河村瑞賢(かわむらずいけん)達が
整備した
安治川口(あじがわぐち)には
大坂・江戸間を往復した
菱垣廻船(ひがきかいせん)
樽(たる)廻船
北前船(きたまえぷね)
兵庫渡海(ひょうごとかい)船など
諸国の貨物輸送船舶が
菱垣廻船は
元和(げんな)年間(1615~24)に
堺の商人らが
日用品を積みこんで
江戸に回航したのが最初ですが
商業の隆盛に伴い
しだいに発達して
定期船になりました
※菱垣廻船とは
船腹に菱形の竹垣を組み立てていたので
そう呼ばれました
大和川(やまとがわ)・平野川(ひらのがわ)には
柏原船(かしわらぶね)が運航されて
河内(かわち)の物資を
大坂へ運び
上荷船(うわにぶね)
茶船(ちゃぶね)なども往来して
外航の廻船から
引きついだ貨客を
大坂市中および
近郊の町や村へ運びました
以上の経緯で
大坂は
全国物資の集散市場となりだしました