閃光ライオット


リョクシャカとガリレオ出てたイベントかー

とその程度の認識。


ただ去年の夏で一気にその重さがひっくり返った。

同世代のバンドがファイナリストになった。

俺は自分の悔しさと恥ずかしさを誤魔化して隠し込むために、閃光ライオットのアカウントをミュートして、SNSを触るのを控えたりして、色々逃げ道を模索していたんだけど、どんなステージに立っても、烙印を押されたみたいにあの時の記憶が蘇ってくる。


そんな状態で、1年過ごした。


今だから言えるけど、冬頃かな、ヨスガは一時期解散寸前だった。一歩間違えたら、今はこのバンドは無かったと思う。

多分、それぞれ思うことがあったのだとは思うけど、1番は俺自身が何もかも信じられなくなってしまって、俺が歌う意味、ヨスガというバンドで曲を作る意味、そもそも表現をする意味、問い出したら次第に脳が渋滞を起こして、考えるのを放棄していた。


曲も作れなかった。淡々と持ち曲を貪ってとりあえずライブで、コピーするように歌うような毎日だった。あの頃どんなライブをしていたのか、正直全く覚えていない。


ただ、Yellowはそんな中でも携帯電話のような安心感があった。何気なく手元にあって、どこへだって持ち運べるような、名前で呼べない力があった。酷いライブしてる時も、Yellow弾いてる途中だけは、変に自信があった。


正直いってMVは全然伸びなかったし、この曲には申し訳ないことをしたな、と思っていたタイミングで、携帯電話が突然鎧に変わった。


閃光ライオット2024、怖くて聞けなかったラジオ、Twitterに表示された6件の新規通知の中には、閃光ライオットのロゴと、僕らのアー写と、その横にぽつりと、誇らしげに胸を広げる「Yellow」の文字があった。


あの時の自分を支えてくれた曲がこうしてまた評価されたのは本当に嬉しい。散々泥沼のような道を歩かせてしまったから、ここからは堂々と大地を踏みしめて駆けていってほしい。


曲は自分にとって血液で、細胞で、こども。


俺はあくまでひねくれたニンゲンだから、喉と両手と腹と体と、使えるものは全て使ってあとは曲達が世間に大の字で叫んでくれる。


6/22、史上最大キャパ

ただ8月にすぐに史上最大を塗り替えるつもりでいる。

それ相応、そのさらに上の覚悟でいる。



二次審査突破が発表された瞬間に電話をかけてくれる人たちや、メッセージをくれる人がたくさんいた。


元ドラムのレオが泣きながら俺に電話してくれて、こっちが泣きそうだった。俺が泣くのはZepp決まった後にしておくけれど。


もう、数え切れない数の人が称えてくれて、本当に嬉しかった。引け目を感じていた友達と、喜び合えたのもすごく嬉しかった。


今なら胸を張って言えるが、俺はhalogenというバンドが大好きなんだ。散々不貞腐れておいて今更か、という感じだけれど、去年はずっと、それを思うと自分が本当に負けてしまったような気がして、上手く言葉に出来なかった。今自分が少し結果を出せたからといってこんなことを言っているのも、ご都合主義で仕方がないと思う。ただ俺は今、宮城05発バンドとして、真横に立てているのがたまらなく嬉しい。


それだけじゃなくて、本当は応援してくれた全ての人一人一人に目を見て感謝を伝えて、1曲ずつ歌ってやりたいくらいの気持ちです。


今年は仙台から大収穫らしい。

多分俺以上に、仙台を背負ってくれる奴らはいて。


ただ俺は、仙台という土地にこだわってない。

俺はまだまだこのシーンに宙ぶらりんのままふらふらとさまよっているし、仙台なんていう莫大なスケールを背負えるような大きい背中も、長い腕も、あいにく持ち合わせていない。


ただ俺が感謝したい人や、お世話になった人、曲聴いてくれた人、歌わせてくれた場所や環境、それがたまたま仙台という小さな町に集約していただけであって、俺は目で見たものだけ背負って戦おうと思う。


その繰り返しで、さらに大きな場所に立てるのなら、俺は環境なんてどうでもいい。目まぐるしく回転していく環境の中で、その度に出会えた人達を巻き込んで、いつかヨスガという、ひとつの大きなシーンを作れたのなら、それこそが俺のホームだと思う。


まずはその第一歩

喜ぶのは今日までで終わりにして、明日からは気持ち一新して練習に臨もうと思う。


閃光ライオット 3時審査

ヨスガをよろしくお願いします。