歴史散歩~板橋赤塚 | オレはこう思う

歴史散歩~板橋赤塚



成増北口または西高島平からバス
区立美術館下車1分
赤塚溜池公園前に板橋区立郷土資料館がある。

生きる、暮らす、戦う、の3つのテーマに分けて旧石器時代から現代までの移り変わりを展示している。
常設展示の他、期間ごとに企画展、特別展がある。

9:30~17:00、入場は30分前まで
月曜(祝日除く)、年末年始休み

入場は無料

入り口にある大砲



昔、船についていたもの
右がカノン砲




高島平団地が近いが、この高島平の由来は江戸時代、高島秋帆により初めて西洋式の砲術演習が行われたことによる。
徳丸ヶ原は幕府の練兵場、砲術訓練場があった。
高島秋帆から高島平ということになる。

郷土資料館ではちょうど特別展「板橋と馬」開催中で(3.23まで)鎧兜、絵馬、絵画などをみる。
中でも目をひいたのが板橋競馬場の馬券。
尾崎行雄が会頭となり、東京ジョッケー倶楽部が発足し板橋競馬場が設置されたが、明治43年には東京府内の4競馬が統合され実質的に僅か1年程で終わった。



郷土資料館脇の旧田中家住宅



新藤楼玄関

板橋遊廓中最大規模を誇った。
明治期の建造物として板橋宿の旅籠の変貌を伝える資料である。

郷土資料館から裏へ登っていけば都立赤塚公園



赤塚城本丸跡




下の写真は乗蓮寺にある東京大仏



高さ13メートル、日本三大大仏だと言ってるとか、
東京大空襲、関東大震災などの戦災、震災が起きないように願いを込めて昭和52年に建立した。
乗蓮寺は、昭和46年に板橋区仲宿から赤塚へ移転したが、徳川家康から10石の朱印地を寄進された格式ある寺である。



がまんの鬼




同じく乗蓮寺境内にある
天保飢饉供養塔

他にも植村直巳の墓があるという




こちらの寺院は松月院です

1492年に千葉自胤(よりたね)がこの寺を菩提寺と定め、寺領を寄進し自ら中興開基となった。
1591年、家康は40石の朱印地を当寺に寄進したが、これにならって歴代将軍が下付した朱印状正本が寺宝となっている。
千葉自胤→武蔵千葉氏の2代当主。太田道灌の支援を受ける。下総、上総を制圧したが、支持基盤がなくその後撤退を余儀なくされ、自胤の子孫は武蔵で小規模な国人に転落した。




松月院すぐ
赤塚村役場跡、乳房榎の碑

乳房榎は6代目三遊亭円朝の怪談噺
乳房榎にまつわる場所は他に面影橋近くの南蔵院、田島橋、角筈十二社権現




村社赤塚諏訪神社



田遊び

徳丸ヶ原は湧水の多い湿地帯で江戸時代に水田を作り、明治には大がかりな開墾がなされ、大正5年には352ヘクタールとなる穀倉地帯となった。

長閑な田園風景であったという。

昭和47年に日本住宅公団が開発し、大きな団地になる。




赤塚諏訪神社富士塚









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