大好きな先輩。


人生初インタビューは

下北沢でイノマーさんでした。


金もなくてガスも水道も電気も止まってて

それでもライブやりまくって。

飯は1日1食半額のバターロールに

マヨネーズ付けて食べてたか

きなこと塩だけ、なんてヒドイ生活の頃。


そんな頃に

誰よりも最初に

雑誌に太陽族を引っ張りだしてくれた恩人。


あれからも何度も。


すこしだけ思い出話させてください。


人生初めてのインタビュー。

事務所とかにも入ってないから、

直接やりとりして。

待ち合わせしたのは下北沢。



おれがハイスタ好きなのも知ってくれてて

「ここねー、オイラが初めて

ハイスタインタビューした場所なんだー」

なんて話してくれて。

あえてそんなお店を選んでくれて。


優しかった。


その後ストリートロックファイルという

インディーズマガジンリニューアル版のような

大好きな雑誌を作ってくれて

DVDにも収録させてくださったり。


何度もインタビューしてくれた。


インタビュアーが

イノマーさんじゃない時は

こっそり、残念な気持ちだった。


とにかく会えると楽しかった。

初めて渋谷ラママでライブした時の打ち上げ。

会って数回なのに

その場にいたみんなに


「友達の花男くんだよー

友達すくないオイラにも友達できたよー」


優しくそんな言葉をかけてくれた。

恐縮で、幸せで、涙でそうだった。

どんなに忙しい時でも

ピーズやブルーハーツの話や

くだらない話でとにかく楽しかった。


ブルーハーツ。

イノマーさんとの出会いは

THE BLUE HEARTSのEAST WEST SIDE STORY

ライナーノーツの文面だった。

高校生の頃だった。

、、ダメだ、書ききれない。

またゆっくり書かせてください。


何度も何度も気にかけてくれて

イベント呼んでくれて。

ワーナーから解約された後

独立してから会っても。

「今、何に1番困ってる?」

なんて声かけてくれた事もあった。


もう一度会いたかった。

いつか空の上でも音楽の話がしたい。

それとくだらない話。


見捨てられた裏通りから

世界中に向けたメッセージを

たくさん届けてくれた恩人です。

ずっと愛してます。


性春パンクバンド「オナマシ」

イノマーさん、53歳で死去

口腔底がん闘病1年5ヶ月

ORICON NEWS

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花男