京都府議会議員 田島よしみつのブログ

京都府議会議員 田島よしみつのブログ

京都府議会議員の田島よしみつです。
私が感じたことや体験したことを気ままに発信しております。
お時間があれば、読んで下さいねー❗
宜しくお願いいたします❕

石清水八幡宮青年会では、石清水八幡宮で斎行される勅祭・石清水祭の行列係を仰せつかっており、その行列奉仕に参加した。



園崎弘道衆議院議員も激励にお越し下さった。

 




私は、二の御鳳輦(ごほうれん)付きの行列係を仰せつかり、御鳳輦の前でご奉仕。




私たちが河川清掃した放生川では放生行事が行われましたが、天候が不安定で15日の夕方に頓宮から石清水八幡宮へ上がる際には雨に降られたものの、事故もなく無事に勅祭・石清水祭は執り行われました。

 

【以下、石清水八幡宮ホームページより引用】

 

石清水祭は清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。そしてこの石清水祭が勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣に始まるとされています。
その後、円融天皇の天延2(974)年には朝廷の諸節会に準じ楽人舞人が舞楽を奏することなどが定められ、さらに延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど益々荘厳の度を加えることとなりました。

 

しかしながら、後花園天皇の御代(1428~64)の末年頃よりは諸国戦乱のため式日延引すること度々に及び、ついに文明年間(1469~87)以降は全く中絶するに至り、約200年を経て霊元天皇の延宝7(1679)年に再興され旧儀に復しますが、明治初年の大改革により石清水放生会の名は明治元(1868)年に『仲秋祭』、同3年に『男山祭』と改称され、同5年には神幸の儀が廃されて単に地方長官が奉幣使として参向されることに改められました。
しかるに、同16年、明治天皇には旧儀復興を仰せ出され、翌17年より毎年新暦9月15日に勅使参向の上、祭儀が厳粛に執行されることとなり、大正7年には明治2年以来「男山八幡宮」と改称されていた社号が旧称「石清水八幡宮」に復したことに伴い『石清水祭』と改称され、さらに昭和20年からは官制廃止により旧儀中絶の已む無きに至り、勅使のみ参向され祭儀を執行せられましたが、同24年からは石清水八幡宮一社において三たび旧儀により護持斎行することとなり、現在に及んでいます。

 

石清水八幡宮では年間100余りの祭典を斎行しておりますが、その中で最も重儀として知られているのが石清水祭です。
「勅祭」とは天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇陛下からのお供え物(幣帛)を供えに参向される祭典のことで、全国8万社ある神社の中でもこの「勅祭」が斎行される神社は16社しかありません。とりわけ石清水祭は、葵祭の名で親しまれる賀茂祭(京都-賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)・春日祭(奈良-春日大社)と共に旧儀による三大勅祭の一つに数えられています。

 

祭典は、15日午前2時、山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、同3時には御本殿を出発、約500人のお供とともに山麓へと下り、絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御、次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸になります。
真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」は”動く古典”として貴重な文化財といえるでしょう。

 

 

園崎弘道衆議院議員とともに八幡市内の京阪・石清水八幡宮駅と京阪・橋本駅にて駅立ちを実施した。


石清水八幡宮駅では、自民党八幡市議会議員団の奥村順一市議、横須賀生也市議、坂本英人市議候補予定者と私、田島よしみつ。



橋本駅では、自民党八幡市議会議員団の鷹野雅生市議、山田芳彦市議、横須賀生也市議、坂本英人市議候補予定者と私、田島よしみつ。



それぞれ、朝のご挨拶。


両日共に、天気に恵まれました。

自由民主党京都府議会議員団政務調査会の管外調査が実施された。

 

1日目は、新潟県上越市の保倉川放水路河口部予定地の現地視察で、国土交通省北陸地方整備局高田河川国道事務所より関川の流域治水事業について、お話を聞かせていただいた。

 


関川・保倉川流域では、昭和56・57・60年、平成7年と度重なる浸水被害が発生しており、様々な対策事業を行ってきたが、この度、新たな河川を新設し、保倉川の水量が増したときに放水路として開門し、日本海に放水する工事を検討されている。

 


この工事が完了することで、これまで浸水被害にあった地域の安全度が高まる。

 


次に、新潟県糸糸魚川市の平成7年7月洪水浸食破堤箇所の現地視察で、引き続き、高田河川国道事務所より姫川の流域治水事業について、お話を聞かせていただいた。

 


姫川は古来より洪水による被害が発生していたが、平成7年7月洪水では浸食により堤防が決壊し、周辺地域に甚大な被害が発生した。その後、堤防強化工事や河道掘削などのハード整備が実施された。

 


この関川・姫川の流域治水事業では、河川の新設や堤防強化工事のほか、周辺自治体や地域住民などの参画により、洪水に対する備えとしての意識の醸成なども含めてソフト・ハードが一体となった取り組みが行われていた。

 



2日目は、富山県射水市の北陸電力新港火力発電所に伺い、富山新港火力発電所の概要について、お話を聞かせていただいた。

 


同発電所は石炭、石油、LNGの3種類の燃料を使用し発電をされており、全ての燃料を敷地内に貯蔵して使用されている。

今後は、石炭と石油での発電は廃止し、LNG火力発電のみを計画されている。その理由として、LNG燃料はにCO2排出量を大幅に低減することができ、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた「コンバインドサイクル発電」により、熱効率が高く、エネルギーの有効活用を図ることができるそうです。

 


京都府でも舞鶴港があるので、そこでのLNG発電も考えられるのではないだろうか。

 


次に、富山県中新川群立山町の富山県立立山カルデラ砂防博物館に伺い、同博物館の概要について、お話を聞かせていただいた。



立山のカルデラには、多量の崩壊土砂が堆積したままで、大雨のたびに流れ出して常願寺川流域に度重なる土砂災害をもたらしてきたそうで、富山平野の暮らしを守るために100年以上にわたり砂防事業が続けられている日本では珍しいところで、現在も砂防事業は続いている。



今回の管外調査では、水害や土砂災害、そして、エネルギーについて学ばせていただいたが、今年は特に地震や水害が多発し、各地で甚大な被害が発生する中で、国も国土強靭化の取り組みを継続して行っていることも理解することができた一方、更なる取り組みが必要だと感じたし、国・都道府県・市町村との連携した災害対策の重要性も感じた。

 



電力も大事なインフラとなっており、食糧と同じようになくてはならないものとなっている。

 

今回の管外調査を受け入れて下さった皆さま、大変勉強になりました。

有難うございました。