渋谷暴動事件と中村巡査慰霊碑~昭和46 | オレはこう思う

渋谷暴動事件と中村巡査慰霊碑~昭和46



渋谷暴動事件

Wikipedia、gooより

昭和46.11.14
沖縄での沖縄返還協定批准阻止のゼネストに呼応し、渋谷、四ッ谷などで行われた沖縄返還協定批准阻止闘争。騒乱。
中核派の学生ら約400人が渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を襲撃。

関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の中村恒雄巡査(当時21、2階級特進で警部補)を鉄パイプで殴り、大坂正明が火炎瓶を投げつけ殺害した。
他に3名が重傷。
デモを指揮した委員長松尾真を逮捕、大坂正明、星野文昭、荒川、奥深山ら7人を特定し大坂を除く6人を逮捕起訴した。
昭和62.7に星野に無期、荒川に懲役13年が確定。荒川は平成12.7に満期出所、大坂だけがいまだに逃走中である。

奥深山は精神疾患で公判停止となっているが、弁護側は免訴を求めている。しかし病状安定の鑑定が出て公判再開の可能性がある。

以上、Wikipediaより


星野受刑者は冤罪を主張し、再審請求。
星野受刑者を支援する組織は、中核派がバックにいるため他の冤罪とは明らかに異質な印象を受ける。
大坂容疑者は殺人の時効が廃止となったため現在も指名手配中である。
2013.2に大坂は2012.2時点でアジトにいて活動を続けていたことが判明した。
容疑は殺人、放火、傷害、凶器準備集合、公務執行妨害




中村巡査(以降、中村警部補)の慰霊碑は渋谷区神山にある。
下の写真の場所




以前にも来たことがあるが、あらためて慰霊碑に手を合わせに来た。

通りすがりでは気付かない所に、店の脇にひっそりとある。本当にひっそりとです。
時の流れとともに忘れ去られる名も無き警官に過ぎなかったのか。学生を弾圧しにやって来た権力の犬に過ぎなかったのか。





しかし今でも当時を知る地元の方だろうか、花を欠かさずに供え続けてらっしゃるようです。

地元の方は中村警部補がいかに悲惨な殺され方をしたのか間近で見せられ、犯人の残忍性に怒りを感じずにはいられなかったのだろう。
中村警部補は新潟からやって来て職務に全うして殉職された。
中核派がいかに理屈を並べ立て、自己弁護をしようとも地元の方は事件をしっかりと見ておられる。






犯人は勿論、犯人の行為に秘かにシンパシーを抱いている者、抱いてないまでもこうした事件にはダンマリを決め込む一部の自称平和主義者、北朝鮮の拉致を無いなどと妄言を発していた政治家が平和平和と綺麗事を語ったところで何の説得力も見えてはこないのである。

革命の為の殺人なら許される?こんな事件は革命ですらないだろう。
この時代に、いつまで革命ごっこに興じていくつもりなのだろう。

レジスタンスとテロをごちゃ混ぜにしている。

彼ら過激派は彼らの論理によって本気で闘っているつもりでも、端から見れば時代の荒波と、集団の持つ密室性、排他性の中で一種の集団催眠にかかり、夢想に興じてカルトと化しているだけ。カルトにハマったまま抜け出せないだけ。

気に入らないものは暴力、殺傷という方法によって破壊しても構わないと、オウムにも通じていくもの。カルト、過激派は、赤報隊を名乗る似非右翼が起こした襲撃事件と同次元、いやそれ以下。彼らと敵対する思想を持った者の起こした事件以上に卑劣な事を繰り返してきた。
今は暴力によるテロは鳴りを潜めてきたといっても、自分たちが犯してきた罪を何ら反省せずに、「日本の戦争犯罪」ばかり糾弾するのも全く筋が通らない。

イデオロギー以前に人としてどう感じるかである。




警察庁手配書

東京法経学院
明治大正昭和平成事件&犯罪大事典より

渋谷暴動事件
70年安保闘争以後、官憲側の弾圧などにより組織的に壊滅的な状態か、あるいはゲリラ的闘争形態が主流になりつつあった新左翼諸党のなかで、なおかつ組織力を維持していた中核派は71年沖縄返還協定粉砕、沖縄奪還などのスローガンを掲げて実力武装闘争の方針を打ち出した。
それが渋谷暴動と日比谷暴動と呼ばれる2つの事件である。

11月19日の日比谷暴動では日比谷公園周辺で騒乱状態がつくりだされ、公園内のレストラン「松本楼」が炎上するという70年安保闘争以来の高揚した街頭実力闘争となった。
中核派は70年安保粉砕に向けた69年11月決戦とならんでこの暴動事件を「2つの11月」と呼んで高い評価をあたえた。

以上、明治大正昭和平成事件&犯罪大事典より

松本楼の事件もあった。
松本楼10円カレーを食べに行ったこともあったが、あそこにはそういった暗い出来事があった。

オウムによる都庁宛郵便物爆発事件で、菊地直子被告の初公判があったが、被害者の元都庁職員は、罪の意識があったから17年も逃げていたと仰っていた。
それは大坂容疑者も同じこと。
悪いことをしたとは思っていない、自分はやってない冤罪だ、というなら尚更マスコミの前に堂々と出てきて己の主張をすべきなのである。





この慰霊碑のある商店街の近くには歴史に関する後世に残すべきものが他にもあるので出しておきます。NHKのそば。
これは国木田独歩住居跡





こちらは二・二六事件慰霊像
クーデターを起こした将校たちはここにあった陸軍刑務所で刑に処せられた。





立場を越えて事件の全ての犠牲者を慰霊するもの。
こちらにも今も絶え間なく花が供えられていて、自分もここを通る時は手を合わせます。








Android携帯からの投稿