五大ウィスキーになったカナディアンウィスキー

何故、五大ウィスキーになれたのか・・・

最初の始まりはイギリスからの移民である。
善きも悪きも人が大陸を渡り、侵略をした事から今の私達の暮らしが存在する。
この頃はまだ、密造酒が溢れていた。

「ムーンシャイン」

私にはとても思い出のある名前である。

少し、時間が飛ぶが1920年から1933年はアメリカにて禁酒法なるものが存在していた。
禁酒法時代に作られていたウィスキーは月明かりの下で作られていた為に
「ムーンシャイン」と呼ばれている。

ちなみに最近、スマグラーという映画がやっていたが
元々は密造ウィスキーを運ぶ人の事をスマグラー(密輸人)と呼ぶのである。
アメリカでは密造者がムーンシャイナーと呼ばれる。
スマグラーはスコットランドで生まれた言葉になる。
スマグラーは密造業者という意味合いでも使われているようだ。

アメリカの禁酒法時代によく知られた密輸人はと言えばアル・カポネであろうか・・・

まあ、マフィアたちがこの禁酒法の時代にやった功績は
カナディアンウィスキーの密輸であろうか。
この13年という短い期間で世界的な認知になったとは思えないが、
この時代がなければ今ほどの認知度はカナディアンウィスキーにはなかったと思う。

カナディアンウィスキーのイメージはライトタイプになるのだが、
きっと、そんな事もない。そもそもその表現の仕方が間違っているように思う。
私が飲んだ事のあるCNタワーというウィスキーは1972年に輸入されていたものだが、
そうとう味の濃い。表現力に満ちたウィスキーだった。

一番よく知るカナディアンウィスキーと言えば

「カナディアンクラブ」であろう。

1960年代に流通していたカナディアンクラブ
そして古いスイートベルモットを合わせると
オールドマンハッタンなる物が出来る。

その価格¥5000だそうだ・・・

歴史を感じられるなら決して高くはないとも思う。