英語を勉強してる人の動機って、聞くとだいたいカッコいいんですよね。

「海外で働きたい」「グローバルに活躍したい」「外国人の友達を作りたい」「字幕なしで映画を観たい」。

どれも前向きで、キラキラしてる。

で、僕の動機は何かというと。

焦り。

以上です。

いや、もうちょっと丁寧に書きます。

海外で働きたいかと聞かれると、別に。今の生活圏が東京から出る予定はない。グローバルに活躍したいかというと、そもそも「グローバルに活躍」の具体的なイメージがない。外国人の友達は、いたらいいけど、いなくても困ってない。字幕なしで映画を観たいかというと、字幕あった方が楽です。

つまり、英語ができなくても僕の生活は回る。今のところ。

なのに「やらなきゃ」と思ってる。この「やらなきゃ」の正体が、焦りなんです。

焦りにもいくつか種類があって。

1つ目は、会社での焦り。海外チームとの案件が増えてきて、「英語ができる人」の需要が上がってる。今は自分のチームに直接は来てないけど、いつ来てもおかしくない。来た時に「できません」は、年齢的にきつい。

2つ目は、同世代との焦り。LinkedInを開くと、同年代の人がプロフィールに「Business English」とか「TOEIC 800+」とか書いてる。転職市場で英語ができるかどうかは、35歳を過ぎるとけっこう差になるらしい。

3つ目は、漠然とした焦り。これが一番厄介なやつ。「英語くらいできないとまずいんじゃないか」という、根拠のない不安。誰に言われたわけでもないのに、勝手に追い詰められてる感覚。

こうやって書き出してみると、全部「〜しないとまずい」なんですよね。

「〜したい」じゃなくて「〜しないとまずい」。ポジティブな動機が1つもない。

これ、どうなんですかね。

「焦り」で始めたことって、続くのか。

投資を始めた動機は「老後に困りたくない」だった。これも焦りと言えば焦り。でもこっちは続いてる。英語は続いてない。同じ「焦り」なのに、なぜ差が出るのか。

たぶん、投資は「仕組みにしたから」だと思います。つみたてNISAの自動引き落としで、勝手に回ってる。焦りが動機でも、仕組みに乗せてしまえば、動機の質は関係なくなる。

英語は、仕組みになってない。「焦り」だけで毎日の行動を維持しようとしてる。焦りはガソリンとしては不安定で、焦ってる時は動けるけど、焦りが薄れた瞬間に止まる。

だから3日で止まるのかもしれない。焦りが3日分しかもたないから。

カッコいい動機がないとダメだとは思わないです。「海外で活躍したい」じゃなくて「焦ってる」でも、動機は動機。

問題は、焦りだけに頼ってること。焦りを仕組みに変換する方法を見つけないと、また同じことの繰り返しになる。

具体的にどうすればいいかは、まだわかってないです。英語を投資みたいに「自動引き落とし」にするのは難しい。自動で勉強が回る仕組みなんて、ちょっと思いつかない。

でも「動機がカッコよくないから続かない」のではなく「動機を仕組みに変換できてないから続かない」のだとしたら、まだやりようはある気がします。

そういえば、最近ネットで見かけた手塚さんという方のレポートのタイトルが「なぜ、教材を買うたびに英語から遠ざかるのか」っていうんですけど、このタイトル、妙に頭に残ってます。

なぜ、教材を買うたびに英語から遠ざかるのか

まぁ、まずは自分のカッコよくない動機を認めるところからですかね。

「焦ってるから英語やります」。

うん、カッコよくない。でも正直ではある。

中間管理職、いや正確にはまだ管理職じゃなくてチームリーダーなんですけど、最近しんどいなと思うことが増えました。

上からと下からの板挟み。これ、聞くと「あるある」で終わりそうなんですけど、渦中にいるとけっこう消耗します。

先週あった話をします。

部長から「次期のチーム目標、もう少し上げられないか」と言われました。今でもけっこうギリギリのラインなのに。でも部長には部長の事情がある。事業部全体の数字が足りてないから、各チームに上乗せが来てる。

で、それをチームに持ち帰ると、メンバーの顔が曇る。当然です。今の業務量で精一杯なのに、さらに目標が上がる。「無理です」とは言わないけど、明らかに表情が暗くなる。

この時、僕がやるべきことは何なのか。

部長の要求をそのままチームに伝えれば、メンバーからの信頼を失う。「こいつは上の言いなりだ」と思われる。

かといって「無理です」と部長に跳ね返せば、「リーダーとしての当事者意識が足りない」と評価が下がる。

結局、僕がやったのは「チームの業務を整理して、ここまでなら上げられます」という中間案を作って、両方に持っていくこと。部長には「全部は無理だけど、ここまではやれます」。メンバーには「目標は少し上がるけど、やり方を変えれば対応できる」。

どっちにも100%の答えは出せない。60点ずつ。

これが毎週のように起きるんですよね。

目標の話だけじゃなくて、残業の話もそう。部長は「残業減らせ」と言う。でもメンバーの業務量は減ってない。「残業しないで成果を出せ」って、要は「もっと効率よくやれ」ということなんですけど、効率化にも限界がある。

人間関係の問題もある。メンバー同士のちょっとした摩擦を、僕が間に入って調整する。片方の言い分を聞いて、もう片方の言い分を聞いて、両方が納得できる落としどころを探す。カウンセラーみたいなことをしてる日もある。

で、ふと思うんです。「僕の仕事って何だっけ」と。

入社した時は、自分の手を動かして成果を出すのが仕事だった。コードを書くとか、企画を作るとか。今は、人と人の間に立って調整するのが仕事の大半になってる。

調整は大事な仕事です。誰かがやらないとチームが回らない。それはわかってる。

でも、調整って「自分がやった」という実感が残りにくいんですよね。目標を達成しても「チームの成果」であって「僕の成果」じゃない。トラブルを未然に防いでも、誰も気づかない。防いだことが見えないから。

「何者にもなれてない感」の正体の一部は、ここにある気がします。

最近、YouTubeで転職のサラタメさんを久しぶりに見たんですけど、「転職するか迷った時の判断基準」みたいな動画があって。

 

 

その中で「今の会社で学べることがまだあるなら残った方がいい。学びが止まったと感じたら動き時」みたいな話があったんです。

で、考えたんですけど、僕は今の仕事で学べることが「ない」わけじゃないんですよね。調整力とか、人を動かす力とか、上と下の間で最適解を探す力。これは間違いなく鍛えられてる。

ただ、「鍛えられてる」と「楽しい」は別物で。

筋トレで例えるなら、重い物を持ち上げれば筋肉はつく。でも重い物を持ち上げるのが楽しいかというと、それはまた別の話。

今の僕は、毎日重い物を持ち上げてるけど、楽しくはない。でも筋肉はついてる。たぶん。

転職を考えてないかと聞かれると、全く考えてないわけじゃないです。でも「板挟みがしんどいから辞める」は、前の会社を辞めた時と同じパターンになる。「逃げたいから辞める」は、逃げた先でも同じことが起きる。

それは1回学んでるので、同じ失敗はしたくない。

だからもう少し、この板挟みの中で「自分なりのやり方」を見つけたいなと思ってます。上にも下にも60点じゃなくて、自分の中では80点だと思える中間案を出せるようになったら、もうちょっと楽になるんじゃないかと。

まぁ、今日も朝イチで部長に呼ばれたんですけどね。

「ちょっといい?」の4文字が、最近一番心臓に悪いです。

英語学習の情報を調べてると、必ず出てくるフレーズがあります。

「スキマ時間を活用しましょう」

通勤時間に単語を覚えましょう。昼休みにリスニングしましょう。寝る前の10分で復習しましょう。

言ってることはわかるんです。忙しい社会人が勉強時間を確保するには、まとまった時間を作るより、細切れの時間をかき集めた方が現実的。理屈は正しい。

でも僕は、これが一度もうまくいったことがありません。

通勤時間。片道45分。電車に乗ってる時間は約30分。この30分が「スキマ時間」のはずなんですけど、実際にスマホを開いて何をしてるかというと、Xです。

毎朝、改札を通ってイヤホンをつけて、電車に乗って、スマホを開いて、Xを開く。この一連の動作が完全に自動化されてる。考えるより先に指が動いてる。

「今日はXじゃなくて英語アプリを開こう」と朝に決意しても、気づいたらタイムラインをスクロールしてる。意志より習慣の方が強い。圧倒的に。

昼休みも同じです。

12時になって、弁当を食べながらスマホを見る。この「弁当を食べながらスマホ」の時間は、理論上はリスニングに使える。でも実際は、YouTubeでまったく関係ない動画を見てる。猫の動画とか。料理の動画とか。なんの栄養にもならない動画を、ぼーっと見てる。

寝る前の10分にいたっては、論外です。布団に入ってスマホを持った瞬間に、SNSか漫画アプリのどちらかが開く。英語アプリが開かれる確率は、体感で0%です。

こう書くと「意志が弱い」で終わりそうなんですけど、最近ちょっと別の角度で考えてみたんです。

「スキマ時間」って、本当に「空いてる時間」なのか?

通勤中にXを見てる。昼休みにYouTubeを見てる。寝る前に漫画を読んでる。

これ、「何もしてない時間」じゃないんですよね。すでに何かをしてる。すでに何かで埋まってる。

「スキマ時間に勉強しよう」って、要するに「今やってることをやめて、代わりに勉強しよう」ということじゃないですか。

これ、ハードルが全然違う。

「空いてる時間を使う」なら簡単そうに聞こえる。でも実態は「すでに習慣化されてる行動を別の行動に置き換える」。これはめちゃくちゃ難しい。

しかも、通勤中のXとか昼休みのYouTubeって、僕にとっては「休息」なんですよね。仕事のストレスから一時的に離れる時間。脳を休ませてる時間。

それを「勉強」に置き換えるということは、休息を削るということ。休息を削って勉強するのは、短期間ならできても長期間は無理。どこかで「なんで休みの時間まで頑張らなきゃいけないんだ」となって、やめる。

たぶん、「スキマ時間に勉強」がうまくいく人って、もともとそのスキマ時間が本当に「空いてる」人なんだと思います。通勤中にぼんやりしてるだけとか、昼休みに特にやることがないとか。

僕みたいに、スキマ時間がすでにSNSと動画で埋まってる人間には、「空き時間を使いましょう」というアドバイスは機能しない。だって、空いてないから。

じゃあどうすればいいのか。

最近考えてるのは、「スキマ時間」を使うんじゃなくて、「新しい時間を作る」しかないんじゃないかということ。

たとえば朝30分早く起きて、その30分を英語に充てる。これは「スキマ」じゃなくて、意図的に作った時間。何かの代わりじゃなくて、純粋に追加した時間。

もちろん、朝30分早く起きるのも大変です。でも少なくとも「通勤中のXをやめて英語をやる」よりは、精神的な抵抗が少ない気がする。何かを「奪われる」感覚がないから。

まぁ、これもまだ実行してないんですけどね。

「早起きして勉強しよう」と思ったのは今回で3回目くらいなので、あんまり自分を信用してません。

ただ、「スキマ時間に勉強」が自分に向いてないことだけは、はっきりわかりました。向いてないことを何度やっても同じ結果にしかならないので、別のやり方を探した方がいい。

それだけは、何回も失敗したおかげで確信を持てるようになりました。

失敗から学ぶにしても、ちょっと回数が多すぎる気はしますけど。