震災から20年 | 主人との関係

主人との関係

私達夫婦は、とても仲が良いんです。
周りの夫婦の方が羨むぐらいです。

阪神、淡路大震災から、もう20年だよね~。


当時僕も、神戸に居たんだよね・・・


本当に、何が起こったのか、訳がわからなかった。


僕の住んでいた周辺は、比較的被害が少ない地域だったが、それでも大変だった。


第一に、火事が起こらなかった事、それが一番被害が少なかったように思う。


避難先では、あつかましいおばさんが、隣にきたので、どうしようもなかった。


どのようにあつかましいかは、次の通りです。


避難先は、近所の小学校の体育館だった。


そこに、こたつを持ってきた。


こたつは、電力をかなり消費する。


小学校の体育館は、家庭用のようにブレイカーの容量が大きくないのに、寒いからと言って使うのを止めない。


すると、皆が電気器具を使うと、直ぐにブレイカーが落ちてしまう。


何回ブレイカーを、落としたかは、わからないくらい落としていた。


そのたびに、学校の先生がブレイカーを入れに来るのだが、自分が沢山の電力を消費している事をわかっていない。


すなわち、バカである。


そんな、バカが隣に来たものだから、こんなところには居れないと思い、直ぐ避難先を探した。


幸い、叔母が姫路に住んでいたものだから、少しの間避難させてもらう事になった。


少し、不便さはあったが、あの小学校の体育館の事を思えば、少々の不便さは辛抱できた。


皆がみんな、僕のように、恵まれた環境に居る訳ではないので、避難先にいる人たちは、本当に辛い思いをしていたのだろう。


ある人が、言っていた。


水が欲しいがために、死体運びを手伝ったこと、若い女の子が、停電で暗い夜道を歩いていて、レイプされたとか、それを警察に被害届を出しに行ったところで、警察もそれどころではない。


結局泣き寝入り・・・・


震災当時は、何をやっても許されていた。


原付に二人乗りを、していても警察は見て見ぬふり・・・


一時神戸の街は、恐ろしい街になっていた。


あれから、もう早、20年・・・