私は40代前半で右卵巣の腫瘍ができて

子宮と卵巣の摘出手術をした


入院まえに

職場の人、友人に

報告をした


有難いことに

優しく声をかけてくれる人が

ほとんどだった

その言葉に、たすけられ

励まされた



だけどそうじゃない言葉も

あって、心の片隅に

残ってしまったものもある



母親から

「かわいそう、どうしてそんな病気になったのかしら。」といわれ

そのあと

繰り返し

「かわいそう」といわれたときは

もう言わないでといった。

愛情があるからこその

その思い、その言葉だと

わかっているのに。


私のこころが

過剰反応しているのだろうか?


頑張ろう

乗り越えよう

としてるときに

「かわいそう」と繰り返しいわれると

立ち止まって、床にぺしゃりと

すわってしまうような

そんな気持ちになってしまった



こんな言葉もあった

「じゃあ、更年期障害がくるかもね」

「更年期障害が心配だね」


わたしにとっての

術後の心配

「更年期障害」がとても大きかった

インターネットでどれだけ調べたか

わからたいほどだ。

たどり着いた思いは

「そのときになったら考える」

「心配してもいまはどうにもならない」


だから

ひとさまから

「くるかもね」「心配だね」と

言われたくなかった

その人は、それをいって

私を励ますつもりなのか

考えてしまう言葉だった


わらって

「そうなんだよー」

といってるが

ひとりになると

ガクッとする


手術だっていやなのに

そのあとのことが心配になると

手術をきめなきゃよかったのか

とか

なんでこんな病気になったのかな

だとか

考えてしまう





些細な言葉で

心がみだれ、気持ちを整理するのは

わりと時間がかかる



世の中で病気とたたかってるひとを

思ってみた

私の想像を遥かにこえる

つらさだと思う



病気にむきあい

これから闘う

闘っている人は

病気の苦しみだけじゃなく

まわりからの

言葉に傷ついたり

励まされているとおもう


病気は辛いのだから

せめて

あたたかい優しいことばで

つつまれてほしい




言葉選びは

むずかしい

良かれと思っていったことばも

受け止め方はさまざまだし



でも闘っているひとが

どうか

優しいことばで

癒されてほしいと

強く思った