日露戦争の後
1905年9月
日本とロシアとの
講和条約が結ばれました
 
アメリカ、
ポーツマスでの
と呼ばれるもので
 
内容はリンク先にもあるとおり

https://ja.wikipedia.org/wiki/ポーツマス条約

(1) 日本が朝鮮において指導,保護,監理を行う権利を有すること

(2) 両国が満州から撤兵すること
(3) 関東州租借地と長春-旅順間の鉄道を日本に譲渡すること
(4) 北緯 50°以南の樺太を日本に割譲すること
(5) 日本海,オホーツク海,

    ベーリング海のロシア沿岸漁業権を日本に与えること


などでした。

 

 

国際的には

小国とみられていた

日本の大勝利に

 

各国もオドロキ

ロシアと対立していたトルコなどは

日本海海戦

無敵と思われていた

バルチック艦隊

撃破した東郷平八朗をもじり

 

子供の名前まで

トーゴーと名付ける人もいたそうです

https://www.news-postseven.com/archives/20180803_714106.html

都市伝説のようなものかも知れませんが

それだけ沸き立ったとも

言えるのかも知れません