教師や親が発した言葉や支援が、その後の子どもにどのような影響を与えているのだろうか。
例えば、1年生の勉強がわからない子どもに、無理やり漢字や計算を教え込んだ。
結果、どうなったか。
その後、少しずつ授業が分かりだして、どんどん力を付けていったかもしれない。
もしくは、勉強が嫌いになって、どんどん勉強がしんどくなり、不登校になったかもしれない。
例えば、教師が、少し難しい算数のはなしをした。
結果どうなったか。
その後、算数に興味をもって、数学の研究に没頭したかもしれない。
もしくは算数がより嫌いになり、理系へな進路を諦めたかもしれない。
何事も長期的に見なければ、何が正解で、何が間違いなのかはわからないままである。
その答え合わせは、10年、20年後かもしれない。それをできるのは、親しかいないかもしれない。
教師はどうしても1年という短いスパンでしか子どもの成長を見とれない。
しかし、それでいいのだろうか。
本当は、もっと将来のことを見据えて指導していかなければならないのではないか。
ここでいう、将来とは何か。
それは大人になって働いて生活するということである。就労、生活である。
この2つを意識して教育をしていかなければ、将来を見据えた教育にはならない。将来困らないための力をしっかりとつけてやらなければならない。無駄なことはできるだけ省いていく。
教師はその答え合わせのために、自分の担当のでなくなった児童も、長いスパンで子どもを見ていかなければならないだろう。