6回目鑑賞。
レイトショーを観るの好きなんだけど
この映画に関しては観て寝ると必ずミッドナイトスワンの夢を見るのと数時間おきに目が覚めてまだ眠って5時間目くらいなのにもう完全に起きてしまっている。前もそうだった。

ずっと映画の世界を反芻する。
以下ネタバレしかないのでもし読んでくださる方で
ネタバレ不要な方は読まないで下さい。





小説も読んでるから
お話全体はちゃんと理解出来てるんだけど
でも言いたい。

まず、なぜ通報されたからと言って
なぜ凪沙の母はいとこの娘を独り者の成人男子に
預けたのか?普通は子どもとはいえ女の子だから
預けないでしょ?だから凪沙母はきっと凪沙がトランスジェンダーで女の子だってちゃっとわかってたのよね。でも認めたくないんだよね。上京してあまり音沙汰のない息子と関わりたいんだろうな、もしかして子どもとは言え女の子と暮らせば男の部分が戻ってくるのかもとか考えたのかもしれない。母親ってそう言う打算的な策略とかもするような気がする。


次に早織の母は居ないのかな?
居たらシングルマザーの娘のサポートをする可能性が高いししてくれたらここまで辛い生活はしないよね。
だから通報されてその子を施設にやるのかどうするのかと言う話になった時、叔母の凪沙母が対処したのじゃないのか?早織に関しては、一果が壇上でお母さんと呼んだ事が違和感だったからもしや凪沙の事を呼んだのか?(実際小説では凪沙もそう考えてその後動いてしまうし)と思い考えると早織自身、自分の事をママと言っている。「ママね、疲れとるんよ」とか。おっ!お母さん呼びじゃない!と思ってたけど一果はお母さんと早織を呼んでいた…。じゃやっぱり壇上で呟いたのは早織の事なんだなと。早織の事だったか凪沙を含めた母なるものを呼んだのかはもはやわからないけど、極度の緊張の中コンクールが始まる前も他の子どもたちが母親と来ている事、お母さん、お母さんと子どもたちが母を求める声が入っている事から不安な時と咄嗟に出るのって「お母さん」なのかな?とも思った。よくある出産シーンとかで「お母さん!」って叫んじゃうイメージ。

あの固まった理由はりんが他界した事をなぜか感じた一果が衝撃のあまり動けないって言う設定だと思うけどそこは毎回もう少しあと少しその予兆を映像にして欲しかった。例えばトイレで電話受けた時もっと明らかにおかしくて何度も電話をかけ直すけどりんは出ないとか、踊りながらりんが座っているのが見えて消えてと異変に気付き動揺し動けなくなるとかが挟まってると理解しやすいし一果のりんへの想いも表現出来るんじゃないかなーとか毎回思う。早織は知ってか知らずか壇上で固まった娘をダッシュで抱きしめに行く、やっぱり母親なのよね。こりゃ大変と思った時の母の瞬発力を感じた。
でもせめてそこは凪沙ももっと客席から動揺したり立ち上がろうとするところある方が母親対決での敗北感が出るのにとか思っちゃった。(剛くんはそこを一瞬の表情で表現してるからスゴイんだけど)

あとどの部屋にも同じくらいの丸テーブルがあるのは
なんか意味あるのかな?特に意味は見当たらないけど。衣装が早織が青しか着てなくて凪沙も母親感出てきた時だけ青着てるのよね。小説にもあるけどスイートピーは元は白とピンク、赤は後から出来た種類と言う考察があるから赤は男でもなく女でもないもう一つの色的な?(でも本当は赤も前からあるらしい?)
凪沙の名前が渚のバルコニーから来てるからスイートピーも赤いスイートピーでとにかく監督が聖子ちゃん好きなのかと思ったり。
一果はよく椅子を投げるけど上手く投げるなと毎回感心し特にあのクラスメート達を演じた男子たちは投げられるとわかってるのに逃げずに椅子をちゃんと受け止めれていて偉いぞとか毎回思う。

小説でもハッキリ時間軸は書かれてないけど
副題の「最期の冬…」云々と映画から見て取れる時系列ってほぼ半年くらいの話に見えるけど本当はもっと長いよね?だってほぼバレエ素人の一果が海外留学の奨学金もらえるまでの成長って2〜3年でも早くない?でも映画では全編秋冬服で時間経過が分かりづらい。
最初に凪沙のとこに来たのが10月。バレエのコンクールが12月(りんのいるちょっと安っぽすぎるパーティ会場は12月の屋上にしてはみんな薄着過ぎるけど)海のシーンは卒業式後で3月。年を何度か跨いでいるシーンが欲しかった!本編でなくていい、最後のバレエシーンの回想で凪沙と踊ってるのとかあるけどあそこに初ショット映像とかで夏衣装の2人とかあるだけでもっと泣けるのにと思ったり。
凪沙は一果の為にと言うかほぼエゴでまた
あんなに迷ってた(お金なかった)タイ行きを決めて性転換する。凪沙には完全な女になるしか一果を取り戻す術がないと思い込み、術後すぐ広島に行く。そこで玉砕する訳だけど隠してた凪沙母にも知られて一果にも拒絶され(拒絶した訳じゃないけどたぶん凪沙はそう感じてる)もう打つ手なしで自暴自棄になりサボっちゃう…って言う悲劇に向かう。あの海のシーンでは狂ってしまった中にもたぶんなぜこんな事になったのか一果のこれからが見れずに死んでしまう自分を後悔もしたんだろうな。娘って母親にとって特別で老いていく自分の代わりになるものでもあると思うので娘が美しく成長する事は自分自身の再生でもあると思うからあのシーンは救いになってると思うけど、娘を置いて死ぬのが母にとってどれだけ辛い事なのかも考えさせられる場面な気がする。一果は凪沙を振り返り海に入っていくけど彼女は現実逃避すると自傷行為をするのでたぶん海に入ったら凪沙が怒って止めに来るかもと思ってるんじゃないのかな?でも一頻り海に浸かったらたぶん凪沙の「うちらみたいなんはずっと一人で生きていかないかんのじゃ、強うならんといけんで」の言葉を思い出したんじゃないかなと思う。泣くわ。勝手な考察やけど笑


評判いいよね?
私が見てるところに評判いいのが集まってるのかも
しれないけどたぶん評判いいような気がする。
ツッコミどころは確かにいっぱいあって
トランスジェンダーの可哀想なところや悲惨なところがフューチャーされ過ぎてるけど(だって凪沙を買ったおじさんもあの性癖はやはり少数派でそれはそれで辛い人生もあったかも知れないのに悪になってるし)
でもやっぱり映画のもつメッセージ性と言うか
考えるキッカケを与えた事には間違いないから
最終的にはやっぱり傑作だよね?と言いたい。
今回の演技でたくさんの方に剛くんの演技を褒めてもらえて本当に嬉しい!(私は母か笑)
実際毎回剛くんの作品は客観的に見れないから
どうしても贔屓目だし贔屓目だろうなと自覚するから自分から他の人にも絶賛をし辛い…(うちの子どももかなり優秀な方だけど他人に自慢するとし過ぎるから出来ないのとおんなじ感覚笑)なので一般の方からのお褒めの言葉をTwitterや映画評で読み漁る毎日。
特に今まであまりなかった共演者さんとのエピソードや共演者さんから見た草彅剛がたくさん聞けるのも嬉しい。一果のように世界へ羽ばたいて欲しいとファンは母のように欲深にも思わずにはいられないのでした。(いや世界で戦えるはず!この世界は草彅剛には狭すぎるものねと凪沙さんの最期の言葉を草彅剛にも贈りたい)

以上レイトショー上がりの勝手な考察と感想でした。