宇宙から直接、この地球という星を直接観ることが出来るようになった現代において、物理的に考えても、地球が一個の生命体であることは理解できるというもの。


宇宙から見て、これほど美しい星はめったにないらしい。


水をたたえ、大気圏を有する星が他にあるとは聞いたことがない。


少なくとも、この太陽系においては、球体を形作っているにも関わらず、その表面に着地しようとして、その表面がいきなり地面ではない星はない。


大気圏で覆われていて、その中には、空気それも生物が生存するのに必要な成分で構成されている気体が充満し、海と呼ばれる水の領域を保有している。


そんな星が宇宙に浮かんでいるのだから、これだけでも奇跡に思える。


もちろん無秩序に浮かんでいるわけでもなく、太陽との距離も程よく、この日本においては、春夏秋冬という四季まで感じることが出来る絶妙な位置に浮かんでいるのだ。



これを偶然と考えてしまうのは、あまりにも幼稚である。



この奇跡の星、地球は幾億万年にわたって創生され、地球の歴史からみれば、ほんのちょっと前に人類が発祥しているわけである。


全てのお膳立てが整ったところに、人類が登場したのだ。


ここになんらかの「意思」があることを想像するのはやぶさかではない。



他の星の生命体は、地球上に住む生命体とはその構成が違うのはあたりまえであり、我々人類が、それらを否定出来る根拠も知識も持ち合わせていないのも認めざるを得ない。


にもかかわらず、これまでは、無知からそれらの存在を闇雲に否定すらしてきた。


これまでは・・・というのは語弊がある。


まだ、大いなる意思とともにこの地上を創り始めていたころの人類は、それらを認識し、ある意味、それらと共存していたわけだから、人類がどこかの時点で、大いなる意思から離れ、勝手に歩みだしてから、それらの存在をも隠滅し、その恩恵すら忘れ、現在においては否定するまでに至ったわけである。


が、それも、ここ数年(数十年?)の間にまた、定説は覆されようとしているというのが現状ではないだろうか。



そんな中、ようやく、地球をひとつの生命体として認識し、運命共同体であることから、地球人としての役割を新たに認識出来る人が増えてきた。


このことさえ、とりもなおさず、大いなる意思の計画通りである。



ここで、一個の生命体のひとつのパーツとしての役割を認識することが急務である。



一個の生命体を一番身近な例えを使うとするなら、自分の身体だろう。



内臓の各臓器の働き、また、頭、手足など形作るもの、それらを動かす神経という命令体系等々。


それぞれがそれぞれの役割をきちんと果たしてこそ、一個の人間が生きることが出来るわけだ。


肉体だけではなく、そこに幽体(心)・霊体(魂)が加わり、三位一体で「生」が営まれる。


どこかに欠陥があったら、それを補う機能も充実している。


完璧である。


心臓は心臓の役割を果たす。


脳は脳、消化器は消化器、手は手、足は足、目は目、口は口・・・・・


どれが偉くてどれが偉くないとかの問題ではない。


役割だ。




さて、地球という一個の生命体において、役割分担はどうなっているだろうか?


くくりかたは多種多様にわたる。


生物として。


人間として。


アジア人として。


日本人として。


女として。


男として。


親として。


子として。


社会人として。


家庭人として。


父として。


母として。


科学者として。


医者として。


・・・・・・



キリがない・・・・




この「・・・として」を重複して、ひとりひとりが持ち合わせている。


その上、個々人の魂の歴史が、状況を作っているのだから、考え出したら気が遠くなる。



だからこそ、「今」「ここ」で役割を果たすことが必至ということになる。




ひとりひとりが、その場所で、その瞬間、この地球のために生きている、生かされていることを認識することが極めて重要なのだ。


水も漏らさぬ、完璧なシナリオどおりにコトは進んでいるから。





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