徳川幕府が行った

妻子を人質に
大名・武士に強要した
江戸詣(えどもうで)

参勤交代

地方と江戸との
距離感を縮め

江戸後期には

世界でも有数の巨大都市江戸

その姿に接することも

地方都市の武士には
あこがれでもあり
目を見張らせることの

連続だったことでしょう

大きな藩の江戸屋敷
首都?江戸での
情報収集には不可欠でした


年月がたつにつれ
藩と江戸勤めの人々の
確執などもあったようです

なにせ
生まれてから
ずっと江戸勤めの人も
いたようですし

当然、田舎である藩との
ものの見方
見解は分かれてきます

とりとめもないことを
話しましたが

「天下の台所」
大坂側からみると

武家社会の江戸とは意識が違い

町人・商人が莫大な富を稼いで
天子様(天皇)も、
上方(かみがた)、
京都にいらっしゃったので


江戸時代の初期
大坂と江戸の文化は
大坂>>江戸 の評価だったようで
上方(かみがた)もの
江戸の人々にとっても
あこがれであったようです


江戸後期
から
明治以降その立場は
徐々に逆転していきます

それはさておき

参勤交代
地方の大名には大きな出費でした

石高に応じた人数を率いて
江戸にいくことは

大名らにとって
道中の物入りや
その他諸費用も
大きな負担でした

それを救ったのが、
大坂の町人・商人が
多かったようで

懇意な富裕町人の
特に大坂豪商などの
知り合いもつことは

大名家にとっても
必要不可欠なことでした