instaglamを開いたら
歌手のテイラースイフトがいきなりでてきた。
どうやら、
ファンとの会話を口の動きで読み取って
彼女が何を言っているのかをシェアしているようだった。
彼女が数回にわたり、
ファンらしき人と会話をしていた。
彼女は
「あなたは素晴らしい」
「きてくれてありがとう」
「あなたは美しい」
「愛してる」
と言っていた。
次の場面でも
ファンに同じことを言っていた。
その次の場面でも。
この人は、「愛してる」「ありがとう」「素晴らしい」
しか言ってないじゃないか・・・
僕はそう思うと同時に
すごいなあと思った。
彼女がしているのは
賞賛するだけ。
もしくは何か持ってるものをプレゼントする。
「これあげる」って。
目の前の人を賞賛してた。
動画で、彼女は同じことを繰り返していた。
「あなたは素晴らしい」って。
相手がどんな人かもわからなくても。
初対面でも。
自分は素晴らしいと
果たしてどれだけの人が言うだろう。
いつの間にか、
パートナーのいない自分
お金を十分に持っていない自分
仕事に満足していない自分
朝起きれなかった自分
アイスを我慢できなかった自分
誰かに怒りをぶつけてしまった自分
相手に感謝できない自分
なんらかの役に立てていない自分
などなど
数限りない理由を挙げて
自分が素晴らしくないと思ってしまうことがある。
だけど
自分が素晴らしいことと他のことはなんの関係もないって
僕たちはちゃんと知ってる。
だけど、
自分が素晴らしいかどうかは他人が決めると
そう思ってしまったから。
いつの間にか、
自分の評価は他人のものになってしまったのかもしれません。
素晴らしいことに値するには達成すべき条件があると
そう教えられたかのしれないから。
あなたは素晴らしい。
生きてるだけですごい。
存在してるだけで価値があって、
他の何かで価値が上がったり下がったりするわけじゃないのに。
僕たちの文明は、
自分たちの価値を集団意識に預けてしまった。
周囲がノーといえば
それが正解であり
イエスといば
それに従わなければ
「生きていけない」と
なれの果てに
自らの命や体を、お金より価値のないものとみなしたり。
自らの意思や自由を、周囲の意見より価値の低いものとみなしたりした。
ただ、
それは全くの見当違いだと僕たちは気づいていたから
苦しかったのかもしれない。
みんな気づいてた。
風に吹かれて幸せでいることを
周囲の人たちは許してくれなかった。
幸せを感じていることを
世間は奇妙な目で見ていた。
「できていないこと。」「足りないこと」
を克服しなければ
それは感じられないもの
感じてはいけないものだと信じこまされてきたから。
ああ、
今私に広がる世界の肯定的な面に目を向ければ
それはいくらでも姿を現す。
否定的な面。
つまり、足りない、欠けているところを探せば
それはいくらでも姿を現す。
ああ、
今この瞬間。
僕は天国を生きるのか、地獄へ行くのか。
それはそんなにも大差のないことだったの。
僕は、現実をコントロールして
自分の思うようにならなければ機嫌を崩していた。
自分の機嫌を取るようには意識していたから、
上手な方だと思ってはいたけど、
結論は、望みの叶っていない現実に苛立ちを感じていた。
苛立ちを感じていないふりをしながらも
実際は不快であった。
思い通りにならないことに無力感を感じていた。
それは今思えば、
思い通りになっていないことを考えていたんだと思う。
僕は冷静になったつもりでも、
中立に物事を見極めているつもりでも、
実際はそうでもないことが多いと気がついた。
中立な冷静な意思の時、
僕は天国と地獄のどちらを選ぼうとしているのかがわかる。
感情をコンパスにしてわかる。
「いい感じ」「嫌な感じ」
いま肯定的に見るならそこに幸せが広がってて
いま否定的に見るならそこには不幸が待ってる。
何に対しても
何について
対象が何かはどうでもいいのは、
現実それ自体がマトリックスの幻想で、
僕が感じる気持ちが真実だから。
現実は変えられないけど
自分の幸不幸は選べ、感じ方は変えられる。
「当たり前に感謝しなさい」
という言葉が嫌いでした。
考えてもわからないけど何故か嫌いでした。
ただ、明らかに見てみると
当たり前になったものには
肯定的な見方も否定的な見方もしなくなる。
水道から水が出る。
これを当たり前にすれば、ただ水が出るだけ。
ああ、そうか。
「当たり前に感謝しなさい」が嫌いだったのは、
水がない前提で考えると気分が悪かったからなのか・・・
「ある」か「ない」か
ではなく、ただ「ある」を感じたかったんだ。
「ある」と「ない」は、実は
対局ではなく、同じ力でもない。
宇宙は
無限で満ちているからだ。
「ない」を無限にすることもできるが
そんなことしなくていい。
なんにせよ
パンパンに満たされた自分やこの世界を
思い出そう。
もう一度感じて見よう。
僕の手元には、ほうじ茶がある。
7年前にもらったこのカップの半分くらいに
あったかいお茶が入っている。
よく、「これくらいしかない」とおもうか
「こんなにある」と思うかで人生変わると聞いたことがある。
だけど、そんなに頑張ることないと思う。
ただ、僕はそのお茶を飲むだけ。
どのくらいあるとかどうでもいい。
飲みたいお茶を飲むだけ。
この瞬間にあるのはそれだけ。
僕とお茶しかない
僕とお茶で満たされた
僕とお茶だけの宇宙
見渡せば世界中のニュース
自身や周囲の人のこと
でも
今考えたこと、感じたこと
それしかここにはない
僕の宇宙は
それだけで
それだけが
まんまんに満たされていた。