• 25 Sep
    • 人には知慧と慈悲の両輪が必要である

      自我を制するには真剣さが大切であると書いたのですが、表現が厳し過ぎたので少し柔らかい表現にしました。真剣さは大事ですが、力みや緊張、不足感を強めると悟り(神の平安)の大きな障害になりますから、表現は難しいですね。僕はブログを書くときに、いつも文章がもたらす、心理的な効果を考えています。理想は心が癒され、静かになることと前に進むエネルギーの両方を与えられる文章が書けるようになることです。・心に響く文章、心が目覚める文章心に響くブログというのは、読んでいて心が静かになる、安らぐ、前に進むエネルギーが出てくるということだと僕は思います。感情が癒され、元気づけられるということですね。癒しと言えば、悟りの教えの多くは月をさす指であり、特に仏教などは論理的な表現が多いため、ドライに感じる人も多いかも知れません。覚者の言葉は「心に響かない、情がない」と言う人も居ます。でも、論理的な教えに「そんな言葉では心に響かない」と感情的になり、裁いても仕方がないわけですね、、。仏教経典や日月神示、その他聖者の言葉を読んでみてください。超然としていて、苦しんでいる人には響かないと思う人も多いと思います。それは、マインド、苦から目覚めさせるための言葉であり、慰めや同情、共感の言葉ではないからです。人には知慧の教えと慈悲(情緒的な)の教え、どちらも必要であり、どちらも効果があるんですね。教えには2つの種類があります。論理的にマインドを停止させる知慧の教えと、感情に訴えてマインドを停止させる慈悲の教えです。普通の人には情に訴える文章の方が効果的だと思います。でも情的な教えは、プラスに働くと大きな効果がありますが、マイナスに働いた場合のリスクも大きいです。世の争いや宗教戦争もエゴの特別な愛(差別的な愛)と憎悪が原因です。情的な教えは、憎悪、裁きに傾いた時が怖いんです。間違うと、私たちの宗教が正しい、お前たちは間違っている、私の考えが正しい、お前らは間違っているとして、裁きが生まれやすいです。最初に知慧の教え、論理的な教えを学んでいれば、判断力が正しく働き、より慈悲の教えを上手く活かせるようになります。・論理を学び、次に人情、情緒を深く学ぶエックハルトや日月神示のような論理的な知慧の教えを学び、次に人の心情、情緒をより深く学ぶというのが良いと思います。日常そのものが学びなんですが、マインドは逆様メガネで間違いやすいですから、聖者の知慧がないとリアルを観て真に学ぶことは難しいのです。聖者の知慧があれば、社会や人との関係で、より高い視点から人の心情、情緒、行為を観て学んでいけるようになります。本当の身魂磨き、人間的な成長はここからスタートすると僕は思っています。僕はまだスタート地点です。笑まだまだ未熟な若造であり、世の中、知らないことだらけです。(^_^;)でも神を知ってからの1日は、神を知る前の1000日分の学びになると言われています。

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  • 21 Sep
    • 白湯の効能とスピリチュアルな生き方

      今回は、白湯の効能について書いていきます。「ただのお湯でしょ?」と感じる人も多いかも知れませんが、実は、白湯には心を浄化したり、免疫力を高めたり、美肌効果があったりとおどろきの効能があったのです。・白湯の作り方、飲み方水道水をやかんや鍋を使い10~15分程度沸かし、沸騰したお湯を保温ポットに移します。ポットから150cc程度のお湯をカップに注ぎ、50℃~70℃くらいに冷まします。ちょうど良い温度になったら、胃腸に負担をかけないように、少しずつすすりながら飲みます。温度は、コンビニのホットドリンクやコーヒーなどは、大体70℃と聞いたことがありますから、基準にすると良いかも知れません。・アーユルヴェーダと白湯インドの伝統医学であるアーユルヴェーダでは人間の身体は自然界と同じように、「水」、「火」、「風」の要素で成り立つと言われています。水を火にかけることにより、「火」の性質が加わり、更に沸騰させることにより、気泡が出て、「風」の要素が加わります。白湯は、「水」、「火」、「風」の三つの要素を全て満たすものであり、身体の三要素のバランスが良くなり、心を良い状態に調律する働きがあります。また、白湯はデトックス効果が高く、胃や第二の脳と呼ばれる腸を浄化し、老廃物を洗い流してくれます。・体温が上がると免疫力が5倍アップする心身を良い状態にすることやデトックス効果も素晴らしいのですが、特筆すべき点は、体温が上がることによる免疫力の向上効果です。医学では、体温が1度上昇するだけで、免疫力が500%~600%に高まると言われています。人は体温がたった1度上昇するだけで、免疫力が5倍~6倍になり、病気になりにくくストレスに強い身体になると言われています。「白湯なんてただのお湯じゃん」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、白湯はスピリチュアルや医学の面から考えても、素晴らしい健康効果がある飲みものだったんですね。アーユルヴェーダでは、白湯は1日800ccまでに制限して飲むようにと言われています。なぜかと言いますと、デトックス効果が高く、飲み過ぎると必要な栄養まで洗い流してしまうからです。食事をしながら朝晩飲むと300ccで、水分補給も兼ねて150ccを3回くらい飲めば750ccになり、充分な健康効果が期待出来ると思います。・スピリチュアルな「生き方」が最高の健康法一般的には、身体の健康を維持するためには、野菜中心のバランスの良い食事を取り、有酸素運動をすることが良いとされています。また、人は笑うこと、楽しむこと、遊ぶことで、免疫力が高まったり、若返り効果があったり、脳の働きが良くなったりするとも言われます。つまり、良い生き方をしよう、美しく生きようとすることが結果的に身体の健康にも繋がるみたいですね。本当の意味で健康的な生き方をするには、木を観て森を観ずにならず、人生そのもの、生き様をスピリチュアルにしていくと良いのではないかと僕は考えています。今回、白湯のおどろきの健康効果をご紹介しましたが、やはり「枝葉の情報」に過ぎないです。人はこだわりを持ちやすく、仕事の木、恋愛の木、お金の木、健康の木、瞑想の木を観て、森(人生全体)を観ずになりがちですね、、。実は今回いちばん書きたかったことが、「木より森を観て生きよう」、「常に人生全体を観よう」ということでした。そうすれば視野が開けて、本当に大切なことを第一に優先出来るようになると思います。

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  • 17 Sep
    • エックハルト・トール 人も自分も責めないこと

      この動画でエックハルト・トールは、赦しについて教えています。人に罪はないというエックハルトの教え、世界観に納得いかない人、理解できない人も居ると思います。人を裁かない、責めないということは、悪を野放しにすることのように思われる人も居るかも知れません。もしそう感じたならは、それは誤解なんです。あらゆる悪は人間の無意識が原因であるとエックハルトは教えています。無意識というと分かりにくいですが、簡単に言えば人類が持つ病であり、エゴ(偽我)と呼ばれるものです。なぜ無意識というのかというと、人はエゴが作り出す自動思考や感情を自分の思いと勘違いして、気づかずに突き動かされているからです。本当はあらゆる悪に自由意志はなかったと言われています。行為者はエゴ(悪魔、憑き物)であり、悪を為した人は自由意志ではなかったのです。ですから、人も自分も責めないでとエックハルトは語るわけです。これは警察や法律は要らないというお話ではないです。内的に赦す(裁きを手放す)努力をしながら、駄目なものにきちんと駄目だと言うことは可能です。それは、警察が犯罪者を内面で赦しながら捕まえるようなものです。犯罪者が罪を犯すのは、無意識(エゴ)に操られていたので究極的には罪はないです。勿論、カルマの法則により悪を為した者は相応の報いを受けます。それに、犯罪抑止のために社会的な罰則も必要です。子供が悪いことをしたら叱っても良いです。悪いことは悪いことですから、野放しにはしない方がいいですよね。でも、犯罪は自由意志ではなかったのは事実なんです。これは、エックハルトだけでなく、ラーマ・クリシュナやラマナ・マハルシなどの聖者も同じことを言っています。行為はあるが行為者は居ないと。イエスも汝裁くなかれ、敵のために祈りなさい、復讐は神のすることで人が復讐をしてはいけないと教えています。赦しは、ただ内面の裁きや怒りを手放す努力をするだけで良いと言われています。赦しは、根気が必要で、よく七の七十倍赦せと言われます。行為としては、自覚しながら注意したり、状況から身を引いたり、反応しないでいるなど、適切に応対すれば良いのですね。エックハルトが語ることは予防医学的な教えなんですね。私達が小さなことをいつも赦し合ってれば、大きな犯罪や争いは世界から無くなるはずです。心の性質上、悪が生まれるのは人の心が不満や裁き、怒り、怨恨、妬み、嫌悪に支配された時です。本当の愛や安らぎ、善性は無心にしかなく、神人になるには、どうしても赦しをマスターする必要があります。赦しは自我が最も嫌がることですが、最も悟りや幸せに繋がることでもあります。それではまた

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  • 16 Sep
    • 大切なことに時間を使おう

      リブログした記事では、ノンデュアリティの世界観をご紹介しました。ノンデュアリティは、非二元という意味で、神のみが真実であり、他はマーヤ(幻影)であるという世界観の教えです。同じ覚者でありながら、ラーマクリシュナとブッダの世界観は全く違うように思えます。ブッダの場合は、リーラ(遊戯)ではなく、人間は、老病死という宿命に定められていて、この世は悪夢のようなものであると説きます。これは悟った人の『視点の違い』なんです。どちらが正しいとか間違っている、という話ではないんですよねラーマクリシュナは神の視点からの世界観を説き、ブッダは人間(エゴ)の視点から世界観を説いています。覚醒すれば、世界は本当の自分が作ったリーラ(遊戯)だった、一切は神であり、自分だったと分かるようです。苦しいことや辛いこと、老病死、悪を為す者も本当の自分が作ったということなんですね。意味があり、前回、ノンデュアリティの世界観をご紹介しました。ノンデュアリティを僕は主軸としてませんし、人に勧めるつもりもないです。神の世界観を知っただけでは、ほとんど意味がなく、運命を変えるには二元論の教えを学び、実践することが、最も近道だと思います。二元論の心の法則、カルマの法則を学び、心を浄め、努力、奉仕をすることが人の運命を変えると思います。では、なぜノンデュアリティをご紹介したのか?といいますと、それは神仏への裁きや不満を無くせるようにです。真我(本当の自分)が世界を創造したならば、誰にも責任はないからです。本質的には神も誰も悪くないし、誰も悪くないと気づき、心が静かになった時、人は悪を為さなくなると言われています。あらゆる悪(エゴ)は不満、裁き、怨恨から行われると言われています。ノンデュアリティの世界観を知ることは、人の不満と裁きを減らし、心を静かにするというメリットがあります。神とは世界の根本原理であると同時に、この相対世界そのもの、カルマの法則そのものでもあります。『幻がなければ悟りは生まれず』という言葉がありますが、エゴ(偽我)があるからこそ神を認識出来るということらしいですね。絶対なる一者は、主体、客体という二元性がない故に自分自身を知ることが出来ない。神は自分自身の素晴らしさを知るために世界を創造した。では、この世界はなぜ苦しみに満ちているか?それは人間のマインドには計り知れないと聖者ラマナ・マハルシは語ります。1つ言えることは、様々な聖者が教えるように、苦しみから解放される道があるということです。なぜ苦しみに満ちているか?を考えても完璧な答えは出ないですね。(^_^;)方便ならば、色々な聖者が語るでしょう。イエスならば、放蕩息子の譬えは、美しくて好きですね。神の家を身勝手な思いで家出した息子が、知らない土地で、餓えと渇きに苦しんだ。家出したことを心から反省した息子は、神の家に戻ることを決意する。息子が神の家に帰ると、父は息子を抱きよせ、着物を与え、手には指輪をはめ、豪華な食事で祝宴をして、家出する前よりも息子を愛した。・毒矢の譬え、無常迅速の教え無常迅速、光陰矢の如しで、時間はあっという間に過ぎ去ります。ブッダが毒矢の譬えで教えたように、普通の人は答え探し、哲学的な思索はほどほどにした方が良いと僕は感じます。思索、学びと自己浄化、努力することのバランスを良くすること。そのことが、苦しみから解放され、幸せになるのに、いちばんの近道だと思います。それではまた

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  • 14 Sep
    • この世界はあなたのリーラ

      色々考えて、これからはシンプルにポップに分かりやすく書いていきたいと思いました。探求者にしか分からない内容ではなく、誰にでも伝わることを書きたいですね。長年、スピリチュアルを学んできて感じるのは本質はすごくシンプルであるということです。でも、瞑想だったり、原因と結果の法則だったりと道徳を学ばなきゃいけない人間って何なんだろう?って思いませんか?笑何もしなければ、人はどれだけモラルに問題あるの?って話ですよね。誰かが意図的に作った世界ならば、作った人はかなりクレイジーだよねって。若い頃はそう何度も思いましたね。高校時代は神って何なんだろう?と思いながら、こんな曲を聴いてましたね。傍観者で無慈悲な神に任せてはおけない。無慈悲な神に反逆する悪魔(ロック)こそが正義である、みたいなメッセージかな。『10代の時は』カッコイイ世界観だなって思ってましたが、、、まあ、神の正体が分からないとこういう発想になるのも分からんでもないですが。もし宇宙を作ったのが本当の自分だったならどうでしょう?もし神が全体だったならばどうでしょう?自分以外の人は皆、神であり、全員役を演じていると考えてみてください。(自分も神だというのは置いておいて)エックハルト・トールのようなスピリチュアルの指導者の役を演じる人有名俳優、女優、アーティスト、アイドル、実業家、お笑い芸人など華やかな役を演じる人一般人は、いまの世界が成り立つために、ありとあらゆる職業の人達が居ますね。コンビニ店員の役を演じる人(神)には誰でもよく会うかも知れません。まあ、俳優、女優などは役者を演じる役(神)ですね。それは、ゲームの中でゲームをするキャラクター、ドラマの中で役者の役をやるみたいな感じです。ともかく、一切の人を役者(神)として観てみます。善い人の役、悪い人の役がありますが、全ての人はカルマの法則に従い動いています。あなたの意識やカルマが変わると、なぜか役者(神)は全く違う応対をします。悪を演じる役者も主人公(あなた)に負のカルマがなければ、攻撃することは不可能です。主人公(あなた)が霊的に成長し、徳がある状態になると、善い人の役者が支援してくれたり、好きになってくれる異性の役者が表れたりします。逆に霊的に磨かれると、より意識が進化して神人に近づけるために、一気に負債を返せるように、一時的な試練や災難に逢う場合もある知れません。全ての出来事は、役者(神)があなたが神人になるために行ってきたことです。悪い出来事は負のカルマが解消されて、神への推進力になります。善い出来事は、あなたが徳を積んだこと、努力、奉仕したことの報いとして与えられます。起きることに意味のないことは1つもありません。マイナスだけのマイナス、悪だけの悪は存在が許されていないのです。実は、あなたはあなたの世界の主役であり、一切の人は役者(神)だったのです。といっても、それは究極的な視点であり、慈悲や人情を失わないように気をつけてください。人は皆、同じ大切な命を宿した人間であり、情的な生きものです。日月神示や聖賢ラーマクリシュナの説く世界観も、一切は神の働きであり、人は役者(神)であるということです。この世界はあなたのリーラ(遊戯)であり、神人(光明を得た人)になることがゴールです。参考までにラーマクリシュナの言葉これは世界観の1つですから、真に受けて鵜呑みにする必要はないですよ。笑世界観は腑に落ちるのを自由に選んでくださいね。

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    • マインドは本当の自分ではない

      心理学やスピリチュアルをどれだけ学んでも、完成するまでは、人生から悩みが完全に消えることはないと思います。でも、悩んでいるのはマインドであり、私やあなたではないんです。苦しんでいるのも、怒っているのもマインドであり、偽の自分です。よく、わたしの性格はこうで、あなたの性格はこうでと人は言いますが、それは偽の自分であり、本当の自分ではありません。私を観る、浄化するという言葉が誤解を生んでいます。そのわたしは、本当の自分ではないというのが真実です。エゴというと分かりづらいですから、誤解を避けるために、偽の自分という言葉がもっと広まってほしいなと思っています。ブッダも、心は非我である(我にあらず)と言いますし、ラマナも心身はあなたではないと言います。エックハルトも思考と感情(マインド)は自分ではないと気づくことが目覚めであると言っていますね。わたしは短気だ、わたしはせっかちだ、わたしはズボラだ、わたしは欲が深い、わたしは、、と感じた時に、偽のわたしは~と心の中で認識を改めてみてください。悩んだり、不快な気分になった時は特に感情と思考は自分ではなかったという認識を思い出すことが、浄化するために大切になると思います。先ずそもそも、自分の性格はこうだ、というマインドとの同化が偽の自分を温存し、強化する根本的な原因になっているようです。覚者があるがままの自分、掛け値なしの自分を観なさいと言うとき、それは私ではないという認識を持っていることが前提になっています。人がわたしと感じるものは、全てマインドであり、イメージに過ぎないものです。ありのままの「私」を観なさいというのは、偽のわたしの状態を誤魔化さずに観なさい、ということなんですね。ありのままの、掛け値なしの自我(偽のわたしの状態)を知ることは大切だと思います。誤魔化して逃避していたら、心が浄化されないだけでなく、行ないを改めることも出来なくなります。でも、それが私であると誤解し同一化すると、慢心が強まるので気をつけてください。自我を責めたり、裁くことではなく、目覚めること、受け入れること、同化しないことが心を浄化する道であります。自分を裁かず、出来ない自分を認め、反省する。自分を裁く人は、他者を裁いてしまいます。他者を裁く人は、自分も裁いてしまいます。あるがままを認め、受け入れることは汚れ(我)を減らし、反省は改善に繋がります。意識進化には受容と反省がキーワードですね。自他を裁いて、責めるだけで、何も改善しないのがいちばん損なやり方です、、。本来の自分で在るとき、心が静かな時に人に汚れはなく、慢心はなく、不満はないです。私やあなたが本来の自分ではないとき、不自然な状態の時、エゴ(汚れ、慢心、偽の自分)が表れます。悪魔(エゴ)のやり方は裁き、後悔、怠慢で、聖者のやり方は受容、反省、改善です。人を幸せに導く、聖者のやり方を世に広めていきたいですね。

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  • 12 Sep
    • 心を浄化する方法

      前回の記事では自由意志の問題について執筆しましたが、僕の表現力の未熟さもあり、分かりにくかったと思います。今回は潜在意識を浄化する方法です。人の行動は思いに束縛されているのですが、潜在意識に邪気が貯まっていると、無意識に良くない行動をしてしまう確率が高まってしまいます。いまに目覚めても、心が騒がしいときは感情が暴れ牛のようになり、手なづけるのはなかなか難しいものです。そこで、、1、瞑想の境地でスポーツや有酸素運動をする。(歩行禅やジョギングなど)2、目覚めて感情をあるがままに放っておきながら、家事をしたり、読書をしたり、好きなことをする。などが邪気を発散させて、感情を静かにするのに役に立ちます。応用で、瞑想(自覚)を保ちながら、友人とご飯や飲みに行ったり、ゲーセンやカラオケに遊びに行くとか、自由にアレンジしてみてください。ポイントは、何かに意識を集中することと、思考や感情を消そうとせず(闘わず)放っておくことなんです。集中といっても、瞑想状態をずっと持続させることは難しいです。想念に巻き込まれたら、いまを失ったら、そのことに気づくだけでOKです。いまを失ったことに気づいた瞬間に、既にいまに在る状態(自覚、瞑想)を取り戻せています。その意味で瞑想とは、何かに集中するだけでなく、いまを見失ったことにその都度気づくことだと言えます。・瞑想のコツ瞑想のコツは、意識を閉め出すような我慢、緊張を伴う集中をするのではなく、開放的でリラックスした集中を意識してみてください。これは、受動的注意集中と呼ばれる状態であり、さりげなく、柔らかく集中の対象に意識を向けるのがコツです。閉め出すような集中をしようとすると、マインドの反発する力、いまから外れようとする力が強まり、瞑想は難しくなります。開放的な集中により、反発する力を生まずに集中が出来て、心が静かになりやすくなります。(これを書いていて、瞑想で商売している人は商売あがったりだなと思いました 笑)瞑想の奥義的な内容ですからね。中級~レベルですが、先生などから学んだ人やベテランの人以外でこれを分かっている人は少ないと思います。記事の最後にオススメの動画(というより音声)をご紹介します。斎藤ひとりさんの『徳を積む』ひとりさんの講話は、シンプルで効果的なお話が多いので、実践に移しやすくて良いなと感じています。ブッダの教えやエックハルトの教えを学んだ人には特に相乗効果が働くので、役に立つと思います。(音質がイマイチなのでヘッドホン推奨です)

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    • 真の自由をもたらすために

      前回の運命と宿命についての記事は説明が上手くいかず、長文になりすぎたので一旦下書きに戻しました。今回は自由と不自由について書いてみます。脳科学者の茂木さんは究極的には人に自由意志はないと語っていました。それは人は自分が何かを選んだと考えるが、その前に無意識が選択していて、後付けで私が選んだと錯覚しているということなんです。自由意志の問題は、受動意識仮説、選択理論、社会的な条件づけと行動のメカニズム、など脳科学や認知心理学の分野でも研究されています。たとえば、僕は野球が好きだ、私はアニメが好きだという感情、思いに基づき、野球観戦をしたり、アニメを観たり、と人は行動するわけですが、その思い自体が不自由なんですよね。「僕は野球が好きだ」という思いに基づき、自からの意志で行動して、野球場に生き、野球観戦を楽しんでいると錯覚する。自由意志のようですが、その野球が好きだという感情が不自由で選べないのならば、全ては不自由だったと言えます。想念=わたし、である限り、どんなに自由に行動しているように感じても、本質的には不自由(自由意志ではない)です。これは脳科学、認知心理学でも認められてきていることです。本当の自由とは、人間はそのままでは不自由であることに気づくことからはじまると言われています。人は条件づけられた心のパターン、思いに突き動かされていただけであると認知することが自由への第一歩と言われています。野球が好きな子どもは、野球が好きになりやすい環境だったり、体験を世界から与えられたから野球が好きになったんですね。環境によっては、野球が嫌いだったり、無関心なこどもに育っていたかも知れず、そうなれば当然、思いが変わり、行動も変わり、運命も全く違うものになると思います。・本当の自由をもたらす道ブッダは人は心に束縛されていて自ら苦しみを作り出していると説きました。世の中、野球が好きな人も居れば、サッカーの方が良いという人も居ますし、球技が嫌いで、「ボールで遊んでるだけでしょ?下らない」と感じる人も居ますよね。その思いも自由にならない故に、表れとしての態度や発言、行動も不自由なんですよね。人は不自由に気づいても、何でも自由自在に選ぶことは出来ないけど、思いを自覚して、ある程度、束縛から解放されていくことは出来ます。思いという束縛から解放されて本当の自由を得た人をブッダ(目覚めた人)と呼びます。何かが好きだ、嫌いだ、という感情は環境や体験により条件づけられた心のパターンであり、わたしの本当の思いではないということなんですね。人の本当の思いは空であり、無心であり、喜びであり、差別のない愛です。それは鏡のような心であり、幼子のように無邪気で、純粋な心と言われています。世の中、スピリチュアルをよく調べずに、先入観だけで、否定する人も居ます。スピリチュアルが好きな人にも善い人も居れば悪い人も居るし、普通の人も同様に善い人も居れば、悪い人も居ます。悲しいことですが、スピリチュアルだからと差別したり、嫌悪する人も思いに束縛されているだけなんですよね。赦しとは、人のネガティブな発言や行動は病であり、憐れむべきことであると気づくことであります。人間はみんなが多かれ少なかれ、心の病がありますから、愚かさに気づき合い、助け合う必要があると思います。それではまた

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  • 09 Sep
    • 最後の神示

      ・杓子定規では多くの人の役には立てない前回の記事で説明したように、知恵のある教師は、心の仕組みを知っていて、人の心の状態に合わせて変幻自在に教えることを変えます。ブログなどで相手の状態が分からないならば、中観でバランスの取れた視点を中心に話すと思います。上手にバランスを取ることにより、人の心は最善の状態(プレゼンス)になりやすくなります。求めなければ得られないと説いたら、次は、幸せは心の状態であると語る。読書の大切さを説いたら、次に身体を動かすことの大切さを語る。論理的な思考法を説いたら、次に、人情や情緒の大切さを語る。健康食や菜食の良さを説いたら、肉を感謝して頂くこと、肉やジャンクフードを食べる人を裁かないことを説く。何度も法輪を回すことではじめて、人はバランスが取れるようになっています。たとえば、求めること、努力することだけを説けば、人は生涯、いまを失い、未来に幸せを求めてしまいます。幸せは心の状態であり、悟りは外側とは関係がないとだけ説けば、人は向上するための努力を失いがちです。菜食が良いとだけ説けば、肉食をする人への裁きが生まれやすいです。読書や勉強だけを勧めれば、知識を得ることへのこだわりが生まれるので、身体を動かすことや実践が疎かになりやすいです。心の性質上、極端だけ、一面的な教えだけを説くと、多くの人は道を間違えてしまいます。そのため、真に知恵のある賢者は法輪を回し、極端を説いたら、もう1つの極端を説き、必ずバランスを取るようにします。こうすることで、こだわりが取れて、人は最も良い状態になるんですね。悟りとは円やかで、こだわり、執着のない心だと言われています。2つの対極を順番に説くことで、ブッダの対機説法と同じ効果が期待でき、ブログでも多くの人の役に立てる記事を書くことが出来ると思います。今回は概要だけで、まだまだ深いお話がありますが、また次の機会に執筆したいと思います。いま覚者の受け売りで、悟り系やノンデュアリティを語る人の多くが、極端だけを説くので、人の役に立たないんですよね。相手の状態に合わせたり、法輪を回してバランスを取るということを知らないですからね。残念ながら人間の心の性質を知らない人が、受け売りで教えているケースがすごく多いということです。僕も未熟ですが、、意識の世界は奥深く、危険な落し穴も沢山ありますから、甘く考えずに、しっかりとした人から学んでほしいと思います。・最後のマスター僕が出来るのは真実のカケラをシェアすることだけです。予言で語られているメシア、弥勒菩薩(マイトレーヤ)が世に現れたら、最後の聖典が生まれると思いますが、そのとき意識の秘密が全て解けると思います。いままでの聖者は真実の部分的な情報しか知らなかったのです。イエスの信仰の道(太陽)、ブッダの瞑想の道(月)、それを統合した日月神示、その次に生まれる聖典が最後です。日月神示にも最後のマスターに最後の神示を語らせると書かれています。それが予言のメシア(キリスト)=弥勒菩薩のことだと僕は考えています。予言によると、この世界がミロクの世、地上天国に移行するのが始まるまで、あと数十年みたいですね。僕達は人としては、今回が最後の人生なのかも知れませんね。それではまた

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  • 08 Sep
    • 賢者から学ぶこと

      スピリチュアルだけでなく、あらゆることを学ぶときに大切なのは、誰がどんな立場の人に語ったか?だと思います。ある人には、本を読むこと、知識を増やすことを否定することが、実はより意識進化に繋がる場合もあると思います。知識に溺れて、知識を増やすことが目的になってしまい、実践が疎かになっている人には、「知識に溺れるな」という言葉が役に立ちます。ある人には、「あなたは頑張り過ぎだよ。もっと肩の力を抜いて生きようよ」と力を抜くことを伝えることがベストかも知れません。ストイックになり過ぎて、頑張り過ぎていて、心が硬くなり、遊ぶことや休むことに罪悪感を感じる状態の人には、遊ぶこと、力を抜くこと、休むことを勧めます。ある人には、「もっと働かないと駄目になってしまうよ。怠け心は悪魔の眷属なんだ」と努力を強調することが役に立つと思います。勿論、教師は、生徒の気持ちに寄り添い、心理学的になるべく根拠のあるお話をすると思います。簡単そうですが、大事なのはその内容であり、ただ頑張りましょう、息抜きをしましょうと言ってもあまり人の役に立つことは出来ないですよね。どうしてやる気が出ないのか?効果的な疲労回復の方法は?みたいな些細ことでも突き詰めれば、本1冊くらい書けると思いますが、教師は膨大な情報を凝縮して、加工して、生徒さんに教えられる知恵が必要になると思います。これはいまのコンピューターでは出来ない、人間の持つ素晴らしい能力の1つだと思います。世の中、ネットで検索してもレベルの低い情報ばかりで、分からないことは山ほどあると思います。ですから、優れた専門家に直接学んだり、専門家の本やブログを読むこともそれ自体が速学だと思います。たとえば、先駆者が2000時間かかって身につけた知恵をフォロワーは1000時間で学べ、その次のフォロワーは500時間で学べるようになる。これを経済学では不均等発展と呼ぶみたいですね。研究というのは、回り道や失敗の連続なんですが、研究者から学ぶ人は、研究成果だけでなく、回り道や失敗を少なくする知恵も同時に学べるので、より少ない時間で成長出来るのですね。ブッダが対機説法といった、相手のレベルや状態に合わせた知恵、情報を伝えることも人間にしか出来ないことです。その意味で、人生を大きく変化させるのは、いまの時代も優れた先生に学ぶことだと思います。ネット検索や本でも学べますが、より高いステージを目指すならば、その道の達人に学ぶのが最も効果的だと僕は考えています。

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  • 07 Sep
    • 偉人の名言集を読もう

      最近、Twitterの色々な偉人の名言botの言葉をお気に入りに入れてます。偉人の名言を時々読むことで、因果の法則や道理を忘れないように出来るからです。名言集は、数分あれば読めるので、忙しい時に人生哲学を復習するのに最適なんですよね。人のマインドは逆様メガネであり、苦しみと喜びをもたらす道が逆に見えます。ですから、逆様メガネを矯正して、善い生き方をするために出来れば毎日、短時間でも賢者の人生哲学を学べたら良いですね。たとえば、朝に5分でも偉人の名言を読んでおけば、一切に喜びをもたらす道を選択出来る確率も高まるはずです。人生哲学を頭で理解してもなかなか実行出来ないのは、学んだ記憶を引き出しにくい状態にあるからみたいです。学んだ記憶を顕在意識に浮上させるには、キーワードを使うのが有功です。イエスの山上の垂訓やブッダのダンマパダなど、宇宙真理が凝縮された短い詩を何度も読むことは、人間の脳の仕組みにも適うみたいです。やっぱり学びには長い文章と短い文章の両方が必要であり、聖者は効果的な教え方が分かっていたようですね。たとえば、汝裁くなかれ、というキーワードを思い出せば、なぜ許しが必要か?なぜ裁くと人は不幸になるか?聖典で学んだことが記憶から引き出されやすくなるでしょう。長い説法はマインドを納得させ、心を静かにするのに役立ちますが、内容を思い出すのが難しくなります。短い言葉は、意味を深く理解していないと効力がないので、一長一短なんですよね。様々な聖典や良書を1から10まで読んでいたら日が暮れてしまうし、疲れると思うので、読書は如何に効果的にするか?が課題ですね。いま心を調律するのに、長い文章が必要か、短い文章で良いか、自分の心に聞いてみてください。そういえば、人は説法が短いと意味が分からないと文句を言い、長いと難しい、疲れると文句を言うとブッダが言ってましたね。笑長い文章、短い文章、どちらも意味があるので、どちらも愛する人がいちばん得をするでしょう。聖典は本質を抽出すれば、1000ページある本も50ページくらいの名言集、詩集で表現出来ると思います。でも本質を理解するには、1000ページ分の学びが必要だったということなんですね。本質を理解したら、あとは記憶を上手く引き出せるように、キーワードや名言を抜き出してノートにメモするのも役に立ちますよ。僕は聖者の名言も好きですが、斎藤一人さん他、経営者の名言集も好きで、読んでるとやる気が出てきます。あと、Twitterの志茂田景樹さんの言葉はまるで仏教の菩薩の言葉のようで、めっちゃ勉強になります。今回も長かったですね。(汗)長文で未熟な文章だけど、読んでくれた人ありがとう。

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  • 04 Sep
    • 疲労回復の方法

      リプログした記事では、生命力を活性化させるための運動法を執筆しました。今回は心身の疲労回復の方法です。疲労が強いときは、方法でも何でもないですが、寝てしまうのがいちばん疲労回復に良いと思います。笑ちょっとした疲れには、エアロバイクの負荷を軽くして運動したり、体操したり散歩するのも効果的です。運動は負荷が大きいと疲労を増大させてしまいますが、軽い負荷の運動は、血行を良くして、疲労回復を早める効果があります。瞑想の境地で手や足をよく動かすことにより、頭に昇った気を下げて、心をほぐすことが出来ます。読書や勉強、考えることに疲労を感じているときは、目や脳が疲れているだけでなく、頭に気が集中して、心が硬くなっていて、ハートと繋がりにくい状態です。哲学者がよく歩くのも、考え過ぎて硬くなった心がほぐれて、柔らかくなるからだと思います。その他、心をリラックスさせるのに音楽やお笑い、マンガ、アニメ、ドラマ、映画、ゲームなど芸術作品やエンタメも役に立ちます。芸術にも神界に繋がりやすい作品と幽界に繋がりやすい作品があります。退廃的なもの反社会的なものは、幽界の悪霊が感応する危険があります。退廃的なロック音楽、ホラー作品、ゴシップ記事、暴力的なもの、ポルノなどは意識が幽界に繋がる作品が多いです。でも危険なのは一部なので、基本的には自分が楽しいと感じる作品を選ぶだけで大丈夫だと思います。真剣さ、真面目さも神の一面ですが、遊び心やリラックスも神です。中庸に生きるのがスピリチュアル的にはいちばん良いと思います。・目を休ませること目が疲労すると脳も疲労して、頭の働きが鈍くなってしまうので、疲労回復には身体だけでなく、目を休ませることがすごく大切なんです。読書をしたり、テレビ、動画などを観た後は、遠くの景色を観ること、目をつぶって目を休ませることが疲労を取るのに良いです。5分くらい目を閉じて休ませたら、思いっきり遠くの景色を観て、近くのものをまた観るという風に目をダイナミックに動かします。これ一回に2~3分、一日に何度もやってみましょう。そうすることにより、目の疲労が効果的に取れて、頭脳もリフレッシュしますよ。今回は疲労回復について書いてみました。それではまた

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  • 02 Sep
    • 光にフォーカスする

      僕の文章は、教師の言葉みたいでエゴを感じる人も居るかも知れません。そんなつもりはないんですか、無意識の慢心や謙虚でない部分が文章に表れているかも知れません。人生は失敗して反省して、失敗して反省しての繰り返しですね。慢心を感じた人はごめんね。(^_^;)形のレベルでも改めたいけど、それ以上に内側をもっと浄化していきたいですね。マナーと言っても形だけでは駄目ですからね。この記事は、闇(エゴ)の視点から人間の汚なさ、計算高さを書いたのですが、少し表現がストレート過ぎたので書き直しました。180度伝え方を変えようと思ったのです。仏教的な厳しい方法ではなく、神示の喜びの道を書こうと思いました。闇の視点からストレートに書くと、潜在意識に悪影響を与えるリスクがあります。間違えれば、人の美点、長所ではなく、短所、エゴにばかり注目してしまうのです。悟りとは、他者のエゴ、汚点を病(無知)と捉えて、裁きを手放し、形を超えて観ることと言われます。僕はもっと進めて、常に人の美点、長所を意識して観ていくとより効果的だと思います。マインドは社会や人のあら探しをするのが仕事ですから、意識的に人の美点、長所を観て、バランスを取るのが丁度良いかも知れません。厳しくなるより、寛容になり、目覚めて人の良いところを探していくのが最も楽な道です。そうすれば、ミラー効果が働き、色んな人の美点、長所が自分に移ってきます。潜在意識は鏡のような働きがあり、注目したことを無意識に心に刻みこみます。目覚めた人は、意識的に人の長所や美点にフォーカスして学ぶので、色々な人の良いところが潜在意識に刻まれます。愚かな状態(無知)の人は、人のあら探しばかりして、欠点ばかり観るから、心が汚れ、陰気になっていきます。目覚めて、人の良いところを見つける人は、心に天国を作り出すと言われます。楽天家になり、細かいことを気にかけず、人の心の中の宝物を見つけだす達人になりましょう。ユーモアがある、働きものだ、勉強家、明るい、センスが良い、心が柔らかい、誠実だ、責任感がある、真面目だ、思いやりがある、などなど。人の心の中の宝物を探していけば、きっと他者もあなたの宝物を見つけてくれるようになります。人を認めるから認められる、友好的になるから鏡も友好的になる、これもカルマの法則ですね。喜びから神に到達する、神示の道は易しい道であり、誰にでも役に立つと思います。

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    • 委ねること 舵を離すこと

      前回、運命を委ねるということを書きましたが、委ねるには神への信が必要で、神への信を生み出すためには神仏の世界観を知る必要があります。キリスト教徒が聖書を読むように、浄土真宗や密教などの経典を信じて読む人は、阿弥陀仏や大日如来などの神仏に委ねることも容易になるでしょう。神学者であるエマソンは、カルマの法則について物言わぬ第三者(人格神)との取引と表現しました。神を信じるということは、どんな経験もカルマの法則により、意識進化のために与えられると信じることです。・委ね、神任せが苦手な人は?でも、法則に完璧には納得出来ない人も多いと思います。神を信じられず、委ねるということが苦手な人も居ると思います。そんな人は、禅やブッダの教えた初期仏教のように、引き寄せも委ねも何も意識せずに、ひたすら目の前のことに意識を込める瞑想の道も良いと思います。不満や怒りは、瞑想により同化しないようにしたり、役に立たないとして手放すことで解消していきます。手放しには、エックハルト・トールの説くような賢者の世界観を学ぶことが役に立ちます。あらゆる悪は無意識(無知)であり、ペインボディという人類共通の病が原因というのは手放しをするのを助けてくれます。僕は日月神示とエックハルト・トールの世界観が赦すことの役に立っています。瞑想や明け渡しは、心を静かにするための教えですから、心が静かになれば、どちらか片方でも良いです。両方を統合して学べるのは日月神示ですが、神示は表現が端的でなかなか難しいですね、、。委ねは~であるという理論より、神への信の部分が大切なので、信仰の道は人を選ぶと思います。この世は無常であり、人の希望通りにはならないとか、来るものは来るに任せるとか、仏教の世界観も執着、期待、要求を手放すことを助けます。ブッダは委ね、神という概念を使わず、世界観を使い、明け渡しと同じ状態をもたらします。それは、苦しみの原因である、エゴの思い通りにというコントロール欲求、舵(オール)を手放させ、楽をもたらすということです。心を静かにするには、瞑想だけでなく、無常や縁起、空など仏の世界観、思想を学ぶことが大切です。仏の世界観を学ぶことは、長期的には運命に大きな良い影響を与えると思います。長くなりましたが、誤解を生まないための自分のスタイルです。いまは言葉を磨いてる最中で、短く分かりやすくする方法を勉強中です。

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  • 27 Aug
    • 瞑想の達人

      十年近く前ですが、今回リプログした自在さんの教えは、座る瞑想を学ぶのに参考にしてました。座る瞑想を学ぶ人の参考になると思いますので良かったら読んでみてください。以下は自分の瞑想についての考えです。サマタ瞑想だけでなく、自分の心をあるがままに観察(観照)するヴィパッサナー瞑想をすることで、より早く煩悩が落ちていくと言われています。でも、真に観るということを知るのは知識や知恵、経験が必要です。僕は基本的な瞑想法である、サマタ瞑想(坐禅、歩行禅など)を中心に記事を書いていました。サマタ(止める)瞑想、ヴィパッサナー(観行)瞑想どちらも結果的には、我(エゴ)を縮小させる効果があると思います。サマタでは、呼吸や動作に意識を込めながら、思考や感情に気づき、同化せずに放っておくことで、自我に餌をやることを防ぎます。マインドフルネスや禅も専らサマタを教えています。覚者クリシュナムルティのようにテクニック(型)を否定して、ヴィパッサナーだけを教える人も居ます。テクニックとは、呼吸や歩行などに意識を向けることです。祝詞や真言(マントラ)を唱えることも同じですね。テクニックを使う瞑想のデメリットは、瞑想と瞑想でない時との分離が生まれやすくなることです。座る瞑想をやめた直後、歩行瞑想をやめた直後、祝詞を唱えた直後に無自覚になってしまうリスクがあります。そういった型やテクニックを手放せば、常に自覚できる人は、日常の全てが瞑想になります。・達人はテクニックを使わない達人は瞑想をするために、あえて座ったり、歩いたりする必要はないんです。常にいま瞑想(自覚)の境地なんですから、特定の型は必要ないんですね。座ること、歩くこと、働くこと、話すこと、休むことが分離せずに瞑想(気づき)の境地で行われます。クリシュナムルティは、体操のヨガをやるときに「単なる身体の健康のためだ」と語りました。彼は常に瞑想の境地なので、瞑想のためにヨガをやっているわけではないということですね。彼がたまに座るのは、瞑想の境地がより深まるからかも知れません。常に瞑想の境地だけど、座ればより深い瞑想になるということだと思います。テクニックなしは、普通の人には難しいので、色々な知恵を使い、分離を起こさないように気をつけていきます。たとえば、座る瞑想、アクティブ瞑想が終わった直後に、人は無意識(無自覚)になりやすいと知るのも小さな悟りです。エックハルトが教えているのは、日常の行動リストを書いて、洗濯、料理、掃除、買い物、運転、歯みがき、と1つ1つ順番に意識を込めてやることです。どうしても普通の人は瞑想でない、無自覚な状態が出てきますが、学び、創意工夫することで、より目覚めの時間を増やせるはずです。

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  • 25 Aug
    • 幸せな生き方

      ラジオで木村カエラさんの番組を視聴しました。カエラさんは、自分は知らないことだらけだと語っていました。漢字が苦手であり、普通の人が分かる漢字でもよく読み間違えをしてしまうと笑いながらお話していました。自分の欠点をそんなに気にかけず、笑い話に出来るのは素晴らしいな、と僕は感じました。リスナーのお手紙を読み、即座に相手の心情を察して、人の心が軽くなるようなトークが出来るのは、優しさであり、徳ですね。そのことは、ちょっと漢字が苦手なことより、ずっと価値があるよなあと思い、尊敬しました。世の中、常識とされていて、知らなきゃ恥ずかしいことって山ほどあると思いますが、誰でも常識でも知らないこと、苦手なことってあると思います。でも知識よりも、もっと大事なことがあると思います。自分は政治のことは時間がなく学べてないので、ほとんど分からないし、新聞を読んでも分からない単語が多いです。本気で政治を知ろうと思ったら、たぶん、毎日、数時間は勉強しなければいけないので、ハードルが高いなあと感じています。さらっと新聞読んだり、ニュース観たりでは政治はちんぷんかんぷんです。笑そういえば、いまも世間では、自己啓発としての仕事術や読書術、地頭を鍛える方法などの本が売れているようですね。そういったデジタル的(合理的、理知的)な能力を高めるのも良いですが、もっと感性や人情というアナログ的で捉えがたいけど、人にとって欠かせない要素を磨くことが必要だよなと僕は感じています。スピリチュアルの教えは、ほとんどがアナログ的であり、数値や形で表しにくい要素を中心に扱っていると思います。悟りとか愛なんかは論理や数値では表せないでしょう。悟りは、勉強のように学べば学ぶほど近づくとは限らないのだと思います。覚者の受け売りをする人は大勢居ますが、悟ってる人はまだ何人も居ないです。覚醒したと言ってビジネスをしている人で完成した人は、ほぼ居ないと思います。一瞥体験をした人、一時的な大悟を経験した人は大勢居るでしょうけど、、。人の本性は悟りだという視点ならば、既にみんながブッダであり、「私は悟っている」は真実ですが、、。僕は日本人で一人だけ完成した人を知っていますが、口外出来ない(その人に迷惑がかかる)のでやめておきます。話を戻しますが、勉強のし過ぎ、考え過ぎはマインドを強め、悟りを遠ざける原因になるかも知れません。エックハルトやラマナのように知識がなかった人が悟る場合もあり、一生勉強した人でも到達出来ないことがあります。悟りは論理的な発想だけでは到達出来ないのですね。論理も役に立ちますが、論理だけでは片手落ちです。ハートに繋がるためには、人の心情、情緒に鋭敏になる必要があると思います。そのためには、感性が豊かな人、ユーモアのある人、思いやりのある人から学ぶのが良いと思います。人は心が平和で、慈悲や思いやりがあれば、知らないことだらけでも幸せになれるはずです。

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  • 23 Aug
    • 瞑想のコツ 2 目覚めた眠り

      過去記事の再アップです。瞑想のコツこちらの記事に基本的なことが書かれています。有酸素運動+座る瞑想は、仕事や勉強後の疲労回復にも効果的です。呼吸を観察しながらリラックスする瞑想法は比較的、安全な瞑想法です。注意点は熟練してない人が、感情が乱れているときにやると、想念に巻き込まれやすいので逆効果になる危険があることです。そんな時は、身体を動かしたり、好きなことをやったり、読書をしたりしながら、感情を消そうとせず、あるがままにしておくという方法が効果的です。感情を変えようとせずに、放っておいて、行動に意識を向けるというのは、森田療法的なアプローチで、安全な心理療法です。何かに意識を向けることで、感情を放っておきやすくなります。日本人は仕事や家事、運動などのアクティブ瞑想をメインにして、座る瞑想は疲労回復を兼ねてやるのが良いと僕は考えています。・瞑想の極意は、目覚めた眠り座る瞑想の極意は自己放棄、心身脱落という言葉で表現されています。自己放棄、心身脱落は布団やベッドで眠るときを思い出してみてください。寝よう、寝ようと努力するのではなく、努力が放棄された時に身体が完全にリラックスして、眠りに入っていけるはずです。身体の力を抜き、リラックスしようと努力している状態は、まだ完全なリラックスではなく、微細な緊張が残ります。瞑想の際に姿勢を整えたり、身体をほぐすのは本当の瞑想状態が起こるための準備段階です。準備が整ったら、布団やベッドで寝るときのように脱力して、身を任せてみてください。脱力をしようとするのも何もかも放棄された時に真のリラックス、心身脱落が起こります。ただし、眠りになってしまわないように呼吸の観察だけは続けましょう。究極の瞑想状態である、大悟、サマディとは、目覚めた眠りと呼ばれるように、深い瞑想状態で断固として目覚めている状態です。深い瞑想状態では、意識が眠ってしまい、自覚を失ってしまう危険がありますが、呼吸を観察することで眠ってしまうのを防ぎ、目覚めを保てます。実はエゴがない状態でも、エゴがないと気づいている意識があります。それが観照意識であり、目撃者であり、大我と呼ばれるものです。それが本来の自分であり、全体意識です。身体がある限り、どんなに洗っても磨いてもどうやっても消せないものが大我であるとされています。無我の時に無我だと気づいている者がない状態は悟りではなく眠りであります。悟りが目覚めのない眠りであれば、聖者はどうやって世界で活動するのでしょう?となりますよね。ですから、目覚めた意識と完全なリラックスを合わせて、究極の瞑想とは目覚めた眠りであると言われるのでしょう。深い瞑想に入ると、神仏の力との繋がりが増して、過去の痛みが癒され、心が平和になってきます。イエスは「人はパンのみで生きるのではない」と語りましたが、瞑想は数千年前から伝えられる心の栄養を補給するための人類の知恵なのだと思います。

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  • 22 Aug
    • 現代の悟りの道

      ・人はどうすれば幸せになれるか?僕は自身の経験だけでなく、多くの探求者を観察してきて感じたことがあります。それは、禅のような、いまに在る、いまここを生きるという教えだけでは、本当にいまに在るのはかなり難しいということです。本当にいまを生きている人は、何十年も覚者や禅などの本を読み漁ったりして、探求するでしょうか?思考や感情を目撃していまに目覚めるだけで良いのですから、そんなに学ぶことはないでしょう。坐禅だって、「只管打坐、ただ座れ」、で話は終わりなんですが、、。なぜいまに在るのが難しいのかというと、人は過去生から現在まで心に蓄積してきた感情的な痛み(ペインボディ)を持っているからだと思います。ブッダの原始仏教の教えでは、人間関係の軋轢や色欲などで、ペインボディを刺激しないために、世間を捨てて出家する放棄の道が説かれました。心が静かになりやすい環境、瞑想しやすい環境を意図的に作っていたのですね。修行者は、出家して世間の責任を放棄することにより、人間関係のストレスが少ない状況で瞑想(いまに在る)に専念することが出来ます。原始仏教や禅では専ら、瞑想を深め、戒律を守ることにより心を浄化する方法が説かれていますが、戒律を守る人が集まれば、日常もストレスが少なくて良いですよね。それと、世間を放棄する道では、社会で働き、どのように考え、行動するか?という教えが欠落しています。それは出家の道だから当たり前と言えば当たり前なんですが、、。ブッダやインドの聖者の教えだけでなく日々、仕事をして生活しなければいけない普通の人は、学ぶ必要のあることが沢山あると思います。スピリチュアルだけでなく、仕事も一生勉強なんだと感じています。僕はいまここ、いまこことだけ言って、昔のやり方で教えても無理があると思います。いまの時代に合わせた人生哲学や心のカタルシスの方法が必要だと思うんですよね。

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  • 20 Aug
    • 祈りの秘密 3 真の祈りの境地

      ・日月神示の言葉日々の祈りは行であるぞ百年祈り続けても祈りだけでは何もならんそれは祈り「地獄」じゃ祈り地獄多いのう肉体人は肉体の行をせねばならん日々の祈り結構致して呉れよ次の祈りは省みることぞいくら祈り行じても自分省みねば千年行じても何もならん道理じゃ同じ山に登ったり降りたり、御苦労のこと馬鹿の散歩と申すもの「悔い改めよ」と申してあろう省みて行じるその祈り弥栄えるぞ日月神示 黄金の巻より日月神示 黄金の巻こちらのサイトでは日月神示が全文掲載されています。前回の記事では、祈りとは心の調律であると書きましたが、祈りは、座る瞑想や真言や祝詞などを唱えるのと同じで、心を静かにするためにやります。このブログを読んでる人は大丈夫だと思いますが、、引き寄せの法則や変なスピリチュアルに傾倒すると、意識を整えれば何でも引き寄せられると勘違いしてしまう人が居ます。でも全てが心の表れならば、行動も心からはじまっています。ですから、行動を観れば、人の心の状態が分かると言われています。いくら合格祈願をしても、行動が変わらなければ、心が変わっていないということですね。心に情熱や意欲があれば、かならず熱心な行動になって表れます。・行動を変えれば心が変わる逆も真なりで、行動を変えれば心が変わります。そのため、神示では心を変える教えだけでなく、肉体の行を重視しています。意識的に行を良いものに変えることで、心が浄化され、強くなっていくからです。勤勉に仕事をすることが重視されているのも、そのことにより、自制心が強くなり、心が磨かれるからだと思います。・ミコトになる神示では、想念だけでなく、言葉と行ないが合わさったのが真の祈りであると書かれています。言葉と心と行ない、3つ揃った人をミコトといいます。ミコトになれば、必要なものは全て満たされると言われています。じゃあ結局、行動が全てではないか?という話になるかも知れません。それは早合点です。勤勉に働くだけで、みんなの心が浄化され、悟れるならば、すでに日本は地上天国だと思います。ミコトとは、心と言葉も含まれています。たとえば、善い行ないをしなさいと言ってもなかなか出来ないのが人です。人付き合いや恋愛でも利己的な心で行動していたら良い縁にはなかなか恵まれないと思います。良い縁があっても意識レベルが合わないと水と油のように分離してしまいます。スピリチュアルを学び、実践して、心が静かにならないと、本当の善を為すのはかなり難しいんですね。世の中には仕事熱心で勤勉だけど、スピリチュアルに無知で自分中心で、思いやりのない人はいくらでも居ますですから、神示では読書をして宇宙真理を学んだり、小乗の行(瞑想や祝詞)で心の調律をしながら仕事をしなさいと説かれています。真の祈りとは、心の調律とポジティブな行動が合わさったものです。人はミコトになった時に、本当の宝物が神から与えられるのだと思います。今回も自分に必要な教えになりました。僕は積極性や行動力が足りないなって感じています。表現することで反省が出来ますね。

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  • 19 Aug
    • 良書を音読しよう

      ・良書の音読は運命を変える日月神示には神示を声に出して読むと言霊になり、守護霊も改心するぞと書かれています。音読は脳科学では前頭前野をよく働かせるので脳トレになると言われていますよね。そこで聖典や良書を音読すれば、脳を良くするだけでなく、潜在意識にプラスの影響を与えて、心を浄化することが出来るので一石二鳥ですよね。覚者であるエックハルト・トールは、、内部的な現実と外部的な現実は深い相関関係にあると教えています。心により、自分が引き寄せるものも変わっていきます。悪が好きならば、悪を引き寄せ、善が好きならば善を引き寄せるわけです。深く付き合う人、引き寄せる人で、その人の心がある程度分かるかも知れません。その人を知りたければ、その友を見よという言葉もありますよね。日月神示では、内にあるから外から近寄ってくると言われています。だから神示では、運命を変えるために、心の浄化、身魂磨きが強調されています。でも、心が清らかなら何でも思い通りになるのか?というとそうではなく、人は老病死という宿命から逃れることは出来ないです。それでも、心が清らかになっていけば、終わりの日までの人生を、安らかに楽しく暮らせるようになるのではないでしょうか。運命を変えることにも限界はありますが、努力した方が良いですよね。心の浄化の1つの方法として、聖典や良書の音読があります。・音読、黙読、考えること読書は、音読ばかりでは、脳を酷使するので、疲れて学習効率が落ちてしまいます。巷には、一時間音読とか主張する人も居ますが、効率が悪いと思います。僕のやり方では、はじめに音読で潜在意識にプラスの影響を与えて、次に黙読して内容について考えます。1、音読する2、同じ内容を黙読して内容について考えるこうすれば、内容を理解しやすくなるし、思考のトレーニングにもなり、より潜在意識を変えるのに効果的だと思います。黙読は、速く読めるし、負荷が少なく疲れにくいので、使い分けると長く読書しても疲れにくいです。ブログや新聞などは、頭を疲れさせないために、黙読で早読みしています。それでも読書は頭を使うので、疲れてくると内容が頭に入りにくくなってきます。疲れた時は、何も考えずに体操をしたり、運動したりするのもおすすめです。僕は頭をほぐすために軽く運動してから音楽を聴いたり、好きなユーチューバーの動画を観たりしてます。次回も読書について考えてみますね。

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認知心理学やポジティブ心理学、マインドフルネス、クリティカル・シンキング、情報リテラシーなどを研究会...

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