【古代イスラエルの神権政治-<2>-】 | 【こころのエステ・フィットネス鹿児島】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~ 聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]

【古代イスラエルの神権政治-<2>-】

【大切な律法】

古代イスラエルの神権政治を見ていくときに

たいへん重要になってくるのが

【律法】というものです。


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旧約聖書において、【律法】ということばは

【契約】【秩序:ルール】【法律】ということばに

置き換えられます。


もっとシンプルに言えば、【約束】ということばです。

・・・現代風に言えば、【マニフェスト】といえますね。


この【律法】を中心に旧約聖書の世界は描かれています。

古代イスラエルにおいて、

社会の指導者リーダー、政治家(預言者・王・統治者)は

この【律法】に忠実に仕える者として、

最も【律法】を擁護・大切にし、遂行・遵守する存在として

具現者として期待されていました。


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旧約聖書の律法は、モーセという指導者の時代にまとめられた

とされる【モーセ五書】が中心になります。


モーセ五書とは、旧約聖書の最初の5つの書簡

【創世記】【出エジプト記】【レビ記】【民数記】【申命記】をいいます。


これは、いわば、古代イスラエル国家、民族の歴史、

法律(憲法・民法・衛生法;商法等々)制度といえるのですが・・・


もし、みなさまが、実際の聖書から上の書簡をお読みに

なる場合は、ぜひそこから


【契約の概念、】【正義の実行:弱者や貧者の救済措置】

【正直・公正・公平】【透明性】【金融・税金システム】・・・

などのモチーフを探っていただけると興味深いかなと

思われます。

(※上記に関する律法については【こちら<<】 をクリックしてください)


単なる一国家の歴史にとどまらず、あらゆる国の法律制度

を考えるときのケーススタディとなる話題に満ちていると

わたしは思います。


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一方、旧約聖書には、

人間の心理や行動、すなわち、善と悪の心、その相克・・・・

自己保身、嘘、賄賂、詐欺、窃盗、淫行、嫉妬、殺人、放火、強盗

など残虐な事件、個人や社会の不正、不義が

赤裸々に記録、描かれています。

きれいごとは、書かれておらず、ドロドロとした人間模様が

克明に書かれています。


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・・・個人的なお話ですが、

わたくしが『聖書のことばは信じられる・・・』と確信したのは、

実は、変かもしれませんが・・・

旧約聖書に、いわゆる「きれいごと」だけが書かれていなかった

からです。


それらは、いわば、その国の隠しておきたい部分、失敗

知られたくない恥の部分、【負の歴史】です。


しかし、それらを旧約聖書、イスラエルの民族史は、克明に記録し、

約3500年もの間語り継がれ、記録され、先祖の歴史として、覚え続け

先祖の失敗を教訓に、今に生かそうとしているのです。

成功例、栄光の歴史からというより、負、失敗の歴史から学ぶ・・・

自分たちが同じ過ちを繰り返さないように・・・という姿勢


・・・・わたくしたちの国にも、戦後60年経っても、くすぶり続ける

近隣諸国との関係がギクシャクする要因がありますが

自国の負の歴史から堂々と学ぶことができたら・・・

とは思うのですが・・・・。

どうも過去がうまく清算できない・・・。

未来に向かおうとするエネルギーが消耗されますよね・・・。


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・・・話題を戻しますが、ドロドロとした人間関係の記録


時代は、変わっても、深いところでの人間の心理や行動は

世の東西を問わず、昔も今もかわらないじゃないか・・・

3000年以上の時を隔てても・・・・。と思いました。


旧約聖書には、そのような【人の欲望】が、社会を

家庭・共同体を崩壊させていることが描かれています。


特に、人々を導く指導者・政治家層の腐敗が・・・・

社会を崩壊させた経緯が・・・・


あまりにも世の中、今も昔も【人の欲望】でものごとが

動いているんだなぁ・・。と

政治でも、経済でも、

社会全体を動かしている根底にあるものは、

【人の欲望】 しかも、それは、止め処もないもので・・・

その行き着く先はどうなってしまうのだろうか・・・


もし、聖書の預言が正しいものならば

わたくしたちは、聖書に描かれる

イスラエルの古代史から、それを予測し

学ぶことはできます。

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さて、本日の記事の区切りとして・・・


聖書によると、旧約聖書の律法は

【神】によって制定されたことが書かれています。


律法の制定者は、神であって、その律法を通して

神はご自身の意図、意志をお伝えになっていると

考えています。


旧約聖書マラキ書2章5節というところには、

その神様のご意志が端的に表現されています。


「レビと結んだわが『契約』は命と平和のためであり

わたしはそれらを彼に与えた」

(※レビ:特別に神からの神託を受け取り、王や民衆に

それを取り次いだ人々、祭司職為政者、律法の専門家)



社会を人の自己中心的な【欲望】で動かそうとするのではなく

互いの命と平和のために、制定された神様の律法(愛の秩序)

を知り、互いが生きていくうえで、調整しあう・・・


【約束事】によって、ひとつの秩序、ルールをふまえながら

全体をみていこうとする姿勢が、互いの平和のために必要なのでは

ないだろうか・・・と旧約聖書は提言しています。


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聖書の神は 愛と正義、命のルール、秩序の回復を願い、約束しておられる

その【神のマニフェスト】は、今なお、その実現を目指して、進行中です・・・。

また、その神様は、決してその【約束】を反故にはされないお方である

とも、聖書には記されています。


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