1周年!?一周忌 一周祈念 政府追悼会

一年前のあの日居間で「篤姫」最終回を見ていた。急に緊急地震速報で番組が中断した。
あれほどの震災を誰が予想しただろう。
当時気象庁は来るべき関東大震災首都機能マヒにそなえ月替わり輪番制で地震速報は大阪気象台が担当していた。
 
全国警報は大阪から発せられたのである。 
当初震度計が想定外の数値で振り切れていたらしい。発表された数値はありきたり!?のM7台だった。
しかし、太平洋岸に浮かぶ津波警戒ブイから続々と入る津波情報と海外の気象局の数値をを解析して予報官は今地震が想像を絶する規模のものだと察した。始めは信じられなかったらしいが。
あわてて初動の津波発表数値を途中大幅に上方修正したが遅かった。はじめから大きな数値で発表していたら・・・。
発生小一時間後自衛隊機からの続々と太平洋岸から押し寄せる津波中継映像を見た。 茨城百里基地から地震発生と同時に飛び立った偵察機からの映像だ。ちなみに阪神のときは姫路駐屯地からヘリ偵察機が飛び長田の火の海や阪神高速倒壊現場を中継。姫路駐屯部隊はエンジンを掛け出動命令を待っていたのだが神戸の通信網が壊滅(よって当初は震源は京都と思われていた)、知事との連絡が取れずようやく通じた副知事令で出動した。満州事変や上海事変の軍独走の反省から打ち立てられた文民統制原則でかってに動けないのだ。
津波が押し寄せた範囲(黄色線)

この同じ直線を西日本に当てはめてみると・・・。

今震災の被災範囲がいかに広大かがわかるだろう。何しろ山口県から静岡御前崎までの沿岸都市が更地になったのだから。
阪神大震災の1,450倍の威力のすごさがわかる。
不謹慎ながら都市部の更地映像は大戦中米軍空襲後の都市、原爆下の広島市街を彷彿とさせられたがあれだけの広い都市部を更地化にするのにB29なら何機、原爆なら何個必用だろう、それが一瞬であのような惨事に・・。大自然の力の大きさを認識させられた。地球的には瞬きにもならなかったのだろうが。
あれから一年。
黒船、米軍と外圧でしか動けない日本が変わるかと思ったが変わらない。
前首相

の権力闘争の人質としての犯罪的震災復興確信犯的遅延無策サボタージュは論外としても、この国は自主判断能力を失ってしまったのだろうか。避難所に様々な規制でバス一台運行できないのだ。

その中で献身的に被災者救援活動をした自衛隊員の活動

は国民の誇りだ。まさに「自衛」の本分を発揮しえた、というかここで動かなければ何から日本を守るんだと思わせるくらい自衛隊員は動いた。平安から通じる自分たちの国の実力組織に有史以来始めて国民はシンパシーを得たのかもしれない。出てきた遺品を丁寧に集め体育館に展示した自衛隊の行動は感動的でさえあった。

政府初主催震災「一周年」大会。一周年の表現はいただけない。せめて一周年祈念だろう。一周忌とかけば宗教的においを感じ敬遠したのか。

療養中にもかかわらず臨席された天皇陛下

にも感動いたしました。