初対面のひとと仲良くなろうとする時に、自然と出身地や趣味の話から共通項を探していくのは、これが由来だ。さかのぼると、例えば赤ちゃん。赤ん坊は心臓や呼吸のリズムを母親と同じパターンできざんでいる。自分と何かしらの共通項が見つかると親近感が生まれるし、親近感を生むために共通項を探すわけだ。
そうするとコミュニティーが生まれる。「出身地」「世代」「業界」、それに「志」とかもそのひとつだと思う。共通項を意識できた集団は個人よりもはるかに大きなアクションを生むことができる。
しかし弊害もある。そんな居心地の良い環境に身を任すと外部の情報・価値観に疎くなってしまう。無意識のうちにそんな状態にあったとしたら、これは非常に損だ。
上記のような話を友人と喋っていた。私達のバックグラウンドは違うし、これからも違うかもしれない。それでもかつて一緒に喜びと苦難を共にしてきたから(←これも小さな共通項)自然と受け入れられるし、損得勘定なしの助け合いができる。そういった「受け入れる姿勢」は自分にとって貴重なものかもしれない。
でっかい男が2人で代官山のテラスにて喋っていた内容でしたとさ。
