力を向上させるために計画されたのが荒川放水路の建設です。
20年もの歳月をかけて完成した荒川放水路と隅田川の分岐点に、隅田川の洪水を防ぐために設置されたのがこの旧岩淵水門です。
旧岩淵水門は、1982年(昭和57年)に完成した新水門に役割を譲りましたが、土木建築物の価値が高いと再評価され、1999年(平成11年)に東京都の選定歴史的建造物に指定されています。
 
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赤羽という地名の由来は、関東ローム層の赤土を赤埴(あかはに)と呼ぶことから、これが転じて赤羽となったという説が有力です。
現在では赤羽台団地に代表されるような住宅地ですが、明治から大正にかけては全く異なる様相の地域でした。富国強兵を優先した明治政府は1872年(明治5年)に赤羽に火薬庫を建設し、1887年(明治20年)には有楽町から近衛工兵大隊が移転してきました。そして1919年(大正8年)には陸軍被服廠の全機関が移転し、赤羽は「軍都」として発展していくことになります。
 
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現在では多くの通勤・通学客で賑わう赤羽駅ですが、戦後、赤羽にあった軍事関連施設が公園、住宅地、学校などに転用され町づくりが進みました。陸軍被服廠跡地も赤羽台団地に姿を変えました。「軍都」としての赤羽の発展がなければ現在の街の景色は違っていたかもしれません。
 
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このスタンプは2014年1月12日に押印しました。
 
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