スポーツマンシップとは、
”スポーツをやる上での目的や目標からぶれない在り方。”
これが平林泰三の考えるスポーツマンシップの定義です。
清々しいシーン。小野大輔選手のゴールでチーム一体感の絵。
スポーツマンシップのことを、「スポーツ」そのものから定義化されている指導者の方々も多くいらっしゃいますし、バイブルのような書物や、アナログ放送時代のスポーツ指導者の哲学への信仰者も多くいらっしゃいます。
いわゆるパブリックスクールの始まった頃やオリンピックが開催され始めた頃の1800年代くらいからがスポーツの歴史や原理原則として説明には多く取り上げられます。
リテラシー教育
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肉体と精神教育
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エリート教育
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健全な成長と育成
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国際平和
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レガシー教育
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環境
簡単にまとめると上記に記したような変遷でスポーツそのものの主軸の原理原則が変化を遂げています。
なんと、特にオリンピックは、2000年を境に「環境」の価値に取り組んでおり、スポーツ界全体で環境への取り組みをしているんです。
あまりここは知られておらず、時代の潮流や社会と共に思考の発展をすることがなされてない方も多くいらっしゃいます。
世界初の教室の教壇に立ちました。英国イートン校は、世界初の全寮制の学校です。元祖学校です。
社会が多様化し、その社会に生まれ育った大人たちも子どもたちも、価値観が多様化しており、社会の風潮もその多様化した思考や嗜好を認めて行くような流れになって来ていて、この20年、それは加速しています。
エディーボスとの定例会で、やっとゲームアウェアネスのTシャツを渡せました。
この日もボスからの質問攻めの脳みそフル回転な強度高めのマンツーマンミーティングでした笑
平たく言うならば、スポーツマンシップはなんでも良いって事です。
個人種目、チーム種目、様々なスポーツで楽しむことが出来、3x3バスケッドボールのような新規スポーツやゆるスポーツやeスポーツと、社会と共にスポーツも増えて来ていますし、ルールの変更も含めて生涯スポーツのようにどの世代でも年齢に関係なく、スポーツに関わって行くことが出来るようになってきました。
それぞれが選んだスポーツに、どんな目的や目標を持ち、それをどのように楽しんだり達成したり、誰と感情を共有したりして、ワクワク感や期待感を持って飛び込んで来たら、そこがスポーツマンシップの始まりで良いと思います。
その純度の高いマインドを持ち続けていさえすれば、立派なスポーツマンシップであって、その在り方そのものが清々しいもので人間味にあふれたスポーツマンなんだと思います。
スポーツでのまちづくに取り組む宮崎市の市長室にて。戸敷市長と市長のバックルームを務める幼馴染の豊くん。
少しこの部分にも触れておきます。
Valueです。
ラグビーにはコア・バリューという価値が整理されています。
もちろん、このコア・バリューを意識することでよりラグビーの魅力も感じられますし、ラグビーへの共通認識も増えることが出来、世界共通で価値を分かち合えたり喜びを分かち合えることが出来ます。
しかしながら、これは”規則”ではありません。
これをやらなければならないと言うことでも、これに向けて活動しなければならない強制や強要でもありません。
先述したように、それぞれのスポーツでの目的や目標に取り組み始めれば自然と備わってくる価値が整理されているだけで、「ラグビーをやっているとこういう項目について後々に体感することができますよ。」ということなんです。
これを、いっぱしのスポーツマンになるには、尊重しろ、勇気だせ、覚悟しろ、などと強制的に表現する指導者が恐ろしく多いのですが、そういうのはどうでも良くて、現実にハイパフォーマンスから育成の現場に長らくいると、そういう価値観の強制や強要こそがスポーツマンシップ育成の本質を崩すことにつながっていると思います。
テゲバジャーロ宮崎のジュニアユースチーム指導。テゲバジャーロ宮崎は、宮崎県では初めてのプロサッカーチームとしてJリーグ入りを果たしました!柳田さん、杉谷さん、頑張った甲斐がありましたね!
パワーオブスポーツ Power of Sports
バリューオブスポーツ Value of Sports
スポーツマンシップとインテグリティの関係も、重なっている部分もあれば重なっていない部分もあって、いわゆるクラス=品格=インテグリティを軸に、スポーツ選手たちのスキャンダルや失敗を批判することにつながっていたりするので、まだまだ正しく認識されていないもんだなと思います。
国際サーフィン連盟会長夫妻と宮崎県河野知事と。宮崎にオリンピック最終予選大会を誘致した最初の夜です。
ラグビー界でも最近では不祥事が多発しており、社会への影響も大きいと思っています。
メダルを受け取らないとか歌をうたわないとか握手をしないとか、そういうのも批判を受けています。
政治的なメッセージを出すことが炎上することもあります。
「スポーツマンらしくない」=スポーツマンシップの欠如
と言うことでの批判であるんですが、私は、そういう行動が自分の定義するスポーツマンシップのロジックに当てはまるかどうかを考えます。
なので、それぞれが目的として目標として来たものと、その取り組んだ成果が「おもてたんと違う」のであれば、「おもてたんと同じ」だった人たちとは行動も違うでしょうし、それが万が一、規則やモラルに反していたとしたらそれに気づき学べば良いし、関わってもいない周囲が「強制・強要」マインドで袋叩きにする事なんて不必要だと思っています。
スポーツヘルスケア産業の重鎮にして最大のボス。ゴールドジムを手がけるThinkフィットネスの手塚社長とレジェンド田代さん。田代さんのような腕を持ちたいです。
スポーツ選手だけが、なんだか訳のわからない強制人生観を押し付けられて、レッテルを貼られ、スポーツマンシップの拡大解釈によってオピニオンリーダーたちの声の大きい人たちから袋叩きになっているのを見ると、パワーオブスポーツやバリューオブスポーツのムーブメントに大ブレーキをかけているなと思います。
スポーツ選手もプロフェッショナルやアマチュア関係なく、一人の人としての人権は尊重されますので、本来のスポーツ現場のみでのスポーツマンシップからオフフィールドへと極端に拡大・飛躍しすぎることによって、スポーツ選手が生きづらくならないような社会や環境になって行くことを望みます。
改めて、スポーツマンシップとは、
それぞれの人が、スポーツでなにをやりたいか(目的)、スポーツでやりたいことなりたいもの為に何をしたいのか(目標)があれば、それで良いんだと思います。
それにキツイことも楽しいことも夢中になって取り組んでいれば、
清々しいスポーツマンシップ
と言えるのではないでしょうか。
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