2/7日にTOMA BOXの
ファンミーティングがあって、
それを機に、
2/9日に何かが開くと思っていて、
2/10日にへそプロメンバーの
まりぃちゃんと予定にしていた
奈良巡りは
まりぃちゃんの
土地押さえっていうのか
宇宙シゴトの同行というのか、
私としては5年半ぶりに
天河大弁財天さんへご挨拶に、
龍にご挨拶で、
かな〜と
運転手だ〜、と
軽い気持ちで、
お気楽にかまえてたんですよ
いいお天気で気持ちよくて
だけども
2/9日のTOMABOX奈良ツアーも
ほんとに?
な衝撃だったし、
翌日の2/10日の奈良巡りも
ド、ドンピシャ
だったそのエネルギーが
少し私の中の何かを呼び覚まして
15日に
京都の廣隆寺に
行くことになります。
書けばキリがないけど、
もともと16日を休みにして
次女と楽しみにしている映画に行くつもり
に
していたんですよ
映画が16日公開なもので。
これ逃すとスケジュールしんどいぞ、と。
なのに
叔父の税理士事務所の方で
どうしても
15日の休みになってしまう
ぁぁ、京都へ行けるようになってしまった(心の声)
そしたら、おもむろに叔父が
こちらをくれました
大神神社
おさがりの御神酒
もちろんこんなのをもらった事はないし、
叔父も頂き物でして、
廣隆寺を開基した方の逸話として
↓
三輪大神(大神神社)の社前に流れ着いた
童子
と書かれていて
それで私は
ああ、はい
となったわけです。笑
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
ただ私がビックリするぐらい
空海さんはアピールがものすごいので、
あぁ、だから私が来れたのかもな
なんて思うわけです。
お寺に入ってすぐの
気になるところは、
空海さんが作った
地蔵菩薩像
があったり、
このお寺を作った方をお祀りもしていて、
ご本堂も歴史を感じる
大変立派でして。
背筋が伸びる感じ。
予想にしてなかった
深みや歴史
大事さ
を感じたわけです。
重要文化財バリバリだったもんで😅
って書き始めて
まとまらない
どうしよう💦
ここのお寺にあった
藤原時代の
どれくらい前なの?な
1000年以上前の木造の像を目の前にし、
興奮と歓喜と
知りたい欲が
わんさか湧いて
お像を大切に保存してある
霊寳殿
で
受付兼警備のおじさまに
めちゃくちゃ質問したんです。
目をギラギラさせて.笑
そして
今年に入り、
私、ものすごく人を集めるみたいで💦
人払いとか
かっこいいなー
って思うんですけど、
今年に入って顕著に
行く先々で
急に人が来るんです💦
今回の廣隆寺もそうでした。
着いた時には
帰る方もおらず、
一緒に入る人もおらず
予報通りに雨も降り始めて
私ひとり、
シーーーーン
っていろいろ見て歩いて
本堂に着いたら
バラバラと
めちゃくちゃ人が来はるんですよ💦
しかも、
声もかけられます💦
『弥勒菩薩さんはどこにあるんでしょうねぇ?』
って。
私はその時初耳だったもので
『え?弥勒菩薩さんいらっしゃるんですか?』
って
とんちんかんなお返事と
少し会話をして、
その間にも
間をあけて
人が来る。
なので、
人を避けて進んでいくと、
受付があって
それが
霊寳殿の拝観の受付と知り
押されるように
進んでいきました
😅
もともとその気質はあるんですけどね、
5年半前の奈良の
天河大弁財天さん▶︎龍泉寺
の時も
気になって覗きに寄ったところが
役行者さんがいらして、
そしたら急に!
急に後ろにおばあさんがいて
龍泉寺のことを説明してくれ始めて
『いいとこよ〜、あんた行っておいで』
と言われて行った
それがあまりにキョーレツな記憶で、
それを今回思い出さずにはおれない
もろもろの出来事😅
って
書いてるうちに
聖徳太子さんまでいかへんやん😅
霊寳殿で
聖徳太子とその像の横に
お側付きのようにいらした像のことや、
おじさまに聞いた話で
すごく面白いのがあったので、
続きでまとめてみます。
ぜひこちら
總水とおまさんの記事を
ご一読してほしい。
興味津々を通り越して
もろもろのスイッチ
カケラ
それらが輝きだすかもです。
祖父がね、ずっと般若心経を唱えていて、
朝夕と
おばあちゃんの為におつとめしてたんですよ
お墓も朝夕と拭きに参っていて
そのじぃちゃんのお経を
よくよく後ろで見て聴いていて、
ずっと欲しかった
その読本と
出会えました
廣隆寺の歴史本の中に
この大好きな角度での
弥勒菩薩さんも載っていて
この絵はね、持ってる。
黒川貴代ではない時と
黒川貴代で生きてる時の
どちらのカケラ✨とも
出会えた日でした
最後まで読んでもらったのに、
ぜんぜんタイトルまでいきませぬで🙇♀️
なので
ちゃんとつづく