「食欲不振などの症状があり、全身的に非常に衰弱している。体重もこの数カ月で、約5キロ減少した。(今年行った)内視鏡検査では胃と腸に異常はなかったが、機能に異常があるため、『機能性胃腸障害』が悪化していると考えられる。数週間前に急性腸炎にかかり、治りが悪くて現在の症状を重くしている可能性がある。入院、安静加療が必要と判断した。この病気は肉体的疲労、精神的ストレスの関与が少なからず認識されている。午後の自民党両院議員総会に出席を希望していたが、私は医学的に無理と判断した」
--入院期間は
「症状の推移によるが、少なくとも3~4日の入院がよい」
--いつごろから症状が出ていたのか
「1カ月以上前から、食欲不振や胃もたれなどの症状が弱い状態だが始まっていた。急性腸炎のときに一時的に下痢があった。この数日間に3回ぐらい診たが、非常に疲れが進み、食欲が落ちていた」
--治療方法は
「機能的な異常を治すために、胃もたれの薬、胃の酸の分泌を抑える薬などが中心となる。精神的ストレス、肉体的疲労を取るのが理想だが、なかなか難しい」
--首相の職務を果たすのに支障はあるか
「普通の読み書き、思考力はあるが、ずっと緊張状態を続けることは少し難しいのではないかと、今日は判断した」
--入院について首相の反応は
「午後の会議に出席したかったので、残念だったのではないか」
--今日の処置は
「症状を聞き、血圧、脈拍、体温などを診た。食欲が落ちていたので、点滴で水分を補給した」
--外科的な治療は必要になるのか
「外科的な治療はありえないと思っている」
--周辺に睡眠障害を訴えていたという話もある
「『眠りが浅い』と言っていた。軽い睡眠誘導剤みたいなものを飲んでもらったこともある」
総務会で麻生氏は「あまり時間をかけられない」として党則に基づき、党大会にかわる両院議員総会で選出したいとの方針を示した。この後、総裁選管理委員会は総裁選を「14日告示、19日投開票」とする日程を確認した。13日の総務会で了承を求めるが、党内にはオープンな党員投票が必要との意見や、日程を25日投票にまで延ばすべきだ、とのも異論もある。
出馬の意向を固めた麻生氏は安倍改造内閣で与謝野馨官房長官とともに政権運営を主導。昨秋の総裁選で安倍氏に次ぐ得票だった。短期決着を念頭に置いた日程も有利に働くとみられている。
これに対し、麻生氏の路線が「小泉構造改革路線」に反すると反発する小池百合子前防衛相ら中堅・若手議員31人は小泉前首相に再登板を13日、要請する。このほか、安倍政権の外交路線に批判的な福田康夫元官房長官(町村派)や、やはりさきの総裁選に出馬した谷垣禎一元財務相(谷垣派)を推す声もあり、動向が焦点となっている。最大派閥の町村派、津島派、古賀派なども対応を協議、額賀福志郎財務相(津島派)が周辺に出馬に意欲を示すなど派閥を単位とした動きも始まっている。
首相は12日午後2時からの緊急記者会見で「局面を転換して、新たな首相のもとで『テロとの戦い』の継続を目指すべきだ」と述べ、テロ特措法問題の展望が開けないことを理由に挙げた。また「私が首相であることで、野党党首との会談もできない状況が生まれている。私がむしろ障害になっている」と述べ、テロ特措法問題をめぐる民主党の小沢一郎代表との党首会談が断られたことにも言及した。後継総裁が決まり次第、安倍内閣は総辞職する予定。
◇小泉氏に再登板求める会参加者
小泉純一郎前首相に再登板を求める中堅・若手の会(小泉前総裁の再登板を実現する有志の会)への参加者31人は次の通り。(敬称略、丸数字は当選回数)
中川泰宏(1)▽小野次郎(1)▽近藤三津枝(1)▽猪口邦子(1)▽片山さつき(1)▽佐藤ゆかり(1)▽杉村太蔵(1)▽近江屋信広(1)▽篠田陽介(1)▽藤田幹雄(1)▽戸井田徹(2)▽平将明(1)▽牧原秀樹(1)▽飯島夕雁(1)▽上野賢一郎(1)▽阿部俊子(1)▽田中良生(1)▽山内康一(1)▽秋葉賢也(2)▽御法川信英(2)▽棚橋泰文(4)▽安井潤一郎(1)▽広津素子(1)▽小池百合子(5)▽川条志嘉(1)▽吉野正芳(3)▽早川忠孝(2)▽大塚拓(1)▽木挽司(1)▽中山泰秀(2)▽丹羽秀樹(1)
ただ、同センターはインド洋沿岸の広範な地域に津波警報を発令した。またマレーシア気象局はマレー半島北西部4州に津波警報を出した。インド当局も沿岸全州とアンダマン・ニコバル諸島に津波警報を発令。スリランカ当局も警報を出した。
同日午後に記者会見して表明する。夏の参院選で自民党が敗北したことを受け、政権運営が困難になったと判断したものと見られる。
これを受け、政府は国会に対し、代表質問の取りやめを申し入れた。
今後、自民党内で後継首相選びが本格化する。2006年9月に戦後最年少の52歳で首相に就任した安倍氏は、小泉政権下で冷え込んだ中国、韓国との関係改善を図り、北朝鮮の核開発問題への対応や日本人拉致問題解決にも力を注いだ。
内政では、教育基本法改正や防衛庁の省昇格を成し遂げたほか、小泉政権が進めた改革路線を継承し、道路特定財源の一般財源化などに取り組んだ。
米国政府が導入している電子メールの自動解析システム(Surveillance Configuration)を用いた捜査によりドイツでテロを計画していたイスラム系テロリストグループの摘発に成功していたことが10日、ニューヨークタイムズ紙の報道により明らかとなった。
このシステムは9.11同時多発テロの教訓から導入されたもので、インターネット・プロバイダーの基幹ネットワークを行き来するパケットの情報を解析して、「爆弾」や「テロ」などのキーワードが含まれている電子メールを自動的に抽出するものとなる。システムの利用は個人のプライバシーを侵害するものとして米連邦裁判所が使用を禁じる命令を出していたが、米国議会が異例の決定を行うことにより裁判所の決定を覆して利用を継続させたいわく付きのシステムともなる。
ニューヨークタイムズ紙によると、このシステムで検挙されたのはアルカイダ系のイスラム・テロ組織「Islamic Jihad Union」のメンバー。報道内容がどの事件を指しているのかに付いては明らかではないが、今月4日にはドイツのフランクフルトの国際空港とラムシュタイン基地に対して爆発テロを計画していたとして、アルカイダ系のテロ組織が摘発されていた。
現場はJR渋谷駅の西約500メートルにあるホテルや飲食店が立ち並ぶ地域で、近くには東急百貨店がある。(産経新聞)
時の英国駐日大使クレーギーが本国にあてた報告である。その2年後、英国のチャーチル首相はこんなメモを残す。
《日本の攻撃で、米国が一丸となり参戦したのは天佑だった。大英帝国にとって、これに勝る幸運は滅多になく、真の敵と味方が明白となった。日本が無慈悲に壊滅される事で、英語圏と世界に大きな恩恵を与える(43年9月19日)》
インテリジェンスの本家である英国の公文書館には、日本についても幕末から現代にいたるまで諜報(ちょうほう)記録を含む膨大な報告書が眠っている。英国の通信社ロイターの記者を経てフリーで活動する徳本栄一郎さんは、これまでほとんど注目されていなかった英国の機密ファイルを発掘、大東亜戦争前後の昭和天皇の動向と英国の思惑を描いた『英国機密ファイルの昭和天皇』(新潮社)を刊行した。
その内容は冒頭に掲げたように、日米の資料によって明らかにされていた“事実”を裏付けるだけでなく、昭和天皇の知られざる側面に光を当て、同時に冷徹な英国外交のありようをも浮き彫りにする。
◇
本書の内容を見てゆこう。戦後、駐日英国代表となりマッカーサーと面会したガスコインは、昭和天皇とマッカーサーのやりとりについて、次のように記す。
《「そこまであなたが戦争に反対していたなら、なぜマイクの前に立ち、その旨を宣言しなかったのか」(というマッカーサーの問いに昭和天皇はこう答えた)「歴代の天皇で、側近の意見に反して行動した者はいません。一九四一年の時点で、もし私がそんな行動を取れば、間違いなく首をかき切られていました」(47年1月22日)》
さらに、昭和天皇が退位したならば、肺結核を患っている秩父宮の代わりに高松宮が摂政となる可能性が高いという認識のもと、ガスコインはこう報告する。
《他の皇族と比べた場合、降伏以来の高松宮は、公式の場で不用意な発言が目立ち、一貫性がない。占領初期、高松宮は意図的に米国人を歓迎したが、その後は、占領政策の不満分子の影響を受けている(48年6月21日)》
また、昭和天皇がローマ教皇ピウス12世に親書を送った、という情報をキャッチした駐バチカン英国公使館の報告は警戒感にあふれている。
《ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、日本にイデオロギー上の空白地帯が生まれたと見ている。共産主義に対抗して、教皇庁は、それを埋めたい考えだ。(中略)天皇裕仁がカトリックに改宗する可能性が出た事も、教皇庁の動きに拍車をかけた(52年4月18日)》
◇
徳本さんは言う。
「英国の機密ファイルによって皇太子時代から戦後に至るまでの昭和天皇を追って一番強く感じるのは、昭和天皇は冷静な現実主義者であった、ということです。ローマ教皇への親書にしても、GHQの支配状況を何とか打破したいという思いからではないでしょうか。戦前は軍部、戦後はGHQに与えられた枠の中で昭和天皇は全力を尽くしたと思います」
本書に掲載された機密ファイルは、大英帝国時代から培った英国の情報収集能力の高さ、さらに情報をもとにあらゆるケースを想定して万全の態勢をとる英国のしたたかさを浮き彫りにする。近年、日本ではインテリジェンス論が盛んだが、徳本さんはその議論が「少々的はずれ」であると指摘する。
「インテリジェンスというと、システムや法の整備が話題になりますが、つまるところ人材なのです。能力として求められるのは、ひとつは語学力、もうひとつは現地に入って人脈を作ってゆける人間力、このふたつが基本でしょう」(桑原聡)(産経新聞)
写真は米カリフォルニア大学バークレー校の研究グループが公開した今から20億-40億年前の太古の火星の想像図。米カリフォルニア大学バークレー校の研究グループによると当時の火星には今の地球と同じような広大な海洋が広がっていたという。
いったいどうしてそんなことがわかるのだろうか?
研究グループによると火星には太古に海洋の海岸線を構成していたものと思われる地形が多数存在しているという。しかし、その海岸線は場所によって数キロメートルもの高さに違いが生じており、これまで、これが海岸線だとすると、なぜ、それほどの劇的な高さの変化が生じたかについては十分な説明はなされてこなかったという。
研究グループは火星は完全な円球ではなく、赤道方向に太いことに注目。その上で太古の火星で起きたオリンポス山など、複数の超大型火山の噴火などがきっかけとなり、惑星の地殻のバランスが大きく変動した結果、極が移動。それに伴い、海洋も大きく移動することを余儀なくされたことが、現在残っている海岸線の跡が、場所によって数キロメートルも高さに違いがある原因なのではないかと論じている。
研究グループではこの極移動は表面を覆っていた巨大な海洋が喪失した際に再び起こり、極は現在の火星の北極と南極の位置に落ち着いたとしている。
20億-40億年前というと地球では海と大陸が形成された時期となる。研究グループの仮説が正しいとすると火星と地球は、大陸ができて海洋ができ、ほぼ同じような環境からスタートしたことになる。しかし、今の姿を見ると火星に、昔の面影はない。火星がここまで変わり果てた姿となった原因はいったいどこにあるのだろうか?(テクノバーン)
写真はこちらhttp://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200706151947&page=2