ちいこの保健室にようこそ

 

学校の保健室の先生を、29年間勤めました

 

 

娘の不登校経験・自身の養護教諭経験から

 

起立性調節障害・不登校ママさんの

100%味方になろう!!

と一大決心

 

鈴木理子さん主宰の

「家族心理サポート協会」で

心理学・コーチングを学びなおしました

 

きっとあなたのお役に立ちます

 


 

今日は、昔保健室登校していた

中学2年生の女の子の話を

しようと思います

 

 

私が4月にその学校に赴任して

間もなくのこと

 

 

春って、健康診断があり

保健室の先生が

1年で一番忙しくなる時です驚き

 

 

4月に移動してきて

いきなり健康診断の嵐になるので

私も当時、毎日目を三角にしてキメてる

忙しく仕事をしていたと思います

 

 

気がつくと、その女の子が

保健室の前にいるなぁってことが

何度か続きました

 

 

ふたことみこと、言葉を交わして

教室に帰っていくことが

多かったのですが

 

 

いつも一人で来ていましたし

何かある子なんだろうなあとは

思っていました

 

 

そのうちに

「体調が悪いから、

少し休ませてください」

と言ってくることが増え

 

 

でも、ベッドで寝なくていい

座っていれば大丈夫というので

 

 

いつしか、保健室の隅っこの

テーブルが、彼女の定位置になりました

 

 

私も、4月は忙しいこともあって

あまりゆっくり話をすることも

できなかったのですが

 

 

今思えば、あんまりかまわれない

でも独りぼっちじゃない

時々誰かと話ができる

 

 

そんな距離感が、居心地がよかったようで

気がつけば、彼女は

保健室登校になっていました

 

 

 

彼女は、対人関係が

なかなか難しいタイプでした

 

 

担任の先生はイヤ

カウンセラーの先生はキライ

 

 

友達も、吹奏楽部の一部の限られた生徒

とは話すけれど、

他の生徒とはほとんど話さない

 

 

そして何より、お母さんが大きらいでした

いや、本当のことはわかりません

私には、そう言っていました

 

 

お母さんが大きらいだから

イヤな学校に毎日来ている

彼女はそう言いいました

 

 

私とは、なぜか気が合って話はするけれど

自分の内面をさらけ出して

辛さや苦しさを話す…

そんなタイプではありませんでした

 

 

唯一、彼女と学校を結び付けているもの

それは「吹奏楽部」でした

 

 

彼女はトランペットをやっていて

部活がある日は、部で借りている

トランペットを持ってきていました

 

 

さすがに保健室では吹けないので

放課後嬉しそうにそのトランペットをもって

部活に行きました

 

 

それでも、毎回部活に出るほど

元気でもありませんから

部活もよく休んでいました

 

 

でも中学校の部活って

部の成績がよければよいほど

先生が熱心なら熱心なほど

 

 

部活動を休む生徒への風当たりは強く

 

 

 

吹奏楽部も、顧問の先生が熱心なので

先生がよく保健室に来ては

部活に出てこれないんなら

辞めるか、どうするかはっきりしなさい

みたいな話をされていました汗汗

 

 

私は、のらりくらり交わすように

彼女に言っていましたが

それも、ついにできなくなり

 

 

彼女は吹奏楽部を辞めることを決め

トランペットを部に返すことになりました

 

 

 

彼女は、特段悲しんだり

がっかりしたりはしていませんでした

 

 

 

「また、大人にはわかってもらえなかった」

そんなふうに思っただけ…

私には、そう感じました

 

 

 

こうなると私も

自分の無力さを痛感しますし

でも、どうしてあげることが正解なのか

当時、学校という組織の中で

歯車として働いていた私には

正直、わかりませんでした真顔

 

 

当時の私がすべきこと、

なんだったと思いますか?

 

 

今の私には、たぶん正解がわかります

 

 

 

 

それはね、あの時と同じ

ただただ、ことのてんまつを見届けること

 

 

そして彼女の決断を尊重し

彼女の心の痛みを共有すること

 

 

私たち周囲の大人ができることって

それだけですね

 

 

子どもの可能性を100%信じて

子どもの決断を応援すること

 

 

あの時の私がとった行動と、

結果的には同じですが

ぜんぜん違うのは

 

 

当時の私は、

それじゃダメだと思っていたこと

 

 

何かをして、彼女の手助けをしなければ

いけないと思っていたこと

 

 

今の私は、子どもがどうすれば

この先動き出すためのエネルギーを

溜められるのか、知っています

 

 

 

あの時の行動自体は

あれで間違っていなかったと思います

 

 

間違っていたのは

「何かしてあげなくちゃいけない」

と思っていたことです

 

 

 

彼女は、時々保健室で

お母さんのことや、学校のことに

グチを言いながら

 

 

それでもときどき教室に行ったりして

動き出すエネルギーを

蓄えていったんだろうと思います

 

 

中学3年生は

ほぼ、全部の授業に

参加できるようになりました

 

 

 

 

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