全部、太宰治さんの作品ばかりという、なんとも厨二病的な自分に閉口なんだけれども。
■斜陽
■人間失格
■ダス・ゲマイネ
■満願
■富嶽百景
■葉桜と魔笛
■駆込み訴え
■走れメロス
■トカトントン
■ヴィヨンの妻
■桜桃
■燈籠
■姥捨
■黄金風景
■畜犬談
■おしゃれ童子
■皮膚と心
■鷗
■善蔵を思う
■きりぎりす
■佐渡
■千代女
■風の便り
■水仙
■日の出前
■晩年(魚服記、彼は昔の彼ならず、めくら草紙)
■女の決闘
■老ハイデルベルヒ
まだ読めてないのもあるけど、「太宰治全集」なるものを図書館で昨日借りてきたから、読破するつもり。
読書はとてもいいものだと思うけど、現実世界の問題をクリアしない限り、いつまで経っても本の世界へ逃避し続けてしまいそうで、怖い。
読み終わってふと現実世界に戻ると、怖くて怖くてまた新しい本を手にとってしまうみたいな。
読みながら、数十年生きてきた中で自分が創り上げてきた人間性、性格、思想、そんなものに変化を与えるべく、登場人物の人間性、性格、思想を細かく咀嚼して、より分けて、吸収しているのだけれど、偏った作者の本しか読まないので、結局は偏った自分が出来上がるという始末。
私がこんなに太宰治さんの作品ばかり読み漁っているのは、きっと彼とどこか似通ったものを多少は抱えているからで、「自分を変える」というより、「今までの自分を肯定し、さらに強固なものにするために、読み漁ってる」ような気がしてならない。
変わりたいのに、実際は変わろうとしていないんじゃないかって。
今私が欲しいのは、広い視野。そして、新しい何か。
自分が夢中になれるもの、それはただの現実逃避の手段になるものじゃなく、それにより自分が、自分の中身が変わっていけるようなもの。
「何かを始めたい」と思っている人がアンテナを張り巡らせていれば、驚くほどにそういう話やきっかけを掴めるものなんだそうだ。
昔働いていたところの上司が、そう言っていた。
普段は見落としているような、雑誌や新聞の片隅、読み飛ばしているようなネット記事、聞き流しているような周囲の人の言葉。
そんな中に、引っかかるものを見つけられるんだって。
なるほど、先日友人も同じようなことを言っていた。
彼女は本当にバイタリティ溢れる毎日を送っていて、「一日一日が愛おしく感じる」とも言っていた。
毎日、何かに向かって、努力して、そうしていれば、確かに私みたいにぼんやりとした情けない日常は送らずに済むだろう。
過去ばかり振り返り、恋しく思い、もう一度取り戻したいとばかり願っていて、でも実際はその場から一歩も動かずに留まっているばかりでは、そういう願いすら叶わないんだね。
歩き出すと、取り戻したいものが本当に過去のものになってしまうようで、それからどんどん遠ざかってしまうみたいで、怖いって気持ちがとても強い。
でも、そういう自分だから、続けたかった過去は続かず、破綻し、こんな状況に陥ってしまっているのだから、やはり自分は何かを間違っていたとしか言えない。
もう一度新しくやり直す気持ちで、新しい一歩を踏み出さなきゃいけないんだよね。
