徹夜通信@ブログ
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閉塞する退屈は不在するコミュニケーション

退屈な時にすること。おそらくは、それがその人物の最も好きなことだ。

二十代も後半になり、少しずつではあるが増加する拘束事項が鬱陶しく

イメージするものと出来ることのギャップが明確になる。

自分が好むもの、退屈を遠ざけるものが刺激的な快楽であれば、ギャップは

埋めがたい大きさとなって現れる。快楽に、イメージや身体が付いてこない。

アンバランスな憂鬱と鬱陶しい現実の境にあるイメージは、それ自体が持つ

欲望を少しずつ色褪せて見せ、やがて追うものと追われるものの立場はすっかり

入れ代わる。結局は同じ穴の狢。システムに取り込まれて、気が付けば取り

戻せると思っていた輝きは見えなくなり、システムの中でコピーのコピーの

コピーとして生きる。破壊的な衝動を作り出しながら矛盾した生活を企業や

政治に反映させながら世間の端で死ぬまで生きていくのか。



欲望を満たすことは、労力や経済力や時間を費やす。快楽の重労働だ。

自分の身体の限界を超える行為をしなければ入手できないし、

自意識は矛盾した格納を引き起こさせる。恋愛やフリータといった都合の良い

言葉で隠蔽されている事実は、曖昧に過ごすことを許す嘘の上塗りに過ぎない。

欲望が無い場所にいれば生涯欲望は発生しないし、せいぜいTVや雑誌の

ちょっとしたエッセンスを本気にする連中が量産されるだけだ。

欲望のある街で、欲望の身近に生活をする。そうして初めて得るものが、

個人としての体験であり情報であり快楽である。



「試合まで3日しかないが。と質問されれば。ああ、3日しかないね、と答えるしかない。質問の中に回答が含まれている状況だ。」

先日、偶然にも渋谷の某交差点にある大型スクリーンで目にした、

サッカー日本代表のイビチャ・オシムの記者団へのコメントである。

この記者に代表される会話、つまりは結果があらかじめ決定されている

コミュニケーションは、結果が決まっている予定調和として機能し、

やがて思考放棄という結論に達する。

この国にある閉塞感と、隠蔽された快楽は何によって発生するのか。

退屈を超えることは容易ではないことも分かっている。

良い大人がガンダムやラジコンで喜び子供の頃の夢などという気味の悪い死語を

話す様は異様だ。当然ながら、若い時よりも金も力も持っているのだ。

そう言えば安定するとか、安心できるとか、そんなことを積み重ねている。

安心は思考放棄を引き起こし、安定は退屈だ。

この日本のありとあらゆるものを支配している予定調和とい名の思考放棄を

逸脱すること。誰かの為にお節介をするのではなく。

それが、私がこのブログで書くべき対象である。