何を不幸に思うか

幸せに思うかは、人それぞれです

 

僕はそう思います

が,

そうで無い人

これを幸せだと思いなさい

と、言われるのが

心地よい人も居るでしょう

 

人に価値観を押しつける人々には

僕は、なんの共感も覚えません

 

そう言うことは

怖いことだと、僕は思っています

 

人間の喜びは

「人社会」のどこかに

居場所を見つける、

それに伴って仲間が出来ることが

幸せなこと

なのかも知れません

 

その価値観も

育ってきた「人社会」の

環境で変わるものでしょう

 

人の価値観は

育った環境

後の経験

そう言うものの中で育成され

変わってきます

 

少しシュルテンの輻輳説的ですがw

 

個人個人の価値観が違う

だからこそ人間だと

僕は思っています

 

まわりからの

絶対正しいと言われる考えには

常に??マークがつきます

 

こうしとけば

あーしとけば良かった かなー

死ぬときに

そう言う心の揺らぎはあるかも知れませんが

 

人は

今現在の環境のなかで

足掻(あが)いて

生きていくしかありません

 

社会というものを捨てれば

また違った景色が見えるかも知れませんが

人はそれほど強くはありません

僕の経験上だけの、

思いかもしれませんが

 

以上から

どんな宗教の

どんな教えであっても

これが邪教、

これがカルト教団と断定は

僕には出来ません

 

しかし既存の社会の迷惑になる行為は

社会的に否定されます

 

それが法的にどうのこうの関係なくても

否定されます

 

 

今まで何度かここでも言ってきましたが

抽象的な概念

「真善美」を大事にする

それこそが

人の世の基準と

僕は思っていますので

 

その基準を乱すものは敵です

 

まったく逆のことを

書いているようですが

 

僕の心の中では

人の世の理屈と

僕の価値観は違ってあたり前なので

特に悩むことはありません

 

だからと言って

TV局が勝手に

公共の電波を使い

邪教呼ばわりは

一方的すぎて

納得は出来ません

(飛んでもおっさんの

 理屈と思うかも知れませんがw)

 

次回

大本教の大弾圧