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 四川大地震では400近くのダムに亀裂が発生し、地震湖が出現する危険な状況となり、マグニチュード6級の余震が続き、遺体の腐敗が始まり、被災宅からの貴重品盗難が横行するという、危機が連鎖していくデンジャラスな状況が続いています。

 さて、昨日の予告通り、本日は政治力(主に日本と中国)について。
 中国人は「政治的」であるとよく言われますが、これは別に共産政権になったからではありません。確かに共産政権下の中国では政治力が幅を効かせ、政治力を持つ者への賄賂、腐敗が横行していますが、中国は中華人民共和国成立以前から極めて政治的で、賄賂も一般的でした。
 昨日、北京市は政治を産業として成り立っていると書きました。これは、様々な政治的な判断を下せる人物が、主に北京市に集中していることによるものです。
 日本人には今一なじみが浅いと思われる、この「政治力」ですが、中国の場合は具体的には下記になります。

・国民からの徴収する各種税金を左右する力、及び税金の徴収の権限
・徴収した税金の配分方法を左右する力
・産業の規制、認可を左右する力
・国有財産の処分を左右する力
・懲戒処分(死刑を含む)や名誉回復、その他の人事を左右する力

 日本の場合は上記の事柄は、主に法律に因り判断が成されます。ご存じの通り、人治主義の中国では、判断を下す人により結果が左右されてしまいます。具体的には、政治力次第で莫大な国有財産を捨て値で買い受けたり、規制を無視して産業を興したり、莫大な収益を得ながら税金を回避したり、自分の会社に優先的に補助金を出させたり、収賄で逮捕されても無罪放免させることが可能になるのです。
 事実上、できないことは無いのです。中国で、政治力さえあれば。
 最近の共産官僚の腐敗が目に余るレベルに達し、中央政府は腐敗撲滅に力を入れています。日本人ならば思わず唖然としてしまう巨額の不正を働いた官僚が、死刑を執行されるケースなども増えてはいます。が、これは要するにその官僚の政治力が足りなかったからである。と、中国人は考えます。政治力があれば助からない命も助かるし、その逆もしかりです。
 中国人は共産党内の人事に夢中になり、序列がどうのこうのと拘りますが、これはその人物の地位により、振るえる権力に差が出るからです。序列が強い、つまり中共総書記に近ければ近いほど、政治力が高いということになります。無論、胡錦濤や温家宝は未だに共産党の全権力を手中にしたとは言えない状況ですので、共産党内では各派の政治的な争いが今日も続いています。
 昨年夏に、上海閥の次期トップと目されていた陳良宇が逮捕されましたが、これなどは典型です。上海閥と胡錦濤ら共青団(中国共産主義青年団)閥との政治的な争いに、上海が敗れた結果、陳良宇は逮捕されたのです。
 中央のトップ(党総書記)に近ければ近いほど、権力が強まる。北京市の住民が選民意識に浸るのも、政治力を持つ人物の知り合い(または知り合いの知り合い)で、様々な政治的な判断を左右できる人物を知っている、あるいは知り合える可能性を持つからです。
 これはそのまんま、中華民国成立以前の皇帝制度と同じです。清帝国以前の中華帝国では、皇帝に近ければ近いほど政治力が高まり、腐食役人や宦官が暴政を行う一因になっていました。皇帝を取り巻く人々の政治的な争いは、今の中国共産党内の派閥争いと全く同じで、中国共産党の「国体」が中華帝国そのままであることを窺わせます。
 勿論、例え皇帝であっても、絶えず権力を奪われたり、惨殺される可能性があります。中国の歴史上、政治力を失った皇帝が廃立されたり、殺害された例は枚挙の暇がありません。
 胡錦濤は無論のこと、江沢民以前の中共の支配者たちも、絶えず政治力を失う危険に脅えていました。「マオ」などを読むと、毛沢東でさえ日々政治力を維持することに汲々し、毎日を脅えながら暮らしていたことが分かります。だからこそ毛沢東は文化大革命を起こし、自らの政治力を奪う可能性がある劉少奇や、彭徳懐を紅衛兵に攻撃させ、悲惨な死に追い込んだのです。

 さて、中国の話を読んだ後に、翻って日本を見ると、本当に幸せな国だと実感するでしょう。
 法治主義で成り立っている日本は、殆どの政治的判断、行政的な判断は法律に則り、粛々と行われます。が、勿論、日本にも行政裁量や、「ある人物」が左右できる政治的判断などがあり、政治的な闘争が皆無というわけではありません。
 例えば、身近な例であれば確定申告時に「経費」と「否」を判断する最終的な裁量権は、その場の徴税局の役人が持っています。そのため、昨年は認められた経費が、今年は認められないという、腹の立つ事例が起きうるわけです。
 あるいは、予算。特に各地方に対する、公共事業費の配分。これなどは、もろに政治的な影響力で、便益を受ける人が変わってしまうケースです。このとき、政治的な影響力を振るえる人物は誰でしょうか? 当然ながら、政治家です。
 分かりやすいので、この例で話を進めます。
 毎年、予算の時期になると、各地の代表団(役人含む)が東京在住の地元政治家を訪問し、地元に公共事業を持ってくるように陳情します。(最近は減っているんですかね? とんと報道を見なくなりました。)なぜ地元政治家を訪問するかと言えば、それは彼らがその政治家に対し政治力を行使できるからです。つまり、彼らの言うことを聞かないと、その政治家が困る羽目に陥るということですね。
 それでは、この場合に地域の代表団が持つ政治力とは何でしょうか?
 それはずばり、集票力です。選挙の時に、この地元政治家に投票される票の数を左右できること。これがこの政治家に政治力を行使する際の、一番の武器なのです。
 当たり前といえば、当たり前なのですが、意外にこの事実に気が付いていない日本人が多いのです。
 現代の日本政界で、創価学会の政治力は確かに大きいのですが、これがなぜかと言えば、創価学会に集票力があるからです。
 逆に言えば、陳情団体の票が不要な人に対しては、政治力は全く働きません。宮崎で集票力がある団体が、茨城選出の国会議員に対し政治力を効かせようとしても、無理な話なのです。(この場合、陳情団体は地元議員を動かし、茨城選出議員に対し影響力を行使しようとするでしょう。)
 わたしは別に現在の日本政治に満足しているわけでは全くないのですが、この「集票力」が政治力に繋がる今のシステムは、非常に真っ当だとも思います。少なくとも、中国のように「誰かを知っている」「その誰かを動かすために、賄賂を渡す」が政治力の基本である国よりは、はるかにましでしょう。
 
 日本において政治力の源泉となるものは、「集票力」である。
 この事実は、今後の日本で生きていく上で、大変重要であると、あるいは重要になると確信しています。そして今の混乱する中国を見ていると、その確信がますます強まっていくのです。

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