福島滞在の最終日になりました。
仕事の方はうーん、って感じですが、最近、運命論者的なパワーが
さらに拡大しているようで、

すべての物事は、なるべくしてなっている。
すべてベストの結果なのでそうなっている。
本当に大切なことはすでに達成できてきている。

という考え方でいこうということで、
自分で自分にオッケーを出し、
知り合いに対しては、
なんとなくまだまだ努力が足りないというような
ことをうじうじ言っていたりもしながらも、その辺がまだまだのところで、
そういうことすら言わなくなったらなお、良いのだろうなぁと感じながら、
どんどん前向きに行こうと思っていたときに、

感じたことがありまして。

「無理やりな前向き感」はぼくはすごく良いと思っているのです。
結局、なるようになりますからね。
でも、もし前向きになるのが辛いときというときがあったり、
そういう人がいたりするときは、
やっぱり前へ「進まなければならない」と思っているときで、

とりあえず
向きがなんとなく前さえ向けばあとは流れに乗っていく、
ちょいとくらい斜め前でも全然大丈夫!

ということなのです。

この微妙な考え方の違いが
大きな違いになって現れてくるなと思うのです。
無理しなくていいから、理想をイメージして、それに感謝し
そして、ささやかに自分の進む方を、すすまねばならないという「ならない」ではなく
なんとなく、向いている、というだけのマイルドなポジティブさで
大丈夫なのです。(と自分に言い聞かせてる)。

そしたら!

今日、レンタカーを止めていたら、自分のイメージのターゲットの人たちとすれ違ったんのです。
会いたかった人たち。それはある職業の方たちだったのですが、
さっと行ってしまいました。
海外からお越しの方。ここで会うだろうと数年前から感じていた人たち。
話しかけすらできなかったのですが、そういう人たちがいるということが
その存在を知れただけで十分じゃないですか。

ちょっと説明が抽象的すぎて変な文章ですみません。

時間はかかっても一つ一つの「ささやかな兆し」を感じられてさえいれば
それでいいと思うのです。そして、こころをすっきりと前向きに、
残念ながら足を引っ張る人がいて、その人と離れなければならなかったり、
本当に素晴らしい出会いながら、ひょっとしたら人生で今後会うことがなかったりすることの
悲しさに更けたり。でも、人生のメッセンジャーとしてその人たちとの出会いは
とても重要で。

そしてささやかなメッセージを一つくれて、去っていくんです。

人生最終行き着くところはみんな同じ。あちらへいくんです。
そしてその流れ方はもう決められている。抗えない運命。
すなおに流れた方が自然。

そう思えればたいていのことは大丈夫。
そうか、そのことに気づくためにここへ来させられたわけね。

そう気付かされた福島滞在でした。