香港で現地の人と話をしていると意外と少しだけど日本語が話せるという
若者が多いことに気づきます。すごい喜んでくれて、それは、やっぱり
外国語が通じてるって感覚って独特で、それが英語とかスペイン語でもいいんだけど
マイナー言語の日本語が通用したと感じている瞬間の驚きというか不思議というか
楽しさ、というのはあると思うのです。いくら翻訳機が立派になっていく世の中になっても。。。
(機械は機械で楽しんだらいいし、いつも僕は大いにそのチカラに助けられてます)
香港の九龍で思わずポチって読もうと思っていた漫画が
柴門ふみさんの「九龍で会いましょう」(上・下)。
ドラマ化されて遅くにやってたんで、見た方もいるかも。古いなー15,6年前?
まあ、もう柴門ふみさんワールド満載の(笑)話なんだけど、
(誠実くんと、チャラ男くんと、若い人たちが悩みながら変化していくってね)
もうほぼほぼすっかり内容について忘れておりました^^;
実は、引っ越しのときかな?整理してて手放してたはず(本棚見直したらあったりして)。
この年になっていろいろ一人で旅をしていると自分自身について考えることがあって
家族という構成や愛とことん縁がなく、これからも一人で生きていくんでしょうけど、
でも、やっぱり愛が一番大事ですよね。
柴門ふみさんの作品を読んでこんなこと思ったことこれまでなかったんだけど
「不安ベース」で人が動くとやっぱりうまくいかなくて、
「愛ベース」「安心ベース」で行動することの大切さを教えてくれるし、
そこに人の動物的な部分がいつも絡んでくる、
とってもそれは人間の自然なことを描いてらっしゃると思うんですね。
そして、人の不完全性とそれを受け入れることの大切さというか。
抽象的になっちゃいましたね。
誰かが失敗したときにそばにいてあげられてますかー?
そういう人がいてほしいと僕は思うときもありますが、逆にじゃあ、自分にできることがあるのか?
っていつも考えてしまいます。
なので、少しずつ、自分にできることをやっていくところから、やれるところを探すところから
そしてそれを少し実践するところから、やっていこうと思います。
50歳くらいになったとき、ちょっといい人いてくれたりしたら嬉しいかな(笑)。
旅先であったことはこうやってかいたりして、人と分かち合いたい、
僕がいいと思ったものを、誰かがいいと思ってくれたら嬉しい、そう思うことは
いっぱいありますので。
それが、ブログを介してなのか、リアルタイムで一緒に、なのか、そこには
大きな違いがあるのでしょうね(笑)。
期待しないで旅を続けようと思います。(笑)。
ということに気づかせてくれた柴門ふみさん、読んだのは20代の時以来だと思うので
一人の読者として感謝の気持です。
作家さんっていいですね、作品が後世に残ってこうやって時間が経ってからも
人に影響をあたえることがありますので。
僕にできることはなにかな?あるかな?