文系偏重、理科離れ | オレはこう思う

文系偏重、理科離れ



クーリエ・ジャポン11月号のタイトルがなかなか面白く、買って読んでいる。





その中の一部

「理系バカと文系バカ」の竹内薫氏の記事より一部引用

日本社会では長く、「文系出身者=リーダー」「理系出身者=縁の下の力持ち」という構造が続いてきました。
霞が関のキャリア官僚も、幹部の大半は法学部出身の文系です。
ところが近年、調査によると、理系出身の社長が増えてきています。文系企業のイメージが強い総合商社でも、三菱商事、三井物産、伊藤忠商事などで理系のトップが次々と誕生しているのです。
海外に目を向けると、たとえば中国では、胡錦濤、温家宝といった多くの理系出身の政治家が指導層の中枢にいます。

ただし、組織のトップを理系にすることが、すべての場合に好ましいとは言えません。日本は民主党政権時代、2代続けて理系出身者(鳩山由紀夫氏と菅直人氏)が首相の座に就きましたが、結果はご覧の通りです(笑)。
理系出身者には、コミュニケーション力や組織統括力が不充分な人が多いことも事実なので、ならば、そういう点に優れた文系をトップに置いて、分析力や論理的思考能力に長けた理系がそれを補佐するという手も有力でしょう。
ただし、その場合のトップには、文系出身者でも、数字を読む力などの理系センスが絶対に欠かせません。

理系的な考え方を取り入れると、大きな社会問題を解決する方法も模索しやすくなります。たとえば、福島の原発事故をきっかけに注目を集めているエネルギー問題の一つに、原発で生産している電気を太陽光発電でカバーできるのか、というテーマがあります。
この問題につき、太陽エネルギーや発電効率などのデータに基づいて、数字の読みかたを知っている人たち10人がそれぞれ見積りをして計算すると、皆さん、答えはだいたい一致するんです。

それは、今の日本が使っているエネルギーの10~20%くらいは太陽光でまかなえるけれど、それ以上は不可能―というもの。
したがって、すべての原発をずっと停止しておくのは無理ということになります。

文系センスしかない人は、「原発は悪いものだから全部停めろ」といった好き嫌いの反応をしてしまいがちです。
でも理系センスがある人は、好き嫌いはとりあえず置いておく。理系出身でも原発嫌いの人はいますが、嫌っても、停めるべきかどうかの議論は別なのでさまざまな数字と論理をもとに計算し、淡々と結論に達するわけです。

一方、太陽光発電で10~20%は供給できることもわかったので、「太陽光なんて全然ダメだ」といった感情論にも与しない。全肯定でも全否定でもなく、「太陽光でカバーできる分だけ原発を減らせるのではないか」と現実的な解決策を示すのです。

もちろん、大切なのは、理系センスと文系センスのどちらが優れているかを比較することではなく、両者の間の垣根を取り除き、真にバランスのとれた知性を持つこと、つまり「文理融合」です。

これは既成の分野でも重要で、たとえば心理学は文系とされていますが、実際には脳科学など生物学の知識が必須です。理系の仕事とされているSE(システムエンジニア)も、使う人のことを考えてプログラムを書く文系センスが欠かせません。


以上、引用終わり








確かに仕事をする上では統計学、心理学の見地から分析することは必須。

まさに文理融合だろう。バランスである。

今年のパ・リーグは楽天が制したが、陰では細かい部分までデータを出し、自分の弱点を客観的に弾き出して対策を施したことがチームの躍進に結び付いたという。
データといったら忌み嫌う向きもあろう。
大リーグは力と力の勝負のイメージもあったが、データの活用は日本以上に進んでいるという。
根性というか気力が大事なのは絶対条件だが、気力だけで勝てるわけでもない。

仕事も同じだろう。
人の心を本能的に動かすものがなければ、売りたいものも売れない。
人の心を動かすには心理学が必要にもなってくる。
一方、感情論に偏っても道を誤る。
小売店は統計を無視していたら、商売にならないだろう。


微積分も結構いろんなところで必要だろう。

経営にも経営学だけでなく、数学者の視点をもっと取り入れる。


心理学といえば文系となるのだが、理系の要素が大きい学問だと思うのだが、大学では文学部心理学科、などとなっている。
社会学部心理学科なら分からないではないが、実験、統計をやる心理学を文系の範疇に入れている。人文学部行動科学科とか。

自分は高校までは実は理系だった。ただ、心理学の道に進んでみたい気持ちも持っていた。しかし文学部心理学科、という響きには違和感を感じていた。

上記の竹内氏は心理学は本来、文理融合の学問としている。


古典的な心理学、精神分析なら人文科学でいいとしても医学にも通ずる臨床心理まで文学部に入っている。



文系から理系に転ずるのは難しいが、理系から文系に転ずるのは可能だとよく言われる。
これからは理数系の人間の視点が、原発でも税金でも今以上に求められる。

文系、特に法学系が牛耳ってきた体制が諸問題を生み出してきたと言ったら間違いだろうか。
科学的な視点を失えばいかがわしいオカルト、デマにハマったりする。科学的根拠の無い占いやマイナスイオンなどというものに夢中になる。
かといって科学万能で人間の心を失うのも怖い。オウムの理系人間がしでかしたこと。
唯我独尊、人の気持ちを察する事に欠け、ギスギスした感じになり、みんながお遊びで占いを話しているのを冷めた目で見てしまう。

どちらが優秀かではなく、文系偏重でもなく、理系偏重でもなく、文理のバランスが求められてきているということだろう。

理系の中で人気が落ちたのは、医学薬学ではなく、理工、電気だという。

SONYやPanasonicが以前の勢いが無いのは、この事にも関係してるのだろうか。

本書によると、理系より文系が生涯賃金が高いという。
文系が進む金融業などの方が、理系が進む製造業より給料が高めで、文系の方が早く出世する傾向にあるからだという。
文系偏重で、偏っているままでは、日本の経済にも良くない。
理系の人が研究を重ね、新技術、新製品を生み出す素地がなければ物を売ろうにも、売りようがなくなる。

しかし、理系の技術者がいくら世界的発明をしても、企業人なら会社から払われる報酬は微々たるもの。これでは理系を目指そうという若者も増えない。
まあ、社員という立場、欲張り過ぎて訴訟というのも、まああれだが。

理系を一風変わった人とみる風潮がまだあるのではないか。
しかし理系のスペシャリストが育たない事は、そのまま日本の国力低下を招くものである。日本人が科学でノーベル賞を獲ると、一時的にワッとなるがその後が続かない。


文系偏重は、先進国ならどこにでも見られる傾向ではあるという。
みんなパソコンやスマホでなぜ鮮やかな画像を見たり送ったりできるのか、その原理など知らなくとも使いこなし、その便利さを享受している。
便利なだけで、その原理まで学ぶ必要はない為、そのままという事になる。

だがそれを作り、さらに高性能なものを開発するには技術を受け継いでいかねばならない。当たり前。


学校では理科、数学離れが進み、科学雑誌も青息吐息だという。
このまま理数科離れが進めば、日本の将来が危うくなると言っても過言ではないだろう。
自分が小学生の頃は、学研の科学と学習をとっている生徒がかなりいた。
人気があったのは圧倒的に科学の方だった。
科学の実験セットに目を輝かせて楽しんだものだった。
しかし、理科離れが現に生じている。
今ではハンダゴテを使ったこともない親までいるのだとか?
今の中学生男子は技術科の授業も昔とは変わったのだろう。
ノギスの使い方も教わらなくなったか?


これからは文系の経営者が牛耳る社会というより文系理系人間の融合である。

ただ、理系は難しい、めんどくさい、金が掛かるというイメージがある。国、企業は研究者育成にどう力を入れていくのか。

大学が乱立する時代だが、無難な文系大学ばかり設立しても仕方ないだろう。


竹内氏曰く、理数科離れには学校教育が問題があるという。
自動的に答えが用意されている、暗記中心、ではなく、科学の実験で子供たちが感動や驚きを得る。
興味を持たす授業だろう。



偏重ではなく、文系理系のバランスが大切となる。
そもそも理系文系の二元論で両者を分断するのは無意味だろう。融合だが、まずは理系の人材の発掘だろう。


参考までに

子供の理科離れをなくす会


独立行政法人科学技術振興機構


日経BPTech-on!