青井ねずみ
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私は真剣では無い。女としても、人間としても。

真剣では無いという顔をしてれば尊敬されるものだと、幼い頃に感じた。普段我慢すればするほど、その人の感情にみんな敏感になってくれると感じた。
私はすぐ泣き怒り、笑い転げるような子供だったような記憶がある。長女なのに、我慢しなさいなどと言われたことはない。だからこそ子供らしく居られたのだ。
でも、幼い頃に感じた「我慢しなさいという顔」は本当に切ない色をしていて、言葉がなくてもその色に気づいてしまった私は、やられてしまったのだ。よく広々と周りを見渡すとあまり泣かない子が泣いた方がとても可哀想に見えたし、あまり笑わない子を笑わせることが出来たらとても可愛い笑顔に見えた。そうなりたかった。私の感情の尊さや本気さを伝える為には我慢するのが一番だし、我慢という材料が絶対に必要だった。大人になってから、その我慢という形の見えないものが高価なものになることもあるということを察する。

どうやら大人になるということはすごく難しい。母はよく泣き、悲しみが上手だった。いつでも本気だった。父は寡黙なのに優しい怒りが上手だった。私は人の怒りと悲しみこそ、尊く感じた。



小学校の頃、力だけ強くてコミュニケーションというものがよくわからずに生きていた。ニコニコしてれば何もかも収まると思ってる時期もあったが得体の知れない形をした心を持った人間じゃないやつらにナメられるし、女の子という生き物は話してるだけで、すぐ「我慢しなさいという顔」に似た匂いがしてくるので苦手だった。男の子は誰でもスネか金玉蹴れば笑ってくれるという謎の思考が抜けなくて、困ったら金玉蹴りまくって嫌われて、謎の馬鹿力のため力の強い男の子しか友達がいなくなって、そいつに「ちゃお(小学生の時の週刊誌、多分20センチくらいの厚さ)」を4冊重ねてボコボコに殴られ毎日泣いて「こんな目に合うくらいなら誰の金玉も蹴りたくない」と気が小さくなった。


中学校の時は、糞しょうもないゴミだった。男の子が大好きすぎて男性であればどんな性格ぶすにでも愛想振りまいて将来の夢は大塚愛、もしくは歩くおっぱい!みたいな、男性が興味がある話題でありたい内なる願望がひたすら顔面に滲み出て、今と違って「あの界隈で一番女の子らしい」とか影で言われていた。その頃、多分顔が全然違った。みんなに気を使って兎に角嫌われたくない嫌われたくないと言いながら「あの子って男好きだよね」と言われるのもステータスなくらい狭く小さな世界で生きていた。スクールカーストは甘くみてはいけない。自分が無くなればなくなるほど嫌われないし、笑えば笑うほど友達が異常に増えるって勘違いしていたらそれはとても大きな勘違いで、一人の人間に気を使えば仲間はずれにされるし、みんなに気を使えば自分を嫌いなことを押し殺さなければならない。

「もうどうでもいいや、誰にも好かれたくない」と思ってもそこまで考えてしまったら最後、思いきれないのだ。自分が無くなれば無くなるほど自分にうんざり感がほんっとうにきつい。寝る前に天井が溶け出す恐怖に襲われるくらい一人より大人数に執着する。ある日は机を一人だけ離されてたし、気がついたら毎日人がSNSで「死にたい」と言っていて、気がついたら発する言葉が詰まる回数が増える。男の子に可愛いとか性的な目で見られるしか逃げ道がなくて毎日「私の乳美味しいかもしれませんよ」という顔をしていた。最悪だ。そしてそのうち悪魔みたいな女をなんの偏見もなく心の中に迎え入れて自分という実体が砂のように風に吹かれ亡くなっていく。卒業する頃には人間関係に疲れて透明な目をした物体になっていた。あれは私じゃない。あの頃の私は私じゃない。と最近まで思っていたがそれは誰から見ても間違いなく私の顔や形をしていただろう。そしてそのまま自分のことが女として好きな男の子が嫌いになって、特殊なメガネをかけたら乳も股間も丸出しで笑顔を振りまく私が嫌いになった。透明になってしまった弱い自分も大嫌いになった。自分も他人も一度嫌いになるとそれに重なる物全てを軽蔑してしまう。あの頃は強い人は誰でも羨ましかった。羨ましいことすら悔しかった。

一人になりたくなって、そこからは自分を好きでいるために生きようと努力した。