昨年末起こした部下の不祥事により、私の上司は責任を取ったのか、将来を悲観したのかわからぬが退職願を出し受理された。私は異動という形で、この件については落ち着いた。2月頭に内示はあったものの、いつ辞令が出るのかと考えると生きた心地はせず、発令され着任までの期間が3日間と、心身の準備もままならなかった。

 

「俺らは会社を必死で守ろうとするが、会社は俺らを何も守ってくれない」

前上司が遺し、達した言葉に両手で握手し別れた。直ぐに同業種に再就職されたのだから、良き将来があると信じている。

 

「卒業まで見届けることが出来なかったし、自分らに悪い遊びを教えることが出来なかった」

と私が男の学生バイト達に言うと抱き合って別れた。女子社員から餞別で戴いた、男なら絶対に選ばぬピンク色のネクタイは、繊細なセンスを感じた。

 

新しくなった職場は、今まで以上に出勤時刻が早くなり、自宅から遠くなった。拘束時間だけは相変わらず長いのであるが、比較的時間に余裕があり、あまり追われることもないようで、空想に耽る一時だけは確保出来そうだ。私の職位は変わらないのが唯一の救いなのだろうが、明るい未来はあまり見えて来ない。年上でも私に向かって敬語で話しかけられるその環境は、およそ人の顔色ばかり伺っていた十代の頃を思い出す。その病徴は筋肥大と共に改善されてきたわけであるが、会社というものはストリップと違い10日間の人間関係とはいかず、言葉には細心の注意を払わなければならない。

 

更に頭を悩ますのは、最新の精算機を使っており、高度なセキュリティを持つそのマシンは、傷の付いた紙幣や硬貨を一瞬で弾く。その度に打たなければならぬIDとパスワードに閉口した。不正は一切出来ない仕様となっている。新品の二千円札は自分の千円札二枚と交換していたがこれが出来ない。これだけキャッシュレスの時代だと言われていようと、世に出回るものは損貨幣がなんと多い事だろうか。クシャクシャの札に限っては、札リングにしたのだと思えば合点がいくものだ。踊り子のバストにチップを挟むのが最近の主流であり、ある意味ストリップ的と言えなくもないが、これを私は好まない。ニアミスがあるかもしれないと思うこともあるが、私の考えが古ているのかもしれない。

 

昨年秋頃から、抜けない疲労が全身を覆っていた。不快な塊のようなものである。劇場に行けば、少しだけ和らぐこともあるが完全には抜けない。帰宅途中、シートベルトを付けないまま、その間ずっとアラームは鳴り続けていたことすら家に着く直前まで気付かないことが度々あった。自宅のドアを会社の金庫の鍵で開けようと、必死にもがいている自分自身にハッとしたものだ。

 

そんな時、駐車場に捨て猫がいることに気付く。最初は煙たがっていたものの、犬のように吠えるのではなく、鳴いていたとしても弱々しく干渉してこないから放っておいた。毛並みが茶色と黒色の2頭である。ペット不可の賃貸など、どんなに可哀想でも飼える筈も無く、目を合わさないようにしていたのであるが、毎日のように私に向かってか細く鳴くものだから、コンビニで買った猫缶を上げたら飛びついて来た。

「おぉ、可愛いではないか」

と些かの癒しを求め、私は餌をあげるようになる。その後、毎日私の出勤と帰宅を見届けるように、ちょこんと座って待っているようになった。缶を開けたままというのは、口を切りそうであったので、紙の皿に開けてからあげるようにした方がより衛生的だと思い、直ぐに変えた。

「そうか。夜の暗い内に餌を上げ、明ける前にそのゴミを処理すれば、管理人に気付かれることはないではないか」

まさにコロンブスの卵ともいえる大発見とはこういうことなのであった。

“外で飼う”

この距離感こそが私にとってペットを飼うには調度良かった。

「外にいるのだから、脂質が多い方が良かろう」とトレーニングで培った知識は、こんな時に役立つものだと思った。しばらくしていると車の中は栄養価が高く、旨そうな餌だらけになっていた。雨の日や、寒い日など、待っているところにいないと、どこか切なくなるものなのだ。どこまで我儘で気まぐれなやつなのである。

「お腹を空かして待っている筈なのに」

「この寒い大阪の冬を越せるだろうか」

と締め付けられるように焦がれたもの感じた。

 

いつの間にか2頭だったのが4頭になっていた。何の問題も無い。それぐらいの甲斐性はある。得意気に猫好きだという女性にこの話をすると

「あなたは猫の繁殖能力をわかっていない。本当の猫好きならば、放っておくのが正しいのです」

リアルな言葉に唖然とした。共通の話題で盛り上がり、あわよくばという甘い期待は脆くもあっさりと崩れた。

 

寒緩まり、生暖かい風が花粉をまき散らしながら、まなこをジクジクと苛んでくるこの時期、かくも季節の移ろいを人は感じえずには得られない。このうららかな陽気に、いやが上にも春を覚える3頭の後半、石原さゆみちゃんが晃生ショーに2年ぶりに特別出演する。

 

実を言うと私は怖かった。今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、それも日本のストリップを席捲している春野いちじくちゃんと望月きららちゃんが乗る香盤である。きららちゃんは周年も重なっている。長いブランクは、何を感じるか不安なのであった。ステージを離れた2年の月日はあまりに大きい。しかしながら板の上では同じであり、実際に観るものが真実である。

 

もしもあの時の記憶と大きく異なっていたら―。

感情を押し殺し、愛想笑いと営業スマイルだけは身に付いている私は、その場限りできっと上手くやり過ごすかもしれない、そう思っていた。

 

長きに失した演目は黒猫であった。黒いジャケットに黒い耳、黒の尻尾を纏い、盆の上では、黒いスティックを巧みに回す。随所に魅せる猫の仕草がなんとも愛おしく気紛れだ。「さゆみちゃんは何も変わっていないな」と思わせる。

ああまただまされると思いながら ぼくはどんどん堕ちて行く

 

白髪だらけになった髪を黒く染め、午前5時に剃った髭は泥棒のように青々としたものだから、劇場入る直前に剃り直した。下ろしたてのスーツは纏えば、引退週の前週、最後の上野で別れたぐらいの男になっていようと私はステージと対峙した。

 

「最後の読んだ」

私に合うなり開口一番言うものだから、一瞬何を言っているのかわからなかった。まるで二週前に会ったかのような会話である。

 

積もる話は色々あったのだけれど、流石にこの場で長々と話せまい。その一言で一気に吹き飛んだ。私は、「関西の薄い客の顔ぐらいは覚えてくれていれば有難い」と思っていたにすぎなかった。百往復の校正を重ね、もう二度と読みたくないというところまで推敲し、夜を徹して脱稿した。そうして上げた瞬間、直ぐにでも削除したい衝動が何よりも大きく、今でも二行すら読み返せない程の赤面する出来である。別に手紙も渡していた。身内にだけは評判が良いものだったと記憶している。まさか読まれているとは思わなかった。

「恥ずかしいです」

客なんてものは一方的な片思いなだけであって、観るだけが全てなのだから、どう思われようが構わない。「どうせもう逢えないのだから」と仕上げたのであった。

 

短くない私のストリップ歴のなかで、最近間違えていたことがあり、その誤りを改めなければならないことがある。それは「行けない」と言ってはならぬことである。オリンピック選手など、「TVで茶の間から応援している」とかよくある話なのだけれど、ステージに立つ演者に対しては、言ってはいけないそうだ。

 

新規出店の応援メンバーに選定され、いつでも動けるよう自宅待機をするようにと会社から命じられていた。引退が決まっている踊り子など、客が無理をする時と心得ていたとしても、しかしどうやっても行けないのだ。その時も確かに聞かれたと記憶している。美しくない日本語は掲示板だけに任せ、物書きの私は

「大阪から同じ月を観ています。最後までお怪我などありませんように」

と、今後はそう別れを言おうか(笑)。

 

引退作だけを見届けぬまま、私はさゆみちゃんの観劇を終えたのであった。もっともそれが運命だったのである。冗談で「さゆみちゃんが晃生所属だったら良いのにね」と言ったのも恥ずかしい限りである。

愛しい季節は流れて 運命と今は想うだけ

多くを観た上であなたが好きだと言う方がはるかに説得力を持つだろう。私の目に全く狂いは無かった。

 

四季の移り変わりを通じて、可憐な少女の別れを趣向のあるギミックを使いステージで演じてあげていく。復帰するにあたり、色んな葛藤もあったことだろうと思う。「新作観て欲しかったんだ」と書いてあったが、3演目全てが新作ではないか。旧作で舞台へ上がろうとも、誰も文句を言えやしない。

 

さゆみちゃんのステージが好きなのだ。この想いに応えてくれるのが待ち遠しかった。

 

テラ氏が

「あなたが追い駆けていたわけがわかりました」

と興奮気味に言っていた。

「引退間際のさゆみちゃんは、演りたいことを全てやっているようにも思えるぐらい、出し切っていたように思えたんですけどね。まだまだステージ意欲が沸いてくるみたいですね」

それに勝るとも劣らない圧倒的なステージにお互い舌を巻いた。

 

押しに押した今週の晃生。演目後にオープンショーをする時短を随所に見せていたが、この演目後、オープンを観て、リングを付けてあげ帰っても良かった。しかし帰ったところできっと醒める事無く眠れやしないであろう。長居し続けるのも私らしくない。晃生の4回目のポラに並ぶのはいつ以来であろうか。

 

時を超えるこの想いは 愛の他何があるのでしょう

 

「良い演目だね。さゆみちゃんを好きだった頃を思い出したよ」

「何それ。今は嫌いみたいじゃない」

「心配いりません。今でも一番好きですから」

一瞬頬を赤くしたようにも見え、さゆみちゃんは笑っていた。

 

 

20193頭 晃生ショー (3/15

(香盤)

  1. JUN (西川口)

  2. 琴叶 (晃生)

  3. MINAMI (まさご)

  4. 春野いちじく (TS)

  5. 望月きらら(晃生) 周年♪

 

20193頭 晃生ショー (3/610

(香盤)

  1. JUN (西川口)

  2. MINAMI (まさご)

  3. 石原さゆみ (道頓堀) 特別出演

  4. 春野いちじく (TS)

  5. 望月きらら (晃生) 周年♪

 

観劇日:3/1(金)、6(水)、8(金)

 

年に数回は行っていた関東に一度も行けなかった。端的に言うと連休が一度も無かったのである。初日に香盤順の答え合わせをする客の特性は、ほぼ2点で全国のそれをピタリと当てられる精度を私は保持し、ストリップからいつまでたっても離れられないのであるが、どんなに香盤を眺めていても、このぐらいのことしか出来ぬまま、ぐずぐずしたままなのであった。新幹線を使えばどうにでもなるのであるが、ストリップには“押し”という不確定な要因がある限り、私は歯痒い思いをし続け、もがき躊躇し続けた。繁忙期の80時間残業や、36協定などは全く意味をなさず、加えて管理職という役職は、どんなに働こうが給料が変わらないときたものだからたまったものではない。蔓延する人手不足は、多くの業界が打撃を受けている。単純な仕事でさえも限られた人数でこなさなければならず、辞めれば補充は効かない。会社には若い人が入らず高齢化し、生産性は落ち負のスパイラルに陥る。そして残された人間だけに労働時間が増え割を喰らうという成り行きなのであった。

 

たまに赴いていた関東では

「コンビニ店員にやけに外国人が多いな」という印象は前々からあった。

「日本語をもう少し勉強してから働きに来な」

当時、田舎者の私はそう思ったのも事実である。左派の虚しい応戦の甲斐も無く、外国人労働者の受け入れ法案が通った。これに私は大いに期待しているのであるが、地方にまで回ってくる日は遠い気がする。

 

12月は特に酷く、実勢で日毎2時間程仕事が増えた。「早朝から夕方まで」が「早朝から夜まで」働くこととなる。

「この単純作業を俺にやらせたら高いぜ」

プライドだけがそう思わせるが、前述した通り、実際のところ実入りに全く影響を及ぼさない。そして14日から休みが無かったわけであるから、冬季賞与を挟んだ前後の給与で非常に潤うのが毎年のように起こるのであるが、まさに使う暇さえもないという塩梅であった。

 

特殊浴場の給仕からは

「心折れへーん?」

と甘い言葉で言うものだから

「まぁ、折れるな。ストレスはヨソに逃がすしか無いもんやで」

フワフワとした不安定な所へうつ伏せにさせられ、神の涎を全身に垂らされた私には、悶えながらそう答えるのが精一杯であった。

「こういうとこ、来ること?」

「ふふ。筋肉を収縮させることさ」

馬鹿の一つ覚えみたいに、体を褒めることしか出来ない小娘相手に、束の間の現実逃避の時間を、仕事帰りにフリーで入室した私には、写真とは大きく異なったそのシルエットに激しく悔いたわけだが、目さえ閉じ、踊り子を思い浮かべてさえすれば何ら問題もあるまいと、自身に言い聞かせるしかこの場合他になかった。

 

ウチにいるバイトは決まって

「思っていたより楽勝でしたね」

と幾つもの内定を獲ってくる自ら就職活動を振り返っていた。私なんぞは、

「とりあえず、営業職以外で」

と平成大不況の中、苦労の末今の会社に決まったのであるが、就活生の諸君は、サラリーマンしかなる術がないというならば

「大手だけに絞りなさい」と先輩面して私は申し上げておきたい。

 

途中入社の方からは

「選択肢は多くあると楽ですよね」

と言われたが

「また20万から、今から一からやり直すのは、40を超えてからはさすがに躊躇してしまいますね」

と答えるしかなかった。中間管理職というものは、このままズルズルとしたまま定年だけを目標にしていくものなのかもしれない。

「この単純作業が、世界を回って出会った事の無い人の笑顔を作っていく」

ミスチルの歌詞のような境地に耽るのはまだまだほど遠い。私にはストリップに現を抜かしつつ、それが生き甲斐となり日常に彩りを加えるという日がいつか来る、そう思うしかないのであろうが――。

 

 

【演目】

ALLIY(ロック座) 「復帰作」 5結 in 東洋ショー

浅葱アゲハ(フリー) 「ギャッツビー」 11結 in 晃生ショー

武藤つぐみ(ロック座)「セマー」 12頭 in 東洋ショー

春野いちじく(TS) 「ワンルーム」 1中他 in 晃生ショー

チェリースター〈桜庭うれあ/星崎琴音〉(ロック座) 2頭 in 東洋ショー

浅葱アゲハ(フリー) 「フェアリー」 3中 in 晃生ショー他

安田志穂(ロック座) 「人間の条件」 3頭 in 広島第一

あすかみみ(ロック座)「結」 12頭他in 東洋ショー

ゆきな(ロック座)「待夢輪舞」 10in 東洋ショー

青山はるか(晃生) 「百花繚乱」 1中他 in 晃生ショー

春野いちじく(TS) 「イルカの調教師」 1中 in 晃生ショー

桜庭うれあ(ロック座) 「おばあちゃん」 12頭 in 東洋ショー

中条彩乃(ロック座) 「中条サンバ」 11中 in DX東寺

前田のの(ロック座)「ひまわり」 9頭 in DX東寺

ゆきな(ロック座)「いや/ほい」 4in 東洋ショー

清本玲奈(ロック座)「グレイテストショーマン」 6結 in 東洋ショー

矢沢ようこ(浅草)「恋は永遠」 12中 in 東洋ショー

玉菊きよ葉(TS)「バブルチャイナ」 7中 in 東洋ショー

 

 

 

1年でいったいどのぐらいの数のステージを観るものなのか計り知れないが、相当数のステージを観ていることに間違いない。私は概ね全員を2巡は観るようにしている。それでも5時間は滞在しているのだから、魅せられているのか、時間間隔が麻痺しているのかどちらかだろう。「全員が一演目なら1巡で帰る」と常々公言してきたのが良かったのか、投光技術が上がったのかはわからないが、最近は演目数が増えすぎて、困るという贅沢な悩みまで増えて来た。身勝手ながら周年作は1演目でも良いのではないかと思えてきた。

 

行った香盤を全部眺めてざっと選んでみたら18演目となった。2018年の1位はALLIYちゃん。噂に聞いていたが、凄いパフォーマンスを披露してくれた。東洋に1週しか乗っていないのは寂しい。

 

感度が鈍った私の奥底に深くに眠る琴線に触れ、思わず前のめりなるほどのステージに出会うのもこれまた喜びである。「自分が正しい」と確認し合う議論ほどつまらぬものはあるまい。そして読者自身の価値判断を思い返して頂ければ、私の目的の過半は達したこととなる。

 

※タイトルがわからぬものは、そのイメージとした。

 

【劇場】 4劇場 57

37回 東洋ショー

16回 晃生ショー

 3回 DX東寺

 1回 広島第一劇場

 

入場料だけを考えると、東洋だけになりそうだが、やはりそうはならなかった。日帰りで行けるとことなると限られてくる。ステージを観ることに限って言えば、東洋は、全く申し分は無いが、従業員の干渉度が高くストレスを生じる。晃生はステージのカット比率が非常に高い。東寺と広島は自宅からの距離とポラにやや難がある。しかしながら、自分が思うアレルゲンの無い100点満点の劇場などありはしないのだ。

 

【踊り子】 お会いした踊り子は調度100

10回 榎本らん/渚あおい/春野いちじく/ゆきな

9回 北原杏里

7回 あすかみみ/大見はるか

6回 浅葱アゲハ/上野綾/坂上友香/左野しおん/中条彩乃

 

以下省略

 

観られる劇場が限られるので毎年のことながら好まざるとも寄れる。

尚、ポラの枚数はわからない。上位で撮らない踊り子もいるが記さない方が良かろう。

 

 

【オープンショー】

中谷ののか(TS)

春野いちじく(TS)

中条彩乃(ロック座)

小宮山せりな(浅草)

ゆきな(ロック座)

青山はるか(晃生)

北原杏里(晃生)

 

楽しくてしっかり見せくれて、オープンしてくれたら良い(笑)。

 

 

ストリップを意識して観だして2019年で10年を迎える。その間紆余曲折はあった。短期の休みを挟みながら、今でも私は飽き足らずに劇場に足繁く通い、ステージを観続けている。気持ちはあの頃と何も変わりはしない。その時観ていた踊り子は、当然のことながらほとんどが引退してしまった。幸せに暮らしていると信じている。

劇場にいれば

「昔は良かった」

と年寄り連中の常套句を聞かされることが多々あるのだが、昔話に説教、それに自慢話も加わり、年寄りの垂れることなど右から左なのだが

「どうせエロ写真いっぱい持ってんだろ。勃たたないチnポを一所懸命こすってな」

と申し上げそうなところを

「篠崎ひめちゃんは良かったですね~」

と年寄りの好きそうな話題に終始し、嬉々とする彼らを相手することも多くなった。「いいね」や「シェア」が欲しければ、褒めとけば問題無いのであるが、「気に食わない」とか「物足りない」とかの所謂、ロビーの声などは聞こえもせず、それらはプロならば当然のことながら有っても良いのではないかと思う。それを親友のテラ氏に愚痴れば

「あなたも誉め言葉しか書いていない」

とお叱りを受けたのであるが

「大阪には2館しか無いですから」

と自己矛盾を指摘され、思わず発信する難しさを感じた次第である。

 

劇場の減少の流れに伴い20人程いた好きな踊り子が15人ぐらいに減ったぐらいで、当時好んで観ていた踊り子を現在の私が観たとて、その時の感情になるのかはわからない。それぐらい今のステージの方が優れていると、はっきりと断言出来る。大きく変わったのは、女性客が増えたこと、オープンショーでチップを渡す客が増えたことぐらいで、ハード面の変える必要はあろうが、ステージ重視なところに何も変わりはしない。

 

最初、私は自信に満ち溢れイケイケでストリップと対峙していくわけであった。踊り子のやりたいことはわかるし、他客との付き合い方もわかる。使える時間や金は他よりずっと多いはずであった。しかしどうしても納得できないもの、そしてただどうしても克服出来ないもの、それは私のステージの評価と世間とのズレであった。それが書くきっかけでもあった。

 

当ブログを立ち上げた頃は、文章に稚拙さが目立ち、今目を通しても目を背けたくなるものばかりである。これを機会に再編集し文体の統一を計ろうかとは思ったが、元よりそんな時間を確保すること許されることもなく、このままという形にして辱めを甘受しようと思う。文章表現技法は私の人間成長度合いを映し出す鏡だといえましょう。本当にありがとうございました。

 

(敬称略)

 

豪雨、地震、台風、最後に地震と、今夏日本列島が襲われた。これだけの短いスパンで自然災害が重なることは珍しい。毎年のように来る猛暑が、異常気象と感じられなくなった矢先、一夏で甚大な被害に覆われた。大阪北部地震は震源がすぐ傍で、台風は経路の真ん中を生活の拠点にしており、それらは恐怖を超えて、死すら感じさせるほど自然の力に、私はただただ畏れること以外に無かった。

 

地震も暴風雨も地球にとってみれば、地表でたまたま起こる変化にすぎない。それが大災害となって牙をむいた。人間が抗えない大きな力が天地とすらならば、どんなに神々の名を叫んだところで、古代は天照大神やゼウスでさえもその一切の愛を否定し、なんと無慈悲で理不尽なものなのだろうか。私達はその度に、立ち尽くし嘆き悲しむ他はない。

 

「すぐに営業を再開せよ」

「出来る状況ではありません」

本社からやっと繋がった社内電話の第一声からは、従業員の安否すら聞かれることは無かった。それでも清い日本人の特性なのか、次々と遅出の社員が出社して来る。地震では水道管が4本ずれ、社内は水浸しとなり、そしてガスは止まった。その修繕は深夜にまで及んだ。台風では、雨漏りと電気がしばしば止まった。その度にけたたましく鳴るセコムのアラームを解除する一日が続いたのであった。

「営業はしているのか」と

「納品トラックが事故や横転したので遅れる」

という電話しかその間聞くことは無く、帰宅難民と化した社員を道路に無数に散らばった瓦を避けながら、

「替えたばかりの新品タイアだからパンクすることはない」

と私は言い聞かせ、彼らを家まで送るというのが唯一の仕事であった。

 

「あぁ、いったい俺は何をしてるんだ。無駄にある体力は、一日中瓦礫撤去ぐらいは出来よう」

とこんなに困っている人が多くいるのにもかかわらず、何をやっているのだろうかと考えるには十分であった。

「いつ死ぬかわからない」と将来を悲観し、使いたい時に使っておいた方が良いと観念的に思えども、やはり現実的には備えが必要であろう。そして多く働いて、税金を納めるしか結論にしか辿り着かないのであった。広域に渡り停電や孤立など、二次被害も甚大であった。労り、支え合う力こそが希望を与えると信じるしかない。

 

今は信じよう 未来はこの想い値する価値のあるものだと
1つの愛を守るため すり抜けていた 全てに意味があったと・・・

 

じくじくとした晩夏の長雨も上がり、カラっとした高い秋空が涼しい風を運んでくれそうな気配はまだ遠いようで、少し動けば汗が背中に貼り付けてくる。まだまだ残暑厳しい。そんな中、東寺へと向かう。DX東寺は回数券を持っていないと、初回購入時に2万円近く使うことになり、3回行く見通しが立たないと、その残を余してしまう。東洋などプリカを持っていさえすれば、金を使っている感覚が一切無い罠に嵌り、ズルズルと常連化していくものなのであるが、東寺は直近のプロ香盤の発表でさえもままならないので、長い目で見れば確実に使用出来そうであるが自然と足が遠くなるのである。

「在庫と金玉は軽い方が良い。何故なら、冷静な判断が利かなくなるからだ」

先輩社員に教えられ、それを是とし、私は判断に迷った時の指針としている。大阪二館の方が家から近く、京都までの下道は間違いなく渋滞に巻き込まれるのも大きな理由であった。

 

「悠那ちゃんから引き継いだアゲハさんの『フェアリー』が進化している。それをまさごで出した。そして東寺でも出す予定とのことです」

熱心なアゲハさんファンの応援さんから聞き、食指をそそられる。

「『フェアリー』は晃生で観ましたからね。天井の高い、まさごや東寺でどうやってポールをやるのでしょうか?」

「それは観てのお楽しみです」

 

この「進化している」や「良くなっている」という言葉がツイッターで散見されるが、これらの言葉に私は深い嫌悪を抱く。それらの踊り子への軽すぎる称賛が、私に言わせればどうも誉め言葉になっていないのである。初日1回目と楽日4回目のデキが違うというならば、プロの踊り子として如何なものかと思うのである。およそ10日足らずで進化するなど到底思えないのだ。

「普通、一香盤一回ですね。それが初日のみとするならば、一回しか観られない客が、デキの良く無いとされるステージしか観られないとは、プロの踊り子が許す筈も無く、あり得はしませんね」

私はこう答えるのである。楽日観劇を好む彼に

「それは楽日というセンチメンタルでエモーショーナルな動機が入っているからです」

と言い放った。引退楽日の4回目でもあるまいし、そんなことは、私は見る限りありはしないのだ。そんな彼とは大いに議論したのであるが、「良くなっている」としか言わないのである(笑)。

「いやぁ。休みにもよりもますが、楽日は行かないですね。出来れば週末も避けたいです」

「何故ですか?」

「客数が増えると会いたく客が比例して増えるからです」

劇場とは社会的に似つかわしく無い客が空間であり、男の私から見てそう感じることが多いのであるから、女の子である踊り子は相当怖いのではないかと思えるのである。今頃になってまたタンバリン、リボン問題が再燃化している。これが踊り子発信であるから、問題なのである。

 

“素人”や“ド素人”がプロの演目やプロが作った音楽に手を加えることはどういうことなのかを考えてみれば容易であろう。西日本一の客数を誇る東洋がこれらを禁止していることを考えれば、問題が多いことは自明である。「盛り上げるため」という、独りよがりの使命感と大義がそうさせるのであろうが、東洋が盛り上がっていないのか。しかしこの劇場は手首が疲労骨折するのではないかと思わせる程の大きな音量で、壁際にズラリと立ち見しながら強く手を打っている客があまりに多いのである。ベッドショーで叩いている輩はどういう神経なのか疑いたくなる。

私は何も踊り子の為に言っているのではない。遊びを最大限楽しむために環境を整えることが必要なのだ。

 

東寺の遅い回転盆は、ずっと踊り子が見つめているのではないのかさえ思える程だ。

「北原杏里ちゃんなんか、ずっと俺の方をみているんだぜ。いやいや、他劇場よりも暗い劇場なのだから、客の顔も見えないではないか。勘違いも甚だしい」

と我に返ることは無く、スト客特有の都合の良い思考は、プラスの作用をもたらした。ダンスは一切関係無く眠りに耽っているカブリのEDリハビリ老人客と私もそう変わらない。これが多種多様な人種が集合する小屋のあるべき姿なのだ―、と。

 

紫の光が斜めからクロスして前盆を中心に照準に合わす。東寺独特の照明とスモークは、他の劇場に無い空間を浮かび上がらせる。盆よりに高くセットされたポールは晃生で観た時と違い、遥かに見応えがある。

「悠那ちゃんも東寺に乗っていたらやっていたのかもしれないな」

目をこらせば浮かび上がらせ、耳を澄ませば聞こえて来る。過去の演目など、それがより美化されて脳裏にあるもので、なかなか覆るものではない。しかしながらそれもやはり断片的になり、点となっていくものなかもしれない。まだまだ私の記憶も確かなもので、悠那ちゃんのフェアリーもアゲハさんフェアリーとして上書きされていくのだったら私も本望である。やはり追い掛けていた踊り子の演目を引き継いだとは色々な想いが交錯するのも事実であった。

 

暗がりで携帯電話を広げる外人客がいた。集団で7人である。日本人客は皆、気付いていたはずだ。それが私の二つ隣の連中であるから困ったもので、本音を言えば見て見ぬ振りをしたかった。この場合、従業員に注意してもらう方が正しい。

「ノー、スマートフォン」

と震えながら私が言うと

「オッケ、オッケ、ソーリー」

と応じてくれた。さすがにタトゥーの柄が膨張してパンパンに張っている筋肉質の外人に注意するのは、どう考えても怖いではないか。

 

「HAPPY DAY」が流れると彼らの熱狂と興奮が止むことは無かった。

「ラッキーだな。どうせ日舞か盆踊りを想像していたんだろ。初めて観るのがアゲハさんとは恵まれているんだぜ。日本のガラパゴス化したストリップを自国へ帰った時に宣伝しときな」

と笑って彼らと握手を交わした。

 

 

 

20189中 DX東寺

(香盤)

  1. 浅葱アゲハ(フリー)

  2. 神崎雪乃(晃生)

  3. 永瀬ゆら(林)

  4. 北原杏里(晃生)

  5. 浜野蘭(川崎)

 

観劇日:9/19(水)