「天皇の戦争責任」

今思うと

おかしい言葉です

 

日本の

元首(げんしゅ)君主(くんしゅ)なのに

「戦争に突き進んだ責任者なのに」

その責任を取っていない。。。

昭和の一時期を切り取ると

そういう見方も出来ますし

 

僕もそう思っている時期もありました

 

しかし

日本の歴史

天武以来の歴史を考えると

日本(という国)にとって

天皇というものが

どういう意味を持ってるのかが

解るような気がします

 

例えば

地方の有力者の協力を得て

天武も即位しました

 

天智(てんち)と天武(てんむ)の関係

 

壬申(じんしん)の乱という

天武(てんむ)・大海人皇子(おおあまのおうじ)

大友皇子(おおとものおうじ)の戦いは

それぞれを応援する

有力者、権力者、豪族の戦いでもありました

伊賀、近江、吉野、尾張の名前が

資料にはちらほらと見うけられます

 

こうして

まわりの力で天皇になった

天武帝に

独裁政治が出来るでしょうか

 

現在の政治状況を例に取ると

首相になるには

数の力が必要で

ある人、

ある勢力の協力が必要です

 

権力者になったとしても

無碍(むげ)にその協力したものに

高圧的な力をふるえないことは

普通に考えて無理です

 

天武の頃は

協力者自体に

軍隊とも言うべき力もあり

政治力もあり

無視するのは無理です

 

そこから推察するに

古代天皇の頃から

天皇は合議制の社会のシンボルとして

存在したんじゃ無いのかなと

思い出しました

 

しかし

天武以降

じょじょにそう言う意識も薄れ

権力と権威が同じ存在

歪みのようなものも出てきました

 

藤原氏の台頭

その一つかも知れません