抜歯から金・土・日・月と痛みとの戦い、柔らかおでんに逃げました。うん美味しいし柔らかい。

おでん定食。

おでんスープをつけ汁に、つめ麺。啜れる食べ物が好き。

そぼろ丼京菜漬け・小松菜おひたし・おでん、噛まなくて良い物のオンパレード。

やっと小さい寸胴一杯分のおでん食べ終えても、海老ワンタンでご飯です。

そして今日やっと安らぎが来た。

痛みが退いたぞ~幸せです。

ほっぺた腫れるは、抜いて縫ったとこ痛い、歯医者さんは3日は腫れたり、痛みが残ると言われてた。だから今日も明日も痛かったら休日だろうが何だろうが、救急にでも飛び込んでやると、考えてたが物騒な事しなくて済みました。

昨日の夕日と共に、痛みは去っていった。

壮絶な3日間が(大袈裟か~)過ぎ去り、平和な休日を迎えられそうな火曜日ですが、今日も違う用事で病院通い、医療関係者かのように病院に出入りしてる患者なのです。

 

でも、ここの処で体調は一番いいやっぱり、飲まないと体調は優れてくる。良い事だ。この幸せを体に染みこませ!

 

飲まなきゃ辛い体調不良は無くなる。快適な生活が出来る。

 

でも、たぶん、またやると思ってるこんな事書くと、いろいろ考えちゃう人もいると思うけど、自分の話です。

 

誰も同調しないで下さい。

 

 

人の幸福は、それぞれです。生き方もそれぞれで、全部が、その人のオリジナルです。誰かの様になんて出来ません。

 

私は、山頭火の詩(うた)が大好きで、自由奔放な生き方にも憧れる。でも彼の詩の中から苦悩や寂しさが感じ取れる。自分に対しての侮蔑、やるせなさを読み取れる。

 

決して気楽な放浪旅行では無い。

 

どんどん戦争に突っ走る世の中への疑問。焦りを感じながらの放浪(逃走?)。出家してお布施と乞食の中間の様な生活をして。三輪清浄(さんりんしょうじょう)とか本当の意味考えながら歩いてたのな?時に優しく迎えられ、時に嫌な顔されながら、詩作に没頭する。

 

いくら憧れても、山頭火の様に生きたいと思っても、詩を読み考えて想像するのが精一杯。表面を撫でる程度です。

 

出家なんて出来ないし(山頭火自身も放浪の手段としての出家)放浪なんて出来やしない。

 

ヒッチハイクさえ出来ないのに、物乞いなんて絶対に出来ないと思う。例えお坊さんになって修行と位置付けても無理。

 

メンタル弱い私は憧れる事さえ、おこがましい事なのです。

 

そんな私は自分の人生を生きるしか無いので、これからも何度も同じ失敗して、反省しながら行くのでしょう。

 

生きてさえいれば、時々だけど人が聞いたら、笑われそうな小さな幸せに出会える事もあるから・・・

 

いつも読んでくれる方々「いいね」まで頂いてる方々に、幸せもらって生きてます。

ありがとうございます。