結果から言うと

 

戦争

日本の勝ちでした

 

1970年代の参考書記述では

1904(明治37)年2月8日

 日本海軍仁川(じんせん)・

 旅順(りょじゅん)

 ロシア艦隊を奇襲攻撃し

 陸軍は,

 9日仁川に上陸した

 ついで
 2月10日ロシア宣戦布告をし

 日露戦争が開始された

 

 戦局は,旅順(りょじゅん)の陥落(かんらく)

 奉天会戦(ほうてんかいせん)

 日本海海戦の勝利など

  日本軍有利のうちに進んだが

 それ以上に戦線を拡大する余力は

 もはやなかった

 日本17億1600万円戦費をつかいはたし

 兵員も総兵力の4割を失い

 大増税や国債の強制割当て

 徴用・物価騰貴などで,国力が

 疲弊していたからである。

とあります

 

 

 

映像での紹介が多いので

それも載せておきます

 

戦争の原因
満洲・朝鮮の、取り合いとも言えるものでしたが
 
日本の理屈は
ロシア南進をふせぐための
朝鮮のほうに重きを置いていたのかも知れません