こんにちはー、だらだらと過ごしてしまっています、おっさんです。
新型コロナウイルス関連のことで、まだ色々と情報が出ていますけれども、だんだん、多分
みなさん、情報の内容でそれを信じるか信じないか、固まってきていると思うんです。
どうですか?
ちょっとまとめましょっか^^
まず、感染者と死亡者の数がやや増えていて、大阪は1日に2桁後半、
東京は3桁超えてきました。地方も増えてきていますね。このまずデータについてなんですが
みなさんはどうですか?周りに検査を拒否されている人はいませんか?
いるんですよー。大勢。結構、熱があるのに検査してもらえなかったという人。
亡くなっている人に関しても肺炎でなくなったのに今回の件で亡くなったのか
わからないことになっている人がいるという情報もあります。
偉いお医者さんのお友達からお叱りのメッセージを受けた時に
「検査をしたからといって治るもんでもないんだから」といわれた話を前にここに
書きました。検査をするのにも、検査をする人たちの感染も防がないとならないから
それも大変だと思いますが、でもやっぱり、そういった医学面からちょっと
離れて考えたら、やっぱりこの21世紀に、検査しない、ってのは
おかしいですよね?だって、あとからこの病気がどうだったのか、ということを
検証する時にちゃんとしたデータが存在しないということになりますから。
うーん、それでいいのかー?
いわゆる感染曲線の基本的なの(??)
この文章どこのなにの文章なのかわかりませんが、グラフィック的に表が欲しかったので
ひっぱってきました。
検査をどうしてしないのか?ということを少し考えてみました(私見)。
検査をしないと…陽性だけれども、陽性と判定されなかった人が増えることになりますね。
隠れ陽性とでもいいましょうか?この人達が感染者数データからこぼれます。
そして、いわゆるPCR検査、ポリメラーゼ連鎖反応という検査なのですが、
そもそもPCRも完璧じゃないんですね…(あ、ホントは偽陰性というそうです)。
ちょっとPCRは医学的になるので、詳しく知りたい方は検索していただくことにして
確実に陽性な人のデータをもともと、取れない、ということと、
さらに、検査を指定ない人が大勢いることが分かるわけです。
そうすると、やっぱり先程の流行曲線の山は真実(検査が100%の精度で、全感染者に検査したときの山)
よりももちろん低くなるわけで、これ、検査をしないと更に低くなりますよね。。。。
推計とか、想定とかの数字を出していたケースもあったんですけど、言わなくなりましたね。
「このくらいの感染者のデータがあるということは、本当は○○人くらいが感染している
可能性が推計できる」
みたいな情報。北海道で緊急事態宣言みたいになったときはあったんですよー。
なのでおっさんは、「どうもやっぱり陽性者を意図的に低く見せたい政治が働いている」
としか思えないんですよね…。
そうすると、あとから振り返った時に「なんとなく日本は感染者数が少なかった」という
なんとなく情報しか世界と共有できなくなることになります…。これ、国際的には問題だと思います。
他の国と同じ基準で検査しないと…。
総数が少なくなったら都合が良いところは
○医療費を少なく抑えられる(日本は保険診療なので、その額を抑えられる)
○感染力を過小評価できて、大したことない病気だったということにできる
○結果、感染を知らず、亡くなっていく人が増える。
○日本の医療は素晴らしく、感染症対策はバッチリとも言える。
○日本民族はウイルスに強いとかよくわからないことを言い出す人が出てくる
○政治が手厚い保障をしなくて済む
うわ、こわっ!
まあ、色々考えたけど、6つ目かなぁ…やっぱり。
でも、これだけ、社会全体に影響が及んで、昨日は麻痺、お店は閉まる、仕事ない、
出歩けない、不自由。になってしまいました。
まだ、ちょっと矛盾しちゃうんですが、この検査総数と陽性者数のデータがきな臭いので
「例年のインフルエンザと比較すると、感染力も死者数もたいしたことない」
と、言い切れない部分があると思うんですね。
(ぼくも本当なら、例年のインフルとの比較で安心したい人がいて、そういう人の
考え方には基本的には賛同したい。でも、データが微妙。)。
そっか、インフルエンザも勝手に治っちゃう人もいっぱいいるのかもね…。
だったらいいのか^^; どっちやねん、って話ですなぁ。。。
そう、「どっちなんだろう」っていうレベルの話かなぁと。
ま、ねぇ。
経済機能が止まって、僕たちにとっては、「どの程度、政治の言うことを素直に聞くかテスト」を
実施されているような気分になります。
なので、たしかにいま集会は危険だけど、どうぞリラックスしてこの自主幽閉を
満喫する方法を探してください。
あとは、やっぱり経済的な何かが大きな理由がありますよね。
昨日は長いのですが、大西つねきさんの動画を見ていたのでシェアします。
まあ、120万円はちょっとでかい気もするけど、でも、30から60万円くらいを
配るのはありと思いますよね。
基本的人権、生存権、この最低限の生活を維持するためのお金、少なくともまずは
生活保護と同じ額を全部配ったらいいというのは、私の主張ですよ。きっと、大西さんは
「いやいや、もっといけますから」っておっしゃるかもしれませんが、
いわゆるベーシックインカムの考え方から言うと、
生活保護分全部国民に毎月配る→担当官僚と窓口の人たちの人件費を削れる→
不正受給がなくなる(全員もらえるから)→それだけでは暮らせても、豊かには暮らせないから
仕事はやめない。
これくらいから始めたらいいのでは?
でも、
もっともっと
やってもいいのかもしれませんね。
あと、大西さんってMMTの人じゃないんですね…誤解してました。すみません。。。
医療費も教育費もなくさざるをえない。もうこんなことが続いたら
親の仕事がなくなって子供が学校にいけなくなっちゃうからね。
(これ、実はすごく大きな問題だと思っています)。
一方で教育費がただになったら、年取ってからまた学びなおしたい人にも
再チャンスありますから、そして、人生のその時その時に
私達が本当にやりたいことを見つけていければ、幸せにつながる。
やっぱり幸せに暮らすのが一番。
ちょっとまとめてみました。
最後までとりとめのない文章にお付き合いいただいてありがとう。