Street of Dreams (Rainbow 1983年)
ぼくはこれをリアルタイムで聞いた記憶がない。
この頃は、TOTO真っ盛りの頃で、Rainbow
とかDeep Purpleとかは、「昔の人だから」
とか言って全く興味がなかったからだと思う。
同じクラスのやつが、リッチーブラックモア
とか、コージーパウエルとか言ってけど、
そういった意味で全く興味がなかった。
大学に入って、軽音楽サークルに入って、
Purple信者とかZeppelin信者が居たので、
その関係でRainbowも聴きだした。
Rainbowは基本的にはリッチーブラックモア
のワンマンバンド。
リッチーは、Deep Purpleのギタリストで、
世界中のHM/HRファンから熱愛されてる。
ぼくはあの音があまり好きではないので
そんなに興味がないけど・・・。
で、Rainbowにはヴォーカルが3人在籍してた。
ロニージェイムスディオ
グラハムボネット
ジョーリンターナー
ディオは、Rainbow脱退後、自分のバンドでやってた。
Rainboよりもソッチのほうが沢山売れてて、
伊藤政則曰く、メタルゴッド、ロニーと言われてた。
ちなみに伊藤政則って、HMしか知らない
ちょっとイッちゃってる音楽評論家。
(本当はそうでないみたいだけど)
テレビ神奈川で
伊藤政則のROCK CITY
って番組を今でもやってる。
昔、セーソクの法則って本を出してた
ことも有る。立ち読みしたけど、あまり
好きではなかった。
たまに見るけどマニアックなバンドしか
紹介しなくて、奴のいうことは全くあてに
ならない。
昔、Stryperっていうクリスチャン・メタル?
っていう訳の分からないジャンルのバンドが
有ったのだが、奴らのアルバムが出るたびに
「いやー、今度のStryperのアルバムは最高ですよ。
今年はStryperが来るっ!」
と何回も言ってたが、Stryperがバカ売れした
なんて間違った事態は未だかつて無い。
ぼくは同年代のHM好きと飲むたびにそのネタで
盛り上がってしまう傾向がある。
でも、HM界では、世界中のミュージシャンから
インタビュアーとして指名されたりする結構
有名な人。
ま、そんなことはどうでもよくて、ロニーの
次はグラハムボネット。
このおじさんは、レコードでは、結構、キーが
高くていい声なのだが、ライブでは全く駄目で、
声が出ない。
また、今は亡き横山やすしと同じような髪型を
しており、ステージでいつもジャケットを着てる
とても変わったおっさん。
そのために、Rainbowを首になったという噂もある。
でもレコードの声はカッコいいので、ぼくは
ロニーよりも好き。
※っていうかぼくはロニーの声が嫌いなの・・・。
で、ジョーリンターナー。
ぼくは実はこの人のヴォーカルが大好き。
なんだかわからないけど、病的に好き。
この人が居た時のRainbowは、アメリカ市場で
売るために、とってもキャッチーな路線にシフト
して、昔からのリッチー・ブラックモア信者から、
完全にそっぽを向かれた。
でも、好きなんだもん。
大学の4年の頃に初めて聴いた。
ぼくはHMは正確には、あまり好きではない。
どっちかといえばキャッチーなHRでスーパーな
ギタリストがいるバンドが好き。
※NightRanger最高!
だから、この曲が入っているアルバムは結構
ハマった。
今ではHM、HRの境界線なんてどこに
あるか全くわからないけどね。
昔のようなジャンル分けが全く意味なくなった
ってことも有ると思うけど。
ぼくが高校生ぐらいまでは、ディストーションの
効いたギターはメジャーでなかったけど、今は
アイドルの曲でもディストーションの効いた曲が
いっぱいあるもんね。
で、また話がそれたけど、本題の
Street of Dreamsについて。
大学4年の頃に、就職か、大学院に行くか
迷っている自分がいて、大学院の試験を
受けるために受験勉強のまね事をしてた
ことが有る。
今から考えると、単にモラトリアムを延長
したかったからその口実で大学院に行くと
言ってただけ。
結局、4年生の時には受からなくて、就職活動
あまりやってないから、もう1年大学にいる
ことにした。
で、単位はほとんど取ってあるから、自宅に
こもって受験勉強のまね事してた。
で、その時にこの曲をずっと掛けてた。
その頃、自分自身でも多分大学院に受からないと
予感してたんだろうね。
この曲に、おまえはどうするんだ?と
問いかけられてる気がしてた。
結局、その年もそんなんだから不合格。
一応抑えで就職活動もその前の年より多く
やってたので、内定はキープしてた。
※本命は落ちちゃったけど(泣)
内定くれてる会社には、大学院受験するので、
その結果を待ってくれという話をして、不合格
判明した段階で連絡した。
※大学院入試は10月で2週間後に発表だったはず。
その頃、普通は内定式ってのが有って、そこで
判断しなければ就職はNGだった。
(確か7月1日?9月か?)
でも、その事情でも許してくれる会社が
システム屋さんの会社だった。
ぼくは、そういったわけでシステム屋さんに
なったのですよ。
だから、この曲を聴くと、あの頃を思い出す。
ぼくは、あの時から随分変わったけど、楽曲は
あの時と、変わらず、ぼくに語りかけてくれる。
「おまえはどうするんだ?」
未だに答えが見つからないのよねぇ。