昨日は「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」の感想をネタバレなしで書いて、素晴らしかったという話をしたのですが、当然、この「新編」は賛否両論で、本編のファンからも否定する声が出ています。そりゃ否定する声も出るでしょう。本編で「ヒーロー」であったほむらが、悪の道に堕ちて物語が終わってしまったわけですから。「ヒーロー」が悪の道へと堕ちて行く物語、これはがっくりきてあたりまえです。
こう書くと「ほむらは女性なのだから、ヒーローと書くのはおかしい」という批判を受けるかもしれません。確かにほむらは女性という設定です。しかし物語の構造的に見れば、ほむらは
「悲劇の運命を背負ったヒロイン:まどかを助けるために、絶望的な戦いへ何度も身を投じて戦い続けるヒーロー」
そのものであり、だからこそ本編では、そんなほむらの行動が人の心に感動を巻き起こしたのでした。そしてその本編のヒーロー:ほむらの「まどかを助けたい」という想いは、まどか自身が自分を犠牲にして、皆を助ける物語へと昇華することで、そこで一旦終止符を迎えます。助ける対象であったヒロイン:まどかは消滅してしまった。完全に助けることはできなかった。しかしヒロイン:まどかは皆を助けたことに満足した。ここで本編の物語は完結しています。そこが本編にの感動のキモのところでした。
ところが新編ではそれをわざわざひっくり返したわけですから、批判が出て来て当然です。
同じ悪の道に堕ちて行くヒーローでも、スターウォーズのアナキンの場合は「こいつは将来、ダースベーターになる、そういう悲劇の主人公だから」と、皆が予め知っているから、そう叩かれなかったと思うのですが、ほむらの場合はがっくりきた人が多かったことも想像に難くありません。
では、新編は物語的にだめなのかというと、そうではない、それどころか「こうなるしかなかった」という説得力があるところが、この新編の凄いところかと思います。「悪の道へと堕ちて行くヒーロー」という物語でありながら、ほむらも含めた各キャラクターが完全に「このキャラクターだったら、こういうふうに行動するよね」という整合性が完全に合っている。それが自分にとってはすばらしいと思った所でした。
まずこの完結した物語を再開させるためには、
「本編の結末で、それでも残った不満」
に目を向けなければいけないでしょう。
まず、マミは生き返りますが、彼女の孤独感は完全には癒されていないと思われます。生き残っているほむらと杏子は、魔法少女のパートナーとしては心強いでしょうが、心理的な支柱とはなりえません。やはりまどかのような自分の心を支えてくれる存在が必要です。
生き返った杏子にしても、せっかくこれから友情を深めあえる筈だったさやかを失くしてしまいます。
そして、ヒーロー:ほむらの場合は言うまでもなく、あれだけ愛したまどかを失くし、本編最後でも、まどかのことを思い出して泣いてしまっています。一応、キュウべえと仲良さそうにはしていましたが、キュウべえ自身には人に対する愛情なんてないということがわかっていますから、これも見かけだけの友好関係にすぎません。
というわけで、満足しているのはまどかとさやかの二人だけです。まどかは皆を救ったことによる満足感がありましたし、そしてさやかは上条への想いをあきらめたことで「成仏」できました。
さて新編では、この本編で残ったマミの不満も、杏子の不満も、そして最初のうちはほむらの不満も、すべて解消されています。マミはベベ(なぎさ)という新しいパートナーを得ましたし、杏子はさやかが生き返ったことにより、本編ではなし得なかった友情を深めあっています。当然、上条への想いをあきらめたさやかは、悩みもなくなり杏子と仲良くしてます。そして、ほむらの前にはまどかがいます。すべてが大満足です。マミが、もう気を張って生きていかなくても良くなったと告白するシーンにはほろっと来ますし、さやかと杏子が手を握りしめて戦いへと向かうシーンには私は感動しまくってしまいました。
しかし問題はほむらです。ほむらはやがてそれが偽りの世界であることに気がついてしまいました。気がつかなかったら良かったのですけどね。キュウべえが
「真実なんて知りたくもないはずなのに、それでも追い求めずにいられないなんて、つくづく人間の好奇心というものは理不尽だね」
という言う通りです。
オープニングで5人の少女のうち、ほむらだけが落ち込んでいる。これはまさに残り4人は満足したのに、ほむらだけは不満が残っていることの暗示そのものです。
さらに興味深いのは、5人ぞれぞれの「自己犠牲」ということに対するスタンスの違いでしょう。
マミの場合、皆が魔女になる運命とわかったところで、集団心中を考えてしまうような人間です。自分が犠牲になるくらいなら、他人も巻き込んで犠牲にしてしまう人です。
またさやかの場合は、自分は上条のために、そして町の人々のために自己犠牲できる人間だと思い込んでしまい、そしてそれが本編で悲劇を起こしました。そしてその結果、それに懲りて上条をあきらめることができました。自分が自己犠牲なんてできないということを思い知った人間です。
それに対して、まどか、ほむら、杏子は自己を犠牲にしても他人のために行動できる人間です。
杏子はさやかのために自分の死を選びました。まどかは皆のために自分の存在を消滅させた。ほむらもまどかのために戦ってきました。
しかしここでこの物語が根本的に悲劇的なのは、まどかが「普遍的に皆を愛する存在」であるのに対し、ヒーローであるほむらは「まどかだけを愛する存在」であったということでしょう。どちらも自己犠牲できる人間でありながら、その関係が絶対、一対一になりえないのです。
一応、ほむらも、まどかとの愛を邪魔されない範囲では、皆のことを想ってはいます。マミとの戦いではマミにトドメをさせませんでしたし、作り直した世界でもなぎさ(ベベ)とさやかを生き返らせています。だからこそ最後の方でほむらはさやかに対して、あなたにとっても良い世界、というような話をしています。またまどか自身が、本当は皆と一緒にいたかった、と告白したことも大きかったのでしょう。
ですから絶対的な悪にもなりきっていないのですが、しかし、それ以上に「まどかへの愛」は優先事項であり、そのために最後は「自らが悪魔になる」という道を選んでしまいました。
「自分が悪に堕ちてでも、それでもこの世にまどかを生き返らせる」
この執念が、新編の結末でした。
こう考えると、「悪の道へと堕ちて行くヒーロー」の物語でありながら、ものすごく説得力があるのです。
最後のエンディングで「君の銀の庭」の曲が流れて来た時の、あの虚脱感。当分忘れられないような気がします。
