レーシングドライバーになるまでの道その2

 

こんにちは!akiyamaです!

熱く語ったら長くなってしまった車人生のお話

今日はレーシングチームに入るまでの障害(またか!)と

レーシングチームに入るまでの経緯のお話です!

 

 

 

23歳、ブラック企業に新卒入社でボロボロ

乗る時間がなく、泣く泣く180SXを手放したその後

 

 


1年半ほど働いた時に、

「所詮社員は会社のコマにすぎない」

ということを痛感する出来事が起こり

こんなところで自分の人生棒にふるってたまるか!!と

会社を辞める決意をし

 


 

よし!これから車を買ってガンガン乗るぞと思った矢先

まさかの妊娠発覚!!!!!

 

 



でも、どうしても車を諦めきれない私は

「必ず車復活したいから、それを了承してくれるなら結婚する!」と

お腹に赤ちゃんがいながら、まさかの上から目線(よく宣言したな私)

 

 


 

その後、怒涛の子育て生活を過ごし

(ここも凄いのでのちほど語ります)

子供が3歳になり一時保育ができるようになったときに

「保育園代は払うから、働かせてほしい!」と

車の資金を貯めるため

某有名カーショップでパートを始めました

(保育園代高すぎてなかなかたまらず、独学でアフィリエイトを始めたのもこの頃

一時保育で預けられる時間が限られていたので、合間をぬってPCを弄り、夜は夜泣きが酷かったので常に寝不足でした)

 

 

 

 

その情熱を神様が見ていてくれたのか

その時も本当に運が良く、

たまたま学生の時に繋がりのあった走り仲間と偶然職場で出会え

まさかのずっと乗りたかったツアラー(JZX90マーク2)を買えることに!!

 

 

 


そのあとは

もう学生の時の過ちは犯さない!!と

またお金もないのに

・ノリと勢いだけで某サーキットの走行会に女1人で参加しまくり

・ノリと勢いだけでオフィシャルをやるからとお願いし格安で走らせてもらい

・ノリと勢いだけで某有名ドリフトチームと仲良くさせてもらい

(女1人で走行会に参加してガンガン走って、話しかけてくるのはまずいないと言われた)

 

 

 


そんなこんなで大会に出ようと思っていた矢先

そろそろ二人目作りなさいという周りからの強い圧!!!

やっと子供が幼稚園に入り、一緒にサーキットに連れて行ける年になったのに

また私は走れなくなるのか!!と笑い泣き

 

 

 

でもちょうどこの時

周りからの圧&引越し&旦那の転職&諸々・・・

色々なことが重なり続き、欝になってしまった私は

(これもまた凄いので、別で語ります)

 

 

 

 2011年の東日本大震災がきっかけで

「この子一人だけ残せない」→この想いのおかげで欝から抜け出せた

「もし私に何かあっても、兄弟がいたら救われるんじゃ」→私も兄弟がいて良かった事を沢山経験した

という思いから

二人目を産む決心をしました

 

 

 

 

その後も、もちろん車には乗れなくなり

(しかも引越し先の駐車場代が高く、出産で仕事をやめた私には払えず

実家に置いてもらっていたのでますます乗れなかった)

また泣く泣く大好きなツアラーを手放すことに

 

 

 

この時は

忙しさと自分の環境の辛さと自由のなさから

もう車には戻れないんじゃないか

という、理想と現実のギャップにやられ

 

 

 

ノリと勢いで進んできた私も

いままで大好きで見ていたオプションやドリフト天国のDVD(時代を感じる笑)を

一切見られなくなった

見ても、どうせ乗れない、ただ辛いだけ

ふと流れる車のCMでさえ、見るのが辛かった

 

 

 

せめて車と関わりのある環境にいれば違ったのかもしれないけれど

引越しと共に某カーショップも辞めてしまった

出産して保育園に通わせたいものの、

恐ろしい数の待機児童という現実(長男を幼稚園に通わせるのも物凄く大変だった)

 

 

またドリフトをやりたい!!戻りたい!!

でもこんな環境で戻れるの?

どんどん歳もとって、サーキットも若い子ばかりのなか

おばさんが1人で走れるの?

 

 

 

理想と現実の間で右往左往しているうちに

あっという間に時間だけがすぎて、気づいたらもういい年に。。

 

 

でもそこから、また這い上がる出来事が!!

 

 

 

長くなってしまったので、レーシングチームに入る話はまた次回!!