その人はとある病気を抱えていた。


そのことはみんなに知らせることなく過ごしていました。


でもある日倒れてしまって入院することに


もちろんその時好きだった人はこのことを知りませんでした


言ってないし毎日連絡を取り合うような仲でも無かったので当たり前のことでした


それでも心配してくれる人はたくさんいました


親族、友達。なかでも一番仲の良かった従兄妹は涙を流して心配してくれて


凄く嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています


でもその人はとても弱いというか強欲な人で


自分の好きな人に心配してもらいたい。そう思いました


元気になってからそのことを話したら、心配されるどころか逆にうざがられてしまいました。


相手にとって自分はとても小さなちっぽけな存在だったということが身にしみた時です


心配っていうのはある一定の評価、存在価値を得た人間のみにするんだなぁって


でもその時は自分のことをこんなにも心配してくれる人がいて幸せ。そういう感情もありました


本気になって心配する。そういったことはなかなかできないことです。


でもそのことは心配された本人にとっては物凄く嬉しいし元気になる素なのです


本人にとって大事な人であればあるほど


あの時心配してくれた人がいるから私は今元気で居られる



そう誰かが言ってた。



僕はとある小さな町に住んでいた


その町の中心には凄く美味しいコロッケ屋さんがある


そこの店主はみんなから好かれてて信頼もされている


でもちょっとおしゃべりな部分があったんだよね


店主は僕を可愛がってくれて形が崩れたコロッケをくれるようになった


僕はただ単にそこのコロッケが好きで毎日毎日通って食べた


そんな姿を見て町の人は「あそこの家は貧乏で食べるものに困ってる」


別に僕の家は貧しい訳じゃない。ごく一般の家庭だ。


毎日ご飯は3食食べれるし、休みの日は旅行にだって行く


店主は町の人に「凄く食べたさそうな顔してるし、あの笑顔見るとね」


店主の言葉はどういう意味か分からない


だけど、その町では僕の家は「貧乏」というレッテルが貼られた


それがこのまち

困難な道と楽な道



困難な道はとっても苦しいし、精神的にきつくて長い時間を要する



さらに終着点は自分が進むと離れていっていつゴールできるか分かんない



楽な道はホント楽



なにも考えなくてもすぐゴールできちゃう



だけど俺が前者をとってるのは求めてるものがそこにしかないから



楽な道じゃなにも満足しない



でもせめて助けは欲しい