日高見と東北 | オレはこう思う

日高見と東北




先日、電車の中吊り広告で黄金の国岩手というものを見掛けた。
黄金の国というとマルコ・ポーロのジパングを連想するが、東北の岩手南部から宮城牡鹿半島に至るリアス式海岸のあるケセン地域こそ金の宝庫、金山があった。
牡鹿半島の端に金華山という島がある。天平時代にここから我が国初の金が産出されたという伝説。

また、中津攸子氏の「東北は国のまほろば、日高見国の面影」(時事通信社)を読み、いかに東北は昔から豊かな文化の産地であったかが書かれていた。
和歌は日高見から等。
日の本、この日本の日の文字は日高見(ひたかみ、ひだかみ)から取ったという説もある
日出ル国、日高く見る国、似ている。

本書によると、奈良の大仏の金は日高見の金を使ったのではないかという。
また、青森の十三湊が鎌倉時代から室町時代にかけて繁栄したが、前九年の役で安倍貞任の子の高星丸が津軽藤崎に逃げ延び安藤頼信となり水軍を強化した。その子孫が肥前の松浦党で、元寇の時の安東水軍のルーツだという。

また、「日高見」は優れた馬を産出していた。
北海道には日高牧場がある。奥州もそう。
馬はやはり騎馬民族の馬を北から移動させて樺太から入ってきたのかね。

日本書紀、巻第七の景行天皇のところで、武内宿禰の報告として「東の夷中に日高見国あり、其の国の人男女並に椎結け身を文けて為人勇みこわし。是を総じて蝦夷と曰ふ。亦土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」とある。
常陸国風土記には「この地はもと日高見の国なり」とある。
常陸に「日高見国」の中心があったことも考えられる。その後、勿来の関以北を日高見国と見たのか。

その昔東日本に日高見国という大和に匹敵する国があったということか。ただ国家という限定的な意味でとらえると見誤るだろう。
蝦夷のことを言ってるのか。陸奥国とも違うようだ。東日本にいた多くの部族を総称して日高見国と読んだのか。その地域を大雑把に言ったのか。いずれにせよ、ヤマトタケルの東征があった。

土地は肥沃で広大、北上川流域はまさにこれに当てはまる。きたかみ、ひたかみ、似ている。
「日高見国」の人は勇敢で、入れ墨をしていたことが分かる。アイヌとの繋がり?邪馬台国にも入れ墨があったが。

「日高見」大昔は関東まであったもので、徐々に狭められていくが、非常に手強い存在でありました。朝廷も崩せなかった「日高見」。東北人の粘り強さはこれと全く無縁とは言えない気がする。
「日高見」を最後に崩したのは朝廷ではなく武士の源頼朝で、俘囚の奥州藤原氏を滅ぼした時とも言えるだろう。
義経が生きていたらどうなっていたのだろう。


阿弖流為、母礼、悲しい最期、和平のつもりで500人を伴っていったが。坂上田村麻呂は阿弖流為に心打たれ、処刑しないで帰してあげて下さいと請願するも叶わなかった。
京都の清水寺は坂上田村麻呂の施工だと言われているが、「日高見」の建築技術が使われたとも?清水寺に阿弖流為母礼の碑がある。
枚方には阿弖流為が処刑された終焉の地がある。

平将門の反乱も通じてくるものがあるだろう。


青森三内丸山遺跡は縄文中期のものと言われているが、この建築物は相当優れていたもの。



安倍氏は前九年の役で滅んだが、山口の安倍首相は現在の岩手に君臨していた安倍氏の末裔の説も?この真偽は全く分からないが、宮城の石巻にはアベさんが多くいます。


「東北は国のまほろば」によると、倭から日本と名乗り始めたのは天智天皇の時から
で、大和と日高見はヤマトタケルの時とは変わり、応神天皇の代から7世紀まで300年にわたって友好関係にあった。応神天皇は日高見への恩義があったから永久に仲良くやっていこうと決めたのだが、舒明天皇の時から変わってしまったのだという。


余談だが、北海道や東北が縄文人、アイヌと密接な関係にあったが、琉球や奄美のみならず薩摩や土佐も通じてくるものがあるだろう。



自分からは攻めないが、攻めてくるものには絶対屈せずに闘う、救いを求めてやってくる人は温かく迎え入れる、「日高見」、東北の魂。
東北は戊辰戦争の地にもなりました。会津と長州のわだかまりは完全に無くなったとは言えないが、それに拘っていつまでも恨み節や卑屈になってるのではないだろう。

東北人は貞観地震も東日本大震災も乗り越える不屈の精神を持っているのです。
この記事を書いている自分も東北人の血が流れている者の一人として、東北の文化に誇りを持ち続けていきたいものです。

日本書紀に書かれた「日高見国」とは具体的に何を指していたのかは、今後の研究を待つ以外にありませんが、いずれにせよ自分の郷土の文化を知ることが大事だと思った。
東北の文化を抜きに日本を語ることはできません。我が故郷に愛着を持つことが我が日本に愛着を持つことに繋がります。

自分が東北各地を廻る旅をした時に撮っていた写真を幾つか。



鹿踊り
花巻駅にて




ねぷた
弘前にて
ねぷたには坂上田村麻呂にまつわる話もある。




鬼剣舞
北上駅にて
上のいずれも千年以上の歴史があると言われている。




縄文の女神
新庄駅にて



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