保護者と教師の認識にも大きな違いがあり、それがトラブルを招く原因となることもある。


 まず、若手教員と保護者では、子育てを経験しているかしていないかの違いが大きい。

 「我が子がこんなことをされたらどう思うか」という観点に立ちにくい、正確には立ちきれていないのである。

 

 では、ベテランの教員ではどうか。子育ても経験していれば、保護者の立場に充分立ちきれるのだろうか。




 しかし、これもうまく行かないことが多い。

 それは、「教師としての保護者」という立場だからである。


 教師は学校の事情について他の保護者より詳しい。

 だから、これはどんなにお願いしても通らないだろうとか、学校の性質上仕方ないだとか、学校ではよくあることだから我慢しようだとか考えてしまうのである。


 しかし、教師でない保護者にとっては、学校の事情など知らないし、知る術もない。ここに知らず知らずズレが発生するのである。



 例えば、子どもの登校渋りがあったとき、教師はよくあることととらえるかもしれない。しかし、保護者にとっては、重大なことと捉えているかもしれない。


 例えば、ちょっかいをかけられる児童がいたとき、教師は、みんなにちょっかいかけているからさほど気にしていないかもしれない。しかし、保護者にとっては、自分の子だけ辛い思いをしていると感じるかもしれない。


 他にも、けが、物がなくなること、悪口、宿題、ノートの記入など、認識のズレはたくさんある。


 そして、そうしたズレが生じて、トラブルになったとき、教師は、教師に相談してその認識の正誤を確認する。

 すると、同じ認識のもの同士で話しても、その認識は変わることはない。

 原因を自分達の対応に求めるのではなく、保護者、もしくは保護者の認識の変化と結論付けてしまう。



 教師は自分のたちだけの感覚ではなく、学校の事情を知らない親の気持ちに寄り添って保護者対応しなければならない。だからときには、異業種の友人と話をする機会を持つとよいと思う。