雛人形とは・・・
平安時代中期、節句に宴を催す宮廷の公式行事「節会(せちえ)」と、上流階級の少女の遊び「ひいな遊び」、そして人形(ひとがた)に災いを移して川や海に流す風習が融合したのがひな祭りの始まりと言われています。当時は乳幼児の支部率が現代とは比較にならないほど高く、子どもの健康を願う切実な思いが、全国各地で節句の風習として現代まで伝わってきました。
江戸時代にはひな祭りの行事はますます盛んになり、この頃から附属の人形や道具の種類も増えて贅沢な物が作られるようになります。雛壇は三段から五段に、幕末には七段の雛飾りが現れます。
三人官女、五人囃子、右大臣・左大臣(随身)、仕丁(従者)といった主な構成は全国的に共通してみられますが、人形の持ち物や飾り方などでは関東地方は主に武家を、関西地方は御所・宮中を模したものが多いようです。
「2020年工業統計調査」(産業経済省)によれば出荷額が最も多いのは埼玉県で、2番目に多い愛知県の7.4倍。全国シェアも5割を占めています。埼玉県は豊富な水源や桐などの材料に恵まれ、また日光街道や中山道の宿場町として栄えたことから雛人形作りが盛んになり、伝統産業として発展しました。
かつては七段飾りで豪華さを競っていた雛人形ですが、近年は住宅事情などから二人飾りが主流になっています。和室が減少した現代では、洋風インテリアにもマッチングするモダンでコンパクトな雛人形が人気です。
雛祭り1000年の歴史と、その昔から受け継がれる子の健やかな成長への人々の願いを思うと、お雛様の顔も一層優しく見えてくるのではないでしょうか。
「ZEN CLUB Number 562 2024.02.February」より
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今年も2月の雨水の日に雛人形を飾り付けながら、
幼かった長女の面影を思い返していました。
彼女は昨年の春に大学を卒業し社会人となり、
僕たちの掌から離れたことを実感していましたが、
時折「早番だから送って行って。」とか、
時々「遅番だから迎えに来て。」とメールが届くことも、
僕にとってちいさなしあわせかもしれないと思い始めました。
Thursday.29.Feb.2024.
No.1044 to be continued…