さぁ、受験シーズンということで
名作「山月記」を読み直してみました。
終わりまで読んで
気になるとこを2つ挙げてみます。
まず、最後の最後に李徴は
虎になった自分自身の姿を
袁傪に見せるシーンがあります。
李徴は自分の姿を醜悪な姿だと思い
袁傪と会話するとき
叢の中から出てこようとせず
自分の姿を見せることはありませんでした。
しかし、次に会うときは
李徴は誤って袁傪を喰らうかもしれない![]()
それを防ぐために
自分の醜悪な姿を見てもらうことで
再びこの道を通ろうと思わせないために
自分の姿を見せることにします。
さて、この最後に親友である袁傪に
見せた李徴の虎になりはてた姿![]()
実際は醜悪だったのでしょうか![]()
![]()
その記述はありません。
山月記のテーマである
臆病な自尊心と尊大な羞恥心![]()
過度な自尊心が李徴を虎にしました。
その一方、尊大な羞恥心が自分を醜悪だと思って
叢に隠れて袁傪には自分の姿を見せなかったのですが…
僕は思います。
虎になった李徴は、本人が思っているほど
醜くはなかったのではないかと。
実際のとこ、自尊心(=自意識)
なんて、本人だけの問題のような気がするのです。
よく自意識過剰なんて言います。
なにか自分にコンプレックスがあるとか…
自分だけスタイルがよくないとか…
今日は髪型が決まってないとか…
実はこれって、気にしているのは自分だけなんじゃない?
周囲の人は、自分のことで精一杯
あなたのことなんか気にしてないよ![]()
ということもあるかと思います。
特に若いころは、往々にして自意識過剰の時期でもあります。
そして、この作品が高校生の教科書に掲載されることにも
深い意味があると思います![]()
そして、李徴は過度の自意識の高さのおかげで
虎になった自分を自己分析し
素晴らしい教訓を残してくれました![]()
流石は名作ですね![]()
最後にもう一つ。
『山月記』の冒頭で、李徴と出会ったとき、袁傪は月明かりを頼りに歩いていました。
ところが最後の場面では、「すでに白く光を失った月を仰いで」と描写されています。
日が昇っていき、月はどんどん姿を消していく。
これは単に時間の経過だけを表現しているわけではありません。
この山月記3で書きましたが
時に、残月、光冷やかに…
ここでも
月の光が失われていく情景が描かれています
そして、この描写は
李徴の人としての心が失われていっていることを表しているのです。
すごいです![]()
終わりには月が見えなくなり
李徴の人としての心もなくなってしまう…
「山月記」
この題名が作品を
しっかり表していますね。
音楽を聴いてなぐさめられたり、映画を見て共感したり、
元気づけられることがあると思います。
文学にも、その作用・効果はあります。
むかしの人も現代人と同じことで悩んでいて、それを形に残してくれています。
教科書に掲載されている身近な名作
是非、味わってみて下さい![]()
